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経営に更なる透明性の求めも 英紙廃刊とマードック帝国のほころび(下)

(「新聞通信調査会報」(10月号)に掲載された記事の転載です。)

 前回の「上」は主に盗聴事件の発端とその経緯を記したので、「下」はニューズ社への影響を見てみた。後半部分が、10月21日の株主総会での顛末を理解するための一助になれば幸いである。

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 経営に更なる透明性の求めも 英紙廃刊とマードック帝国のほころび(下)

 英日曜大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」(NOW)の記者が数千人に上る著名人、政治家、タレントらの携帯電話の伝言メッセージを盗聴したとされる事件がきっかけとなり、同紙は今年7月10日号を最後に168年の歴史の幕を下ろした。その経緯を本誌9月号の拙稿(「マードック帝国のほころび 上)で振り返った。

 本稿では廃刊後の主な動きと、同紙の発行元の英ニューズ・インターナショナル(NI)社を傘下に持つ米メディア大手ニューズ・コーポレーション(ニューズ社)の今後を概観してみる。

―衛星放送の完全子会社化断念へ

 盗聴事件の発端は2005年。翌年、盗聴行為に携わったNOW紙の王室報道記者クライブ・グッドマンと私立探偵グレン・マルケーが逮捕された。両者が携帯電話への不正アクセスで有罪となってそれぞれ数カ月の実刑判決を受けたのは07年である。この間、NI社側の説明は一貫して「関与していたのはグッドマンのみ」であった。問題が再燃したのは09年夏である。左派系高級紙ガーディアンが、「警察筋」からの情報を基に、数千人規模が盗聴されていた可能性があること、盗聴行為は組織ぐるみであったと報道した。再捜査への声が上がったが、ロンドン警視庁は「新たな証拠がない」ことを理由に、再捜査しなかった。

 今年7月になって、誘拐・殺害された少女の携帯電話がNOW紙の記者らによって盗聴されていたことが発覚し、盗聴事件が国民にとって切実な問題として意識されるようになった。さらに、イラクやアフガニスタンに派遣された英兵らや、殺害された小学生児童の家族の携帯電話にもNOW紙の盗聴行為が及んでいたことが明るみに出て、NOW紙の評判は地に落ちた。

 「火消し」としてニューズ社は7月7日、NOW紙の廃刊を急きょ決定した。それでも非難の声が収まらず同月13日、同社が1年前から狙っていた英衛星放送BスカイBの完全子会社化(現在は39%の株を所有)を断念するという苦渋の選択を行った。この日、下院ではニューズ社の最高経営責任者(CEO)兼会長のルパート・マードックに対し、完全子会社化を断念することを求める審議が予定されていた。ニューズ社はこうした状況下では交渉がスムーズに進まないと判断し、下院での審議が始まる前に完全子会社化を断念すると発表した。

 反マードック機運はそれでも収まらず、15日にはNI社のCEOで、03年から07年までNOW紙の編集長でもあったレベッカ・ブルックスが辞任した。同日、ニューズ社傘下のダウ・ジョーンズ社のCEOで、ブルックスの前にNI社CEOとして「盗聴行為はグッドマン記者のみ」と繰り返し述べてきたレス・ヒントンが、現職を辞任した。ブルックスとヒントンはマードックの側近中の側近と言われる存在であった。

―多額便宜供与の警視総監も辞任

 ロンドン警視庁は今年からNOW紙での盗聴事件の再捜査を本格的に開始した。平行して進めているのが、NOW紙が警察関係者から情報を買っていたかどうかという賄賂疑惑の捜査である。メディアと警察との関係が問われる中、雪崩のように警察機構のトップが次々と辞任する事態が発生した。

 7月14日、NOW紙の元副編集長ニール・ウォリスが盗聴事件への関連容疑で逮捕された(後に保釈)。これを機に英各紙が探り出したところによれば、ウォリスは09年に警視庁のメディア・コンサルタントとして採用された。同年夏、ガーディアン紙の報道によって盗聴事件の再捜査を求める声が上がりだした。

 警視庁によるウォリスの採用自体は違法ではないとしても、捜査の手が入った会社の元編集幹部を雇うのは、一種の「癒着」ではないか? そんな疑問を多くの人が持った。しかも、ウォリスは1カ月にわずか2日働くだけでよく、1日1000ポンド(約13万円)という高額を得ていた。また、ウォリスをコンサルタント職に薦めたのは、盗聴事件の再捜査をしないことを決めたジョン・イェーツ警視監であった。

