小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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「冬の兵士」とウィキリークスがあらわにする戦争の姿

「冬の兵士」とウィキリークスがあらわにする戦争の姿_c0016826_18293049.jpg ロンドンに住む知人から、「冬の兵士」(岩波書店)という本を頂いた。知人は本の校閲に関わっていた女性である。

 副題に「イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実」とある。米国では「反戦イラク帰還兵の会(IVAW)」という組織が2004年、発足したという。

 この会が、「イラクからの即時無条件撤退」「退役・現役軍人への医療保障そのほかの給付」「イラク国民への賠償」の3つを掲げて行動を開始し、2008年、「冬の兵士」と題した公聴会を開催したのだという。公聴会では多くの兵士が戦場の実態を語り、その証言をまとめたのがこの本だ。

 2008年の話、そしてイラクに行った米兵の話ということで、いま英国に住む自分からすれば、この本に出会わなければ、公聴会のことやこの会のことを知らないでいただろうと思う。

 英国では中東のニュースが非常に多い。イラク、アフガン戦争では、米英兵の死を聞くたびに、私はイラクやアフガン国民の犠牲者や死者も同時に気になってしまう。米英兵よりもイラク・アフガン国民で亡くなった数のほうがはるかに多いはずー。どことなく、こう言ってはなんだけれど、「加害者側」の話を聞くつもりで、やや身構えて本書を読みだした。

 最後まで読み終えたとき、私は、イラク戦争に関わる様々な断片の事実が、この本によって裏付けられたことを知った。

 ウィキリークスが広く世界に知られるようになった1つのきっかけは、バグダッドにいたロイターの記者などを含む市民を、米軍のアパッチ戦闘機から銃撃した動画が、昨年4月、公開されたことだった。動画は、兵士たちがまるで戦闘行為を楽しんでいるかのような声を伝えた。たった一つの動画。でも、これが「たまたま」ではなく、日常茶飯事で、時にはもっとひどいことが行われていたことが、「冬の兵士」を読むとわかる。ウィキリークスが大手報道機関と一緒に公開した、イラクやアフガンでの米軍戦闘記録から見えてきた市民たちの犠牲は、決して偶然ではなかったことを、「冬の兵士」の証言が教えてくれる。

 私は、本を読んでいる途中で、思い出したことがあった。イラク戦争の初期、米兵らが民家を「捜索」する映像が英国のテレビ局で放映された。その家に、テロ要員がいるらしいのだ。武装した数人の米兵が家の中に入ると、おびえた市民たちがいた。私が衝撃を受けたのは、米兵らがおびえるイラク人の前で、英語で怒鳴っていることだった。「男たちはどこへ行ったんだ?」「立ち上がれ、立ち上がれ、と言っているのが分からないのか!」と怒鳴り続けていた。普通のイラクの民家に入って、相手が英語が分かると何故思うのか、不思議でたまらなかった。何故、少なくともイラクの言葉で話しかけないのかー?ほんの小さな断片の話。でも、似たようなことがイラク中で起きていたことが、ウィキリークスや「冬の兵士」で分かるのだ。

 「交戦規則」というものがある。これは、「国際的に承認された」諸規範により、「戦闘に動員された兵士の行為として法的に許されるものと許されないもの」を規定したものだ(19ページ)。「双方の兵士を拷問や虐待の危険から守り、罪のない民間人が不必要に殺害されないよう保証することを意図している」という。

 しかし、この規則は、戦争が続くにつれ、有名無実化してゆく。「不安を感じたら誰でも撃って良い」になり、最初の殺しをナイフで実行したら帰国休暇の日数を増やしてやる、と上官が言うようになる。暗黙の了解として、うっかり市民を撃ち殺してしまったときのために、武器やシャベルを持参していたとある兵士は語る。武器を死体の上に置いておくだけで、「抵抗分子のように見せかけることができるから」(30ページ)だ。さらには、この兵士は、イラク人がシャベルか重そうなバッグを持っているか、どこかに穴を掘っていたら、それだけですぐ撃っていいと上官から言われるようになった。

 ほかの兵士は,亡くなったイラク人にはまったく敬意を払わなくなり、あるイラク人の男性の顔の一部を見つけると、ヘルメットをかぶせ、写真を撮っていた。この兵士は、「罪のない人々に憎しみをぶつけ、破壊をもたらしたことを謝罪したい」と述べた。イラク人の死体とともに記念写真を撮るのは、日常茶飯事であったと別の兵士が証言している。

 殺害を行う圧力に耐えられず、自殺した海兵隊の話も紹介されている。

 次々と証言を読んでいくと、最初は「人殺し」をした兵士たちに不快感と疑問を感じるが(何故人を殺害するような仕事に志願したのか、何故一度のお勤めを終わって、また続行するのかという気持ちが、読む間中、常にあった)、耳や目をそむけたくなるような行為こそが、戦争の真実・実態である、ということでもあろう。

 若き兵士たちが大きな機械の1つの歯車になって実際の人殺しを担当し、心身ともに摩滅してゆく様子を知り、人殺しをさせる戦争という仕組みそのものに対する怒りがわいてくる。

 戦争という仕組みの中で、有名無実の交戦規制の下、多くのイラク人を殺傷することを強いられた兵隊たち。兵士たちを後押しするのは、米国の政治家や国民による、イラクに米兵を送るという決断だ。米兵たちは、イラクやアフガンの国民からすれば、加害者そのものだろう。「犠牲者」か「加害者」かと二者択一で分けられるものでもないのかもしれないが、イラクやアフガニスタンの国民には選択肢がなかった。市民レベルでは、戦争に同意したわけではない。勝手に始まった戦争で、傷つけられ、殺されている。しかし、兵士となった米国民は、少なくとも志願したという意味では、その人生を選択したことになる。

 ―とは思うけれど、そんなことは、戦争に行ったことがなく、のほほんと英国で暮らしている私が(他の人が戦っているからこそ、平和であるのだろうから)漠然と考えるたわごとに違いない。

 武力を持って相手を殺しあう戦争という仕組みがなくならなければ、いつまでも、加害者が、犠牲者が、死者が、遺族が出る。

 数日前にも、またひとり、英軍兵士がアフガニスタンで攻撃を受けて、命を落とした。10年前の開戦から、もう300人以上の英兵が亡くなっている。しかし、アフガンでは、300人どころから、数千人規模で人が亡くなっているはずだ。

 自分が実際に手を下す代わりに、誰か他の人が、自分や自国の「敵」と戦っている結果、多くの人が平和な世界に住んでいる。兵士によって守ってもらっている平和を享受する人間は、兵士の殺害行為の共犯と言えなくもない。実際に人を殺し、かつ自国側も兵士の死を出す英国に住んでいると、この矛盾あるいは欺瞞をどうしたらいいのか、と思う。軍隊を持つことを肯定している国、英国。「一切の戦争がなくなってほしい」と考える自分は、「義務を果たさないのに、恩恵だけもらおうとしている」とも言えるのではないか?英兵の死の報道を聞くたびに、そんなことを、日々、感じる。一刻も早く完全撤退してもらいたいーひとり、またひとりと英兵の訃報が出るたびにそう思う。

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 「冬の兵士」は、読んで、考える本。是非、実際に手にとってみていただきたい。
by polimediauk | 2011-06-04 18:30 | イラク