小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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トルコとノーベル文学賞

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 トルコに初めて来て、いろいろなことに驚いた。

 英国にいると、というか、英語でトルコの報道を追っていると、ほとんどが否定的なものだ。

 こちらに来て(ほんの)1週間経ち、いろいろな人に生活の具合を聞いてみると、やはり、というか、幸せな人もいるし、欧州では悪名高いのが「表現の自由がない」ということだったが、「そんなことはない」「何でも好きなことを言ってもいいんだよ」などなど。

 今年のノーベル文学賞をとった、パムク氏に関しても、トルコでは文学賞が与えられたことに関して、「当局は複雑な思い(パムク氏がアルメニア人虐殺のことを言っているから・政府はこれを認めていない)だ」などとという報道を英語で読んでいたが、そういういろんな経緯をほとんどのトルコの人は知らないようで(パムク氏のことを知っている人も多くないのかもしれない)が、Aだと思っていたらBだったと現地の人に言われてしまう、という状況があった。

 かといって、Bが正しい、と言い切ることもできないのだが。Bの意見を言った人がどれだけトルコを代表しているかなどによっても変わってくるだろう。

 それはそれとしても、トルコに来て、自分自身の知識や感覚を試されるような部分があった。自分が数年住んできた西欧でもなければ、元々の日本とも違う、全く未知の文化で、言葉も慣習も分からない、と。トルコにはトルコのものさしがあるんだろうなあ、それは一体どんなものさしなんだろう、と。EUが考えるような「こうあるべき」という見方でトルコを判断したくないしなあ、と思った。

 イスタンブールに来て見ると、モスクがもちろん(90数パーセントがイスラム教徒)たくさんあり、朝5時過ぎぐらいには近くのモスクから流れる大きなお祈りの声で起こされてしまう。何世紀も前の建物があるかと思うと、客引きの青年がうるさく声をかけてくる。長年の歴史、豊富な文化がたくさんある都市のように見えた。そして、こういう都市が何故(反語の意味の「何故」だが)EUに入ろうとするのだろう、西欧化する必要など、ないのではないか?失われるものがあるのではないか?

 トルコは、1923年から共和制になったが、それまでのイスラム教の風習を思い切ってどんどん変えていく。服装を西洋式に変え、書き言葉にアルファベット文字を導入し、隠れ家的に存在していた祈りの場所を廃止してしまい、名前も西洋式にみよ字(サーネーム)をつけていく・・・。(詳しい経緯は関連書籍をご参考に!**)こういう経緯を、共和国の創始者のお墓(巨大)+博物館で知った。いわば日本の明治維新のようなものだったのだろうか。それにしても大胆である。

 この荒療治の経緯には、犠牲になった人もずいぶんいるのではないか。イスラム教徒でイスラム風の衣服スタイルを変えない人、秘密の隠れ家のようなところでお祈りを続けている人などがつかまって、場合によっては処刑されたという経緯も、博物館の展示で知った。(記憶をたよりの情報。)

 イスタンブールでなんとなくもの悲しく思っていたら、こういう、失われたものへのメランコリー感覚を書いたのが、ノーベル文学賞パムク氏の最新作「イスタブール」であったということを、トルコの首都アンカラ在住の日本人の翻訳者の方に聞いた。エッセー風なので読みやすい(英語版)。和訳は来年の3月に出るそうである。既に2作品の和訳が出ている。

 ノーベル文学賞の作品は自分には縁遠いと思っていたら、イスラム教世界と西欧の世界との関係などに関して思いをはせた作品を書いたりしていると聞き、大きな関心を持った。例えば、日本の作家谷崎潤一郎が、日本が西欧化する中で、しょせん日本人は西欧人になれないと思い、日本の古典文学に傾倒していく・・・といった件に、パムク氏は共鳴しているのだと言う。

 ノーベル文学賞が突然身近になった思いがした。

 (写真は共和国創始者のアタテュルクの墓+博物館の様子。アンカラにて。)

 
 **(ちなみに、トルコに関して、ウイキペディアはこう書いている。)

19世紀になると、衰退を示し始めたオスマン帝国の各地では、ナショナリズムが勃興して諸民族が次々と独立してゆき、帝国は第一次世界大戦の敗北により完全に解体された。しかしこのとき、戦勝国の占領を嫌ったトルコ人たちはアンカラに抵抗政権を樹立したムスタファ・ケマル(アタテュルク)のもとに結集して戦い、現在のトルコ共和国の領土を勝ち取った。

1923年、アンカラ政権は共和制を宣言。翌1924年にオスマン王家のカリフをイスタンブルから追放して、西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家トルコ共和国を建国した。第二次世界大戦後、ソ連に南接するトルコは、反共の防波堤として西側世界に迎えられ、NATO、OECDに加盟する。国父アタテュルク以来、トルコはイスラムの復活を望む人々などの国内の反体制的な勢力を強権的に政治から排除しつつ、西洋化を邁進してきたが、その目標であるEUへの加盟にはクルド問題やキプロス問題が大きな障害となっている。

by polimediauk | 2006-11-10 05:05 | 欧州のメディア