小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

FT ドイツから日本を見た記事


過去と向き合う態度

 日本の歴史教科書がきっかけとなって、中国や韓国で反日運動が起き、日本が戦時中の行為に関して謝罪をすべきだという声が再度上がった。日本側からは、「もうすでに謝罪済み」「中国、韓国側の事実認識そのものが間違っている」など、様々な議論が出た。両者共に平行線になってしまったなあ、と思って、流れを追っていた。

 一体、ドイツはどうしたのか?「今」のドイツで一般に認識されている考え方、社会の価値観を知りたい・・と思っていたら、ドイツの日刊紙Der Tagesspiegel紙の論説委員クレメンツ・ウエルギンClements Wergin氏の記事が、5月10日号のフィナンシャル・タイムズに載っていた。

 「歴史と付き合うための、ドイツから日本への教訓」 German lessons for Japan in dealing with historyと題する記事だ。フィナンシャル・タイムズは親欧州で、時々、欧州からの論客の記事も論説面に掲載される。

 日本、中国、韓国間で、どの歴史解釈が正しいのかを、正確に判断するのは歴史家でもないと難しい。ただ、「歴史に対する態度」なら、「過去に十分に向き合ってこなかった日本」という批判は、あたっていると思わざるを得ない。

 ナチドイツの行為と日本の戦時中の行為をイコールにして見るのはおかしい、という指摘も、ドイツ人ならではの視点だと思った。最後が建設的な話になって、心が救われる思いがした。

 (以下は大体の訳です。)

 
「今週、〔対独戦勝記念式典が開催されるので〕ドイツの残虐行為の記憶を扱った記事が、再び世界中のメディアに出た。

 過去は消えていなかったードイツ人にとっても、近隣諸国にとってもーこれが、ドイツ人の大部分が認めることになった事実だ。おそらく、中国全土で反日デモが起き、東アジアの攻撃の歴史をうまく受け入れることができないでいる日本の失敗に対する不満という形で、今年歴史がよみがえってきたことに、日本も驚いてはいけないのだろう。

 韓国人や中国人の一部は、歴史の取り扱い方に関して、日本はドイツを見習うべきだ、という。これは、日本の戦時の行為をドイツのナチの行為のレベルにまで上げさせることになり、やや不公平だ。しかし、何故日本が、ドイツがそうしたように、歴史と向き合ってこなかったのかを問いかけるのは理にかなっている。特に、東アジアの諸国が新たな地域統合の枠組み作りを考えているならば、日本がドイツの経験から学べることことは多いかもしれない。

 丁度中国で反日運動が高まっていた時に、私は日本を訪問した。与党自民党の政治家から、ドイツの経験に関する奇妙なコメントを耳にした。割と若い議員は、ドイツにとっては、過去の歴史を処理することが簡単だったろう、と言った。「何でもヒットラーが悪かった、ということにしておけばいいのだから。日本は、アメリカ人がそう望んだために、天皇制を維持しなけれならなかった(だから、過去の清算は難しかった)」。

 また、町村外相は、ドイツ人はヒットラーをスケープゴートに使った、と言った。「まるでナチはドイツ人ではなかったかのように話して、何でもナチのせいにした」。

 実際は、逆だった。

 ドイツ社会の中で、戦後間もなくは、少数のナチドイツに加わった人たちが戦争犯罪に手を染めたとする考え方があった。1968年の学生ストの頃からこうした考え方は崩壊しだした。学生たちは、ドイツが戦争犯罪での責任を明確にすることを望んだからだ。

 それから40年間、国民の間で熱狂的な議論が起きて、社会の大部分がナチドイツの犯罪の共犯者であったことに、ドイツ人は直面せざるを得なくなった。歴史はドイツの熱狂的トピックとなった。

 過去のことばかりが話題に上る、と考えるドイツ人は多いが、ドイツ人の残虐行為を記憶に残すには、後悔や良心の呵責を持ち続けることが正しいやり方だ、とする考え方が広く社会の中で受け止められている。ドイツのケーラー大統領が「私達には、こうした苦しみを覚えておく責任がある、過去に関する議論に終わりは無い」と述べている。

 過去を思い出し、現在の問題として考えようという社会のコンセンサスが、日本にはないようだ。

 近年、日本の歴史の教科書の中には、南京の大虐殺での戦争犯罪を省略するようなものも出てきた。日本の歴史に対する態度に関する本を書いた、ドイツの歴史家スベン・サーラー氏によると、日本の教科書が、戦争中の行為を以前より批判的に書くようになったのは、1980年代から1990年代の最初の頃だ。この傾向は、今は逆になったようだ。

 日本が何故ドイツとは違うアプローチをするようになったのかには、いろいろな理由がある。一つには、アメリカの指示の下、天皇制を維持することになったこと。これで、戦時中の行為を批判することが難しくなった。

 また、日本への原子爆弾の投下もある。広島と長崎へでの大きな被害のために、日本人は自分たちが戦争の加害者でなく被害者であると思うようになった。

 多くの日本人は、中国人や韓国人の政治家達は、自分たちの政治的目的のために、反日感情を使っている、という。一理ある。しかし、だからといって、日本が過去とどのように向き合ってきたかに関して、不満を言う理由がない、とはいえない。

 歴史を否定するのは国家のプライドに関わる、と思っている保守派のグループが日本にいる。靖国神社を訪問する小泉首相もそうだ。多くの保守派の人たちは、日本の歴史を批判的に見ることは、日本を国際的、対外的に弱くする、と思っている。ドイツの例をみると、こうした懸念は一部あたっている。多くのドイツ人は、ドイツ人であることを何か肯定的なものとしてみることを難しいと感じているからだ。

 一方では、繰り返し過去の歴史を議論してきたおかげで、社会が強くなったという部分もある。ドイツが「普通の国」になるには、必要なプロセスだった。文明国家の仲間として再度認められるには必要な作業だった。

 過去の償いは、ドイツの近隣諸国が、東西を分けた鉄のカーテンがなくなった後に東西ドイツが統一するための、条件でもあった。現在、日本同様に、ドイツは経済力をばねに、政治的影響力を世界で行使しようとしているし、国連安全保障理事会の常任理事国にもなろうとしている。かつて敵国だったフランスや英国がドイツの常任理事国入りに賛成し、かつての同盟国だったイタリアが反対しているのを見ると、戦後、いかに物事が変わったかと思う。

 こうして、政治の世界でも、過去と向き合うという痛みを伴った努力が実を結んでいる。確かに、謝罪は、片一方だけがして成立するものではない。謝罪を受け止める側にも良い態度が必要だ。この点からは、欧州がドイツに対してとった態度を考えると、東アジア諸国の日本に対する態度ははるかに厳しい。

 欧州では、ある合意がある。それは、ドイツが自ら後悔の念を繰り返す限り、近隣諸国は、過去の歴史を政治的道具としてドイツに対しては使わない、というものだ。この点は、中国や韓国も、欧州から学ぶことがありそうだ。

 しかし、アジア地域のねじれた関係を変えていくのは、日本の動きにかかっている。日本はこれまで数十億ドルの資金を東アジアに投資し、経済の活況をになってきた。政治的投資をする時期にきているのかもしれない。

 将来的に近隣諸国からの信頼を得るために、日本は、おそらく、もっと徹底した過去の実態調査をするべきだろう。

by polimediauk | 2005-05-14 07:40 | 日本関連