小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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デンマークの場合 欧州とイスラム 雑感

 デンマークでは、3日、国会の新たな会期が始まった。首相のスピーチの中で例の預言者ムハンマド風刺画に関連することをいうかも知れず、それを聞けるかもしれないと思い、国会議事堂の建物まで歩いていった。

 英国と違うのは、議事堂前をマシンガンを抱えた警察官が見張っていないことだ。議事堂裏口のようなところに人が集まっていたので、自分も並んでみた。何を待っているのかと聞くと、国会開催には女王が来るそうで、みんな一目見ようと待っていたのだった。外側に向かった階段には赤いじゅうたんが敷かれていた。数十人が、物静かに待っていた。

 しばらくして、女王一家が出てきて、プロのカメラマンに混じって、私も思わずデジカメで撮っていると、一段落してから、今度は小学生たちがやってきて、その赤いじゅうたんの上に寝転がって、ごろごろ転がっていく。こういうことをするのが、「慣習」だというのだ。

 なんとも愛らしい光景に見とれていると、文化大臣がデンマーク記者数名の質問にあっている。私も中に入って、「風刺画事件を今はどう思うのか?」と聞いてみた。

 大臣は、「表現の自由を守る、という原則や、メディア報道に対して政府としては中立を守る、という姿勢を維持できたことに満足している。これからも中立の立場を守りたい」、「すべてのイスラム教徒が悪いわけではない。過激なイスラム原理主義の人とではなく、大部分の民主的な、穏健派イスラム教徒たちとともにやっていきたい」。(デンマークでは、こうやって、「分ける」ことが大流行なのだ。)

 私は軽装で、フリースのジャケットにリュックサック姿。突然現れていろいろ聞いても、答えてくれる、と言うのは欧州では基本的に同じかもしれない。

 デンマークではいろいろなことが起きていたが、人の立場によって見方はずいぶん違う。しかし、イスラム教徒の国民に対する警戒感は、1年前の9月30日、デンマーク紙ユランズ・ポステンが例の風刺画を掲載する以前に比べて、強くなったような気がした。いくつかのそれを裏付ける世論調査も、あった人に見せてもらった。

・・・と言っても、例えば国内のイスラム教徒が「とても」生きにくくなっているか、というと、そうでもない。そう書くと、話的にはおもしろいのだろうが。実際、イスラム教徒に国民が最近殺された国(オランダ、英国)での、非イスラム国民のイスラム国民に向ける目と言うのは、やはり言論の自由問題があった国――デンマークーとはまた違う。

 最も希望が持てたのは、若いイスラム教徒の青年たちだった。彼らはほんの一部の人たちなのかもしれないが。デンマークで生まれ育った青年たちはすべてを超越している感じがした。多くが「自分はイスラムのバックグランドがあるだけだ」「自分は世俗分離のイスラム教徒だ」「デンマーク人だ」という。洋服、アクセサリー、仕事、考え方が、先住デンマーク人とまったく変わらない。「ムスリム」あるいは「親がイスラム教国から来た」ということで分けるのが意味をなさなくなる。

 結局、デンマークを筆頭に欧州で幸せでないのは、風刺画を掲載する必要を感じた側なのではないか、と思ったりする。問題は、自分たちの言論の自由が脅かされていると感じている側なのではないか、と。(説明不足で申し訳ないが。いつか論理だてて書きたいが。)

 それでも、ユランズポステンで例の風刺画に関わった人々は今でも警護つきだという。これもまた事実なのだ。

 今人気を集めているのが、デンマーク民主ムスリムネットワークと言うグループ。「民主的な、穏健派のグループ」と言うわけだ。自分たちは原理主義者とは違う、と。これを推進しているのがシリア出身の政治家ナーサ・カーダー氏。彼の知人でネットワークの広報を担当している男性にあった。

 彼は、自分自身、世俗派で、デンマーク人女性と結婚しており、子供もいる。「ムスリムとしてのバックグランドがあるだけ」だそうだ。それでも、風刺画には腹がたったという。「ムスリムは、世俗社会に生きるなら、侮辱を受け入れるべきだ」という、風刺画についた文章の方に腹がたったという。
 
 最近、ユランズポステン紙は、このネットワークのカーダー氏に、「表現の自由賞」を与えたという。

 デンマークのムスリムたちは、「民主的ムスリム」か、「原理主義のムスリム」かどっちかに区分けされることになった。原理主義ではなく、わざわざ民主的と宣言したくもない、多くのムスリムたちは、「あーあ」という感情がある、と聞いた。

 ただの、普通の、「ナントカのナニガシ」ということは、許されない、と言うことだ、もしムスリムなら。

 デンマーク首相の国会演説は、なんと、9・11テロの話から始まった。あれから世界が変わったのだと言う。そう、ブッシュ氏やブレア氏の論理とそっくりなのだ。そして、デンマークはイスラム原理主義者と戦っていかなければならない、というのだった。

 国内向け国会開会の演説で9・11が最初に来るとは、驚いてしまった。
 
by polimediauk | 2006-10-06 05:35 | 欧州表現の自由