 ポール・スティーブンソン警視総監も説明に困る事件に巻き込まれた。サンデー・タイムズによれば、警視総監は今年初め英南部のスパで数週間静養した。その時の費用総額1万2000ポンドは無料だったという。理由はスパの運営者が「友人であったから」と警視総監は説明したが、このスパの広報を担当していたのはウォリスであった。警視総監は不正行為はなかったと弁明したが、実に都合の悪い事実の暴露となった。

―新聞スト破りで生まれた警察との絆

 7月17日、スティーブンソン警視総監は「続行中の捜査を妨げたくない」などの理由で辞任するに至った。翌日にはイェーツ警視監も辞任した。

 事件を捜査する警察と、事件報道を行うメディア側とは「切っても切れない仲だ」と元警視庁幹部ブライアン・パドックは複数のテレビ局の番組内で述べている。「警察に関して好意的な報道を行うメディアは少ない」が、その数少ない好意的なメディアの一つが「マードック・プレス」(マードック傘下のNOW紙、サン、タイムズ、サンデー・タイムズ)だったという。

 パドックによれば、マードックとロンドン警視庁の間に深い絆ができたのは、1986年の「ワッピング革命」の時だった。新聞経営者の多くが労組員によるストに悩んでいた頃、マードックは傘下の新聞の編集室を一晩でロンドン東部ワッピングに移動させた。非労組員を中心に新聞を制作したマードックに対し、労組員たちは新オフィスの回りに大規模ピケを張って対抗した。数千人にも上るピケ参加者による配送トラックやオフィスへの攻撃を防御したのが、警視庁が派遣した警察隊だった。

 マードックは7月19日、二男でニューズ社の副最高執行責任者ジェームズとともに、下院の文化・メディア・スポーツ委員会に出席し、盗聴問題に関する委員らからの質問に答えた。マードックは盗聴行為の犠牲者に謝罪し、「違法行為は絶対に許されない」と述べた。しかし、たった1人の記者ではなく、数人が盗聴行為に関わっていたなどの詳細を知ったのは「最近だった」と認めた。「自分がCEOのニューズ社では5万3000人が働く。NOW紙が生み出す利益は1%」として、盗聴事件について関知していなかったことを正当化する発言をした。ジェームズも、「複数が関与していた」点について知ったのは、つい最近であったと述べた。

 今秋からはレベソン控訴院裁判官が委員長となって、NOW紙での盗聴行為の実態を探る調査と英メディア全体での倫理に関する調査が開始された。NOW紙は新聞としては消えたが、英国ではしばらくの間、話題に上りそうだ。

―CATV、映画が稼ぎ頭の2兆円企業

 盗聴事件はニューズ社の経営に、どのような影響をもたらすだろうか?

 同社の最新の年次報告書(11年6月期決算)によると、総収入は約334億㌦(2兆5700億円)に上り、ニューズ社は世界でもトップクラスの複合メディア企業である。内訳は最大が出版・新聞発行(ハーパーコリンズなどによる書籍出版、英ニューズ・インターナショナル社によるタイムズなど、各国での新聞発行)で、総収入の27%にあたる約88億ドルを稼いでいる。これに続くのが①ケーブル放送(フォックス・ニューズ、フォックス・ビジネス・ネットワーク、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルなど、24%)の約80億ドル、②映画娯楽(20世紀センチュリー・フォックスなど、21%)の約68億ドル、③米国でのテレビ放送(フォックス・ブロードキャスティング・カンパニーなど、14%)の約47億ドル、④衛星テレビ放送(スカイ・イタリア、BスカイBなど、11%)の約37億ドル、⑤その他(マイスペースなどのデジタル・メディア、3%)は約11億ドルである。前年度まで表記されていた新聞のみの出版収入は約60億ドルであった。

 今年度の稼ぎ頭は出版・新聞発行となったものの、収入の伸び率に注目すると、出版・新聞発行収入が前年比3%の伸びであるのに対し、①のケーブル放送が14%増、③が13%増となり、放送ビジネスがリードしていることが分かる。

 紙の新聞の部数はほとんどの先進国で下落傾向にあることから、収益拡大の中心は今後も放送業、そして伸びるデジタル・メディアになるといわれている。いったんはBスカイBの完全子会社化をあきらめたマードックだが、「事が沈静化したら再度、完全子会社化に動く」)(エンダース・アナリシス社)という見方が大勢を占める。

