小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

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トルコ 表現の自由―3 スカーフ


 8月29日、トルコの新しい大統領の就任式があった。

 大統領が決まるまでに政局は二転、三転した。新大統領は元外務大臣(で、英語が流暢ということで欧州では人気の)アブドラ・ギュル氏である。

 トルコにとって、ギュル氏の大統領就任は大きな意味を持つ。それは彼がイスラム政党出身だから。

 トルコの国民はほとんどがイスラム教徒だが、1923年の共和国としての建国以来、世俗主義・政教分離を国是としている。

 私(トルコに関して新参者)が見たところでは、「国民はイスラム教徒だが、徹底して世俗主義を通そうとしている」部分の苦しさがあるようで、「大変だなあ・・・」と思ってしまう。

 ギュル氏の妻はどこに行くのでもイスラム教のスカーフをかぶるという。これは政治家ギュル氏からすると、困ったことになるらしい。妻でさえも。大統領が国の行事に出席するとき、妻が同伴すると、その妻がスカーフをかぶっていては、「困る」ことになる。

 ギュル氏の妻は、新しいスカーフのデザインを製作させているという。モダンなスカーフの形を模索中のようだ。

 トルコのスカーフ問題に関して、アンカラにある大学の教授(もともとはスエーデンの人)に聞いた話(ベリタでは今年7月掲載)を流してみる。

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ベリタ 2007年07月08日掲載

スカーフ着用をめぐる政治対立の深層 オズダルグ教授に聞く【上】

  イスラム系与党公正発展党(AKP)と世俗主義の擁護者との間で大統領選を巡る対立が政治危機となっているトルコだが、軍をはじめとする世俗派と親イスラム教勢力との闘いは80年前のトルコ共和国の建国以来、継続した動きとなっている。

 国是となっている政教分離主義を脅かす存在の象徴となるのが、国民のほとんどがイスラム教徒のトルコで女性がかぶるスカーフだ。フェミニズムの観点から政治の流れとスカーフ着用の意味を追ってきた、中東工科大学のエリザベス・オズダルグ社会学教授に現状を聞いた。 
 
―都市化とイスラム政党の躍進 
 
 ─現在、トルコでは、世俗主義の徹底のため、公務員や大学生はイスラム教徒の女性がかぶるスカーフの着用を許されていないと聞く。教授の著書「トルコのベール問題、公的世俗主義と大衆のイスラム教」(1998年出版)には、トルコの世俗化がさらに進み円熟すれば、宗教が個人的な領域に属することが広く認知され、どこでスカーフを着用していようと問題にならなくなるとする結論が書かれていた。現状をどう見るか。 
 
 エリザベス・オズダルグ教授:この本を書いた90年代半ばから終わりにかけては、事態がもっと良くなると思ったので明るい展望を書いたが、今はそれほど楽観的ではない。 
 
 ―当時はどのような状況だったのか? 
 
 教授:1994年の地方選挙、95年の総選挙で親イスラム系の福祉党が票を伸ばした。総選挙では20%以上の票を得て最大政党となった。右派の政党とともに1996年、連立政権を発足させた。ところが、イスラム勢力の伸張を快く思わない軍部が97年の2月頃から圧力をかけはじめ、6月に権力を手放すことになった。 
 
 ―何故福祉党が勝ったのか?世俗勢力が強すぎたので国民はあきあきしていたのか? 
 
 教授:それも1つの理由だ。しかし、もっと大きな理由はトルコ社会で起きていた急速な変化だ。都市化が急速に進み、地方から多くの人がやってきて、都市部の労働者階級が増えた。1970年代の初めまでは、人口全体の30%から40%が都市部に住んでいたが、それ以降は4分の3、あるいは70%の人口が都市部に住むようになっていた。地方出身の人々は、伝統的な中流階級の考え方とは異なる後進的な価値観を持っていた。何がトルコかという定義も異なっていた。伝統的な宗教の価値観が政治に反映されることを望み、スカーフ問題はその1つだった。 
 
