欧州表現の自由

オランダの恥



 「スレブレニツァ虐殺事件」は、オランダにとって重い意味を持つようだ。〔この町の読み方はいろいろあるようだ。)

 elmoiyさんにご指摘いただきネットを見ると、ヤフーなどから時事通信の記事他が出た。

国連とオランダを提訴=スレブレニツァ虐殺事件の遺族
6月5日6時0分配信 時事通信
【ブリュッセル4日時事】ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦末期の1995年、東部スレブレニツァでセルビア人勢力に虐殺されたイスラム系住民約8000人の遺族が、虐殺を傍観したとして、国連とオランダ政府の責任を問う集団訴訟をオランダ・ハーグ地裁に起こした。
 原告は、オランダに設立された遺族会「スレブレニツァの母たち」に属する遺族約6000人で、国連とオランダ政府の責任を認定するよう求めている。金銭的な補償は求めていない。
 これとは別の遺族10人は、一人当たり2万5000ユーロ(約410万円)の損害賠償を請求している。
 

 おそらく、これに日本の場合の戦後処理・謝罪などに状況的には類似したものを見る方もいて、「お手並み拝見」ということになっているのかもしれない。

 オランダの学者Rudy Andeweg と言う人の書いたオランダ政治の本によると、スレブニツアの事件は、オランダ人にとって、トラウマになっているという。(第2次世界大戦で、ユダヤ人を十分に守りきれなかったことも、もう1つのトラウマらしい。)

 アンデウエグ(ウエフという発音かもしれない)教授によると、使命から戻ってきたオランダ兵に関する調査は不十分なもので、途中で聞き取り資料がなくなったり、オランダ戦争資料機関(Netherlands Insititute for War Documentation=NIOD)の調査の出版が遅れたりなどしたという。

 虐殺から7年後の2002年、NIODが調査結果を報告した。http://www.srebrenica.nl/en/ 政府が明確な目的なしに、「安全」とする場所にオランダ兵を送ったことを厳しく批判した。調査出版から1週間で、時の政府が責任を取って辞職。オランダ政府が、議会の中の対立や政党同士の対立以外の理由で崩壊するのはオランダ現代史上、初めてだったという。約4週間後には総選挙が行なわれる予定だったので、それが早まったことになったが、象徴的な意味があったという。議会も独自の調査を行ったと言う。

 実際、この事件とは何だったのか?この本からの簡単な抜粋だが:

 1992年、ボスニア・セルビア軍によるスレブレニツァ(イスラム教徒の町)の占拠後、国連安保理は、スレブレニツァが「安全な場所」とし、国際連合保護軍の保護下に置くことにした。イスラム教徒の指導者たちも国際連合保護軍の手で非武装化することに合意し、セルビア軍も撤退を約束。

 国連が「安全な場所」としたのは、妥協の産物で、一時的なものであり、多くの国がまだ安全ではないと思っていたという。そこで、他の国はここに国連保護軍の一部として自国の軍隊を送りたがらなかった。クリントン米大統領は射撃の的になると言ったそうである。

 そこで、スレブレニツァを守るという目的で派遣されたのがオランダ軍だった。全体で800人。当時オランダ軍関係者、同盟国、国内の評論家たちは「危険だから送るな」と反対をした。

 しかし、政府としては、エスニック・クレンジングが起きている、戦争犯罪が起きている、という報道を聞き、オランダとして何かをするべきだ、倫理的に何もしないでいるわけにはいかない、という世論を無視することができなかった。

 また、ユーゴスラビアの将来を決める主要国の中に、オランダも入りたいという野望、冷戦後に出来たオランダの「ラピッド・デプロイメント・フォース」という軍隊の力を試したい、という思いも政府側にあったという。

 しかし、総勢800人のオランダ軍は厳しい状況に置かれた。スレブレニツァに入るまでにボスニア・セルビア軍が一帯を支配していたので、食料や武器も含めた供給をボスニア・セルビア軍が牛耳る形になった。スレブレニツァのイスラム教徒の指導者たちは、こんな少人数の軍隊が自分たちをボスニア・セルビア軍から守ってくれるとは信じられず、武器を手放すことをしぶった。食糧確保のために、セルビア軍がいる場所に入って、食料を得る指導者もいた。

 ボスニア・セルビア軍は、国連軍(オランダ兵)がスレブレニツァの非武装化をなかなか進められない様子を見て、「それなら自分たちがやる」と言い出した。オランダ軍はジレンマに陥った。イスラム教徒の非武装化を力を使って行なうほどの軍力がなく、かつ、ボスニア・セルビア軍に対しては相手から攻撃を受けない限り、こちらからは攻撃できない状態に置かれていた。

 オランダ軍は自分たちでリスクをとりたがらなくなり、ボスニア・セルビア軍に人質にされる可能性を怖がった。1995年、誰も支援をする人がいない状態のスレブレニツァは、再度ボスニア・セルビア軍に占拠された。

 当初、オランダ軍兵士が攻撃されなかったということで、オランダ国内で安堵が広がった。オランダ政府高官が〔クロアチア首都〕ザグレブに飛び、祝賀会が行なわれた。オランダのテレビで、ボスニア・セルビア軍の司令官らとオランダ軍が祝杯をあげる場面と同時に、オランダ軍兵士がスレブレニツァの市民を移動させる場面が放映された。次第に、ボスニア・セルビア軍はスレブレニツァの市民を非武装化させただけでなく、殺害していた(男性全員が殺害されたとも言われる)ことが明らかになった。第2次世界大戦以降最大の大量殺戮の1つ、とまで言われた。

(Governance and Politics of the Netherlands by Rudy B Andeweg and Galen A. Irwin より)

 (上はあくまでも抜粋なので、もっと詳しい資料も各自参考にしていただきたい。)
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Commented by elmoiy at 2007-06-09 16:18 x
この事件でのオランダ軍の体たらくですが、どうもイランに拘束された英兵のだらしなさと重なって見えるんですよね。
戦後の教育の影響なのかどうかわかりませんが、責任感や精神的な強さが無くなってしまったのかも。
もちろん、人によっては個人の自由が尊重される生きやすい社会だという人もいるでしょうけど。
Commented by polimediauk at 2007-06-09 16:55
elmoiyさま

オランダ軍のこの件に関する情報は、自分自身詳しくないのですが、
英国の場合「権威の下落」のような状況はあるかと思います。
オランダもある意味そうかもしれません。
1960年代以降の動きで、道徳の規範と言うか、いろんな
権威を、大人側が「これはこうだ!!」と強く出さないというか・・・。
そんなことは「はやらない」ということでしょうか。
非常に自由度が高いですが、果たしてこれからどうなるのか?
by polimediauk | 2007-06-07 21:36 | 欧州表現の自由 | Trackback | Comments(2)

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