 ニューズ社のリーチは米欧のみならず、中国、インドにも広がる。20世紀フォックス制作で大当たりとなった「タイタニック」や昨年の「ブラック・スワン」など、世界各国で上映されるヒット作品は巨額の収入を稼ぐ。米国製アニメ「シンプソンズ」も大人気で、マードックがかつて登場人物の1人として登場して喝采を浴びた。新聞は英国のほかに米国では老舗経済紙ウォールストリート・ジャーナル、ニューヨーク・ポスト、オーストラリアでは自らが創刊した全国紙オーストラリアンのほかに150以上の新聞を発行する。

―マードック家支配に批判の投資家動向に注目

 マードック帝国が崩壊するかどうかは、今後の盗聴事件の捜査の行方に加え、ニューズ社の株主がどう判断するかによるだろう。

 01年に米大手エネルギー会社エンロンで巨額の不正経理・不正取引が明るみに出て、あっという間に破綻に追い込まれた。このような形での破綻・崩壊はニューズ社については、現状ではほぼないであろう。しかし、経営に更なる透明性、公正さを求められる可能性は大きい。というのも、マードック一家が経営陣のトップに君臨し、大株主となっている現状への批判を声にする投資家もいるからだ。例えば、一家はニューズ社の全株の12%を所有しているが、同社の株は議決権があるものとないものの2種類に分かれており、一家の所有分は議決権株の40%に当たるため、他の株主がマードックの意向を無視して議決ができない状態となっているのだ。

 英米の捜査当局や英国の調査委員会が同社に不都合な事実を明るみに出した場合、他の株主や投資家らが経営陣の刷新を求める声が強くなる可能性がある。

 この場合①現CEOのマードックは高齢(80歳)であることなどを理由に第1線から退いてもらい、副会長チェイス・ケアリー(57)が引き継ぐ②父の後を継ぐとみられていたが、盗聴事件の実情を十分に把握せず、あるいは実情を知りながら虚偽の報告をした可能性もある二男のジェームズを降格させる③さらに英国での新聞発行業から撤退することで近い将来、クリーンになったニューズ社がBスカイBの完全子会社化を実現する―などの選択肢があろう。

 英国のテレビ、ラジオ、新聞は7月上旬から1カ月にわたり連日、マードックの危機を大々的に報道した。秋から始まった調査委員会が結論を出すのは数年先ともいわれている。BBCのメディア記者トーリン・ダグラスは「一般市民が今後どれほど、この事件に関心を持つだろうか」と疑問を投げ掛ける(BBCブログ、9月7日)。

―「親密過ぎる関係」に決別の英議員

 確かに、国民の関心事は8月上旬に発生したロンドンの暴動の後始末や経済の先行きに移っているのかもしれない。しかし私は7月13日、マードックにBスカイBの完全子会社化を断念するよう促すための審議が行われた下院で議員らが次々と立ち上がり、過去40数年間で初めてマードック・メディアを表立って批判した光景が忘れられない。これをガーディアンのコラムニスト、ジョナサン・フリードランドは「革命」と表現した。「もうマードックと親密過ぎる関係であってはいけない」―そんな危機感が議員の間にあったのだと思う。

 長い伝統を持つ新聞をほんの2、3日の決断で、あっという間に廃刊してしまうのは実に大胆な、そしてある種、残酷な動きであった。一つのブランドとなった新聞は、生き物とも言えるからだ。プライバシー侵害記事で埋められたNOW紙を嫌う人は多いが(その理由に私も同意するけれども)、日曜紙市場でトップの新聞の廃刊は、これを読んでいた数百万人の読者を斬って捨てたのと同様にも感じられた。200余人の制作スタッフにとっては生活の糧が一気に断たれた。

 廃刊による痛み(あるいは衝撃、あるいは嫌いな人にとっては大喜びなどの強い感情)はまだ英国民の中では消えていない。マードックと癒着したことへの痛みとして認識され、サッチャー政権(1979~90年)以来続いてきた1人のメディア王による市場の寡占化傾向に見直しがなされるのであれば、廃刊は結果的には良いことだったのかもしれない。(敬称略)(「新聞通信調査会報」10月号掲載分より)
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by polimediauk | 2011-10-26 16:50 | 新聞業界 | Trackback | Comments(0)

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