小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

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デンマーク紙がムハンマド風刺画掲載で謝罪―有能な弁護士に負けた?

 デンマークの有力紙「ポリティケン」が、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を再掲載した件で、イスラム教団体に謝罪したことが26日分かり、デンマーク国内の他のメディアや政治家らから非難の嵐が起きている。

 複数の媒体が報道したところによると、ポリティケンは、中東諸国やオーストラリアのムスリム教徒を代表したサウジアラビア人の弁護士との間で和解に応じ、謝罪を行ったもようだ。
ポリティケンのトゥア・セイデンファーデン編集長は、風刺画がムスリム教徒に対し侮辱感を与えたことを謝罪したのであって、再掲載自体を謝罪したのではない、という。「私たちには(ターバンを巻いたムハンマドに見える風刺画を描いた)カート・ウェステガードの風刺画を掲載する権利がある、元々の12枚の風刺画を掲載する権利がある、世界中にある風刺画を掲載する権利がある」と述べている。(補足だが、ウェステガード氏は、ターバン姿の風刺画に関し、これは「ムハンマドではない」と説明しているようだ。)

 もともと、デンマークの別の新聞「ユランズ・ポステン」紙が2005年9月末、12枚のムハンマドに関わる風刺画を掲載した。06年年明けから、イスラム教徒を冒とくしたとして、中東を中心にしたイスラム教国から非難の声が上がった。欧州数か国では、掲載への抗議は表現の自由を侵害する動きとし、逆にユランズ・ポステンを支持する運動が起きた。ポリティケン紙の風刺画再掲載は2008年だ。

 和解は、ポリティケンとムハンマドの子孫94,923人を代表する8つの団体との間で合意された。

 ポリティケン編集長によれば、和解は「前向きなステップ」だ。風刺画掲載の反対者と表現の自由派の間の「緊張感を取り除く可能性がある」、「デンマークと他国との関係が改善される希望を示している」。謝罪・和解は「言論の自由の安売りではない」としている。

  イスラム教徒側を代表した弁護士ファイサル・ヤマニ氏は、「良い結果になった」と満足している様子だ。独シュピーゲル・オンラインによれば、「これを勝利として語るべきではない」、「両者が背景を理解した」結果である、「謝罪をしたポリティケンには勇気があったと思う」。

 複数のデンマークの政治家はポリティケンの動きを非難している。極右派とされるデンマーク国民党の代表は、編集長がデンマークの、そして西欧の言論の自由を「売り渡した」と表現する。与党自由党の政務広報官は「謝罪する必要はなかった」と述べる。

 自由党の元議長だったウッフェ・エレマンーヤンセン氏は、肯定的に見る。対立ばかりの世界の中で、「互いに共通の理解」を得ようとしたのだ、と。

 ヤマニ弁護士がデンマークの11紙に対し、ウェブサイト上に掲載されている風刺画を削除し、謝罪と再掲載しないよう約束することを求めたのは、昨年の8月だ。この中で、和解が成立したのはポリティケンのみ。

 もともとの風刺画を掲載したユランズ・ポステンも同弁護士から削除や謝罪を要求されたが、和解には応じていない。同紙の編集長は、ポリティケンが「言論の自由の戦いを裏切った」「脅しに屈服した」としている。

 ユランズ・ポステンとポリティケンは同じ出版社から出ているが、編集局は独立している。互いにライバル関係とも言える2紙だ。

 私は2006年と07年、デンマークに行って風刺画問題を取材した時、ポリティケン編集長に会って話を聞いた。一体何が起きたのかな?と思う。

 ユランズ・ポステンはよく「保守派」と言われる。与党自由党に近い、とも。(現在のNATO事務総長アナス・フォー・ラスムセン氏は、元デンマーク首相。在任当時、風刺画問題が発生した。)

 一方のポリティケンはやや親イスラム教徒かな、という感じがした(デンマークに住んでいて、もっと知っていらっしゃる方は教えていただきたい)。 

 もしかして、巨額の裁判費用を出したくない、という考慮もあったのかなと思う。サウジアラビア出身の弁護士が非常にやり手だったとか。

 ポジティブな意味で、「区切りをつける」ならいいのだけれども。

 ーセイデンファーデン氏への2006年の風刺画事件当時のインタビューは以下
 http://ukmedia.exblog.jp/6560560
by polimediauk | 2010-03-01 22:47 | ネット業界