日本関連

ライブドアのパブリックジャーナリストたち

「長い目で」

ライブドアのパブリックジャーナリストの存在が話題になっている。私は残念ながらまだ読んでいないが、雑誌「世界」への寄稿記事がライブドアのジャーナリズムを批判している、ということがきっかけになったようだ。

今日のライブドアのサイトにもパブリック・ジャーナリストの1人の原稿が載っている。非常に正直に自分の気持ちを書いている。(添付します。)

ほんの感想だが、自分が「パブリック・ジャーナリスト」であることで、何がしかの引け目を感じているとしたら、そう思う必要はないと思う。

「PJの一人として自分の投稿が出て、その内容に責任がとれるのか、事実関係の検証をどうすれば良いのか、一般マスコミが報道している事実を書き写すだけで果たして「ニュース」といえるのか、等々疑問を上げればきりがない」という箇所が最初にある。

前人未到の領域のようだが、例えば「事実関係の検証」は、実際に担当者に聞くこと、関連報道、資料を集めることなど、いわゆる「一般マスコミ」とされているところで働く記者も、パブリックジャーナリストもやることは、変わりない。やる気があれば、かなり調べることはできるのではないだろうか。特に「ジャーナリストであること」、「ライブドアに書くこと」などを取材相手に名乗れるのであれば、なおさらやりやすいのではないか?

ライブドアはユーザー数、ヒット数から言うと、かなり巨大になったのではないか、と推測する。自分の原稿が数十万、あるいは100万近くの人の目に触れるかもしれない・・・そんなメディアで書いていること、これは大きいことではないかと思う。逆に言うと、例え何を書いても大人数の読者の目に触れることにもなる。最初から、多くの読者の目に触れる場所で原稿を書ける、というのは、幸運だと思う。

「ネットは新聞を殺すかブログ」で、長い目でライブドアのジャーナリズムを見たい、という発言があった。

とにかく、続けること、続くこと、が肝心だと思う。

(以下、引用です。)

PJ(パブリック・ジャーナリズム)の限界と発生の要因【東京都】
【ライブドア・PJニュース 03月29日 東京都】- 小田氏が朝日新聞の団藤保晴氏のPJ批判に対して見事な反論を展開されたが、やはりパブリック・ジャーナリストについてはある種のいかがわしさ、たよりなさを感じてしまうのは団藤氏だけではないと思う。PJの一人として自分の投稿が出て、その内容に責任がとれるのか、事実関係の検証をどうすれば良いのか、一般マスコミが報道している事実を書き写すだけで果たして「ニュース」といえるのか、等々疑問を上げればきりがない。

 そもそもPJ(パブリック・ジャーナリズム)という言葉を知ったのは韓国の「オー・マイ・ニュース」のことを伝え聞き、オー・ヨンホ代表の講演を聞いたことがきっかけだ。オー・ヨンホ氏によれば、「現在約3万人のパブリック・ジャーナリスト(PJ)がいるが、記事を書いてくれるPJは必ずしも多くなく、8割以上が「オー・マイ・ニュース」のプロパーの記者が書いている。またスクープと呼ばれる記事のほとんどがプロパー記者が書いたものだ」と語っており、PJ制度の本家ともいうべき韓国においても、PJ制度の限界を説いているのである。

 また、オー代表によれば、韓国においてインターネット新聞のPJ制度がもてはやされる原因には、韓国特有の政治的要因が存在することを忘れてはならない。つまり、第二次大戦後の長い軍事独裁政権の下で、権力を監視し、社会の木鐸であるべき民主主義社会のジャーナリズムの役割が、長らく充分に機能しなかった歴史がある。それ故、インテリ、一般民衆にかかわらず既存のジャーナリズムに対する不信感が高く、それがパブリック・ジャーナリズムを育てていったという事情が存在するという。

 なるほど、韓国においてパブリック・ジャーナリズムが盛んになったのは既成のジャーナリズムが「だらしなかった」から発達した側面もあるのだと理解した。

 ひるがえって、日本の現状はどうだろうか?

 ちょうどこのPJ制度が始まった2005年の2月頃は、閣僚がNHKの放送内容に対して内容を変更するよう政治的圧力をかけたかどうかについての論争がマスコミどうしで行なわれていた。「議員に呼びつけられ、その議員から圧力をかけられた」と報道した朝日新聞と、「圧力ではなく、国会説明する内容を事前に関係議員に説明にいっただけ」と説明するNHK側との対立は、一般国民にとっては両者の泥試合としか思えず、マスコミへの不信が増大した。NHKの受信料の不支払者は増大し、朝日新聞の販売部数は長期低落傾向に歯止めが効かなくなってきたといわれる。

 多くの一般大衆にとっては、NHKや朝日新聞というのは、まさに「社会の木鐸」として、双方の報道には絶大な信頼を寄せていた。にもかかわらず、両者の行なった泥仕合は、そうした信頼を見事に揺り崩してくれた。ライブドアに関する報道が、それに輪をかけたようなものにならないことが望まれる。

 もしライブドアに関する報道が、ライバル新聞社、放送局に対する単なる非難、攻撃に終始するならば、ちょうど、政府官僚に対する信頼が、90年代末あたりから急速に低下ししたのと同じような現象が、今度はマスコミに対して出てくるのではないだろうか?

 そうしたマスコミへの建設的批判勢力の一つとしてパブリック・ジャーナリズムも存在している、という程度の認識でいてもらえればありがたいし、文章のあまりうまくないPJとしても気も楽になる。民主党や自民党の掲示板が半ばあらされるような形で廃止になり、朝日.COMの若手政治家との討論サイトが消えた中で、数少ない面白くてためになりそうなインターネットサイトの一つとして育ててやる、くらいの気持ちでPJの記事を見てもらえればありがたいと思う。【了】
ライブドア パブリック・ジャーナリスト 孝二郎
この記事に関するお問い合わせ先:newscenter@livedoor.net
by polimediauk | 2005-03-30 06:00 | 日本関連

ジャーナリズムの話いろいろ+欧州事情も


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