 一般的に、人が地方から都市部に移り住む時、伝統主義を持ち込むだけでなく自分自身の価値観をもっと認識するようになる。新たな都市部の住民たちは、女性たちはムスリムのスカーフをかぶるべきだと考えた。世俗主義者や(建国の父となったケマル)アタテュルク時代を守りたい人とは、衝突することになった。 
 
 最初のイスラム系政党「国家秩序党」ができたのは1969年末だった。しかし、1971年の3月には軍部が干渉し閉鎖された。1972年には同じ政党だが今度は「国民救済党」として結党。1973年の総選挙では、国政選挙に初めて参加したにも関わらず、政党は12%の票を得て、大きな支持を得て、連立政権が発足した 
 
 こうして常にイスラム系政党への支持が続いてきた。この流れをくむのが現在政権を担当する公正発展党(AKP)だ。 
 
▽「国家の安全保障」問題としてのイスラム勢力 
 
 ―5月の大統領選以降、軍をはじめとする世俗主義者とイスラム系勢力支持者との間の対立が特に目立つ。これまでに2度クーデーターを起こし政権交代の鍵を握った軍部が、4月末声明文を発表し、軍は世俗主義の絶対的な擁護者であると宣言した。イスラム系政党の与党から大統領候補者が選出されればトルコ国家が危険な状態になると述べ、与党の動きをけん制する脅しとして機能した。トルコが民主国家なら、何故軍部のこのような力の誇示が許されるのだろう? 
 
 教授:政治介入のための媒体を持っているからだ。国家安全保障会議だ。これには、軍の司令官と、首相を含め主要閣僚ポストが参加する。国家の安全保障に関わる問題を討議する。しかし、「国家の安全保障」とは何か?様々な定義があるだろう。もしトルコのイスラム主義者を戦闘的組織と定義すれば、国家の治安への脅威ともなる。超世俗主義者たちはイスラム系勢力をそう定義したがる。 
 
 ―イスラム文化の奨励という面ではどうか? 
 
 教授:1997年2月、安全保障会議はイスラム教の導師(イマーム)を教育する学校の数を減らすことを討議した。当時の政府が、文化政策の一環としてイマームを育てる学校の設立を奨励していたからだ。軍と世俗主義者は、このような学校の奨励は反動的なイスラム主義がトルコで権力を握ろうとしている証拠だ、と解釈した。そこで、安全保障会議は政府に対しこの問題で圧力をかけた。政府は連立政権だったので、こうした学校の設立を好ましく思わない人も一部にいた。数ヶ月圧力を与え、時の政権が崩壊してしまった。 
 
 スカーフ問題は、トルコの世俗主義を巡る対立で象徴的な問題だ。宗教教育の問題でもある。 
 
―大学ではスカーフ着用の自由はない 
 
 ―国立の大学ではスカーフをかぶってはいけないことになっていると聞くが? 
 
 教授:そうだ。私立の大学もそうだ。全大学が高等教育委員会の監督下にある。スカーフをかぶらないようにというのは規則であって法律ではない。政府機関で働く場合、勤務者には特別規制が課され、イスラム教のスカーフはかぶれなくなる。 
 
 実は、1982年以前には大学ではスカーフに関わる規制はなかった。必要がなかったからだ。誰もスカーフをかぶって大学に来る人はいなかった。イスラム復興運動が拡大し、スカーフをかぶる学生が増えたので、大学でスカーフをかぶらないようにという規則が導入された。それが1982年だった。 
 
 ―教師もかぶってはいけないのか。 
 
 教授:そうだ。教師はもっとかぶるのが難しい。 
 
 ―もし学生がスカーフをかぶっていたらどうなるのか。 
 
 教授:教師あるいはスタッフは懲罰委員会にこれを報告する義務がある。学生は警告を受ける。もし行動を改めないと、第2、第3の警告が出る。それでもスカーフをかぶり続ければ、大学から追放される。 
 
 1980年の軍事介入で政権が交代し、1980年代には一種の解放的な気分があった。最初の選挙は1983年だった。祖国党と呼ばれる政党が勝利した。党首はトルグド・オザルというリベラルな人物で、宗教熱心でもあった。オザル氏はすべてにおいて自由化を進めようとしたが、1993年、心臓病で亡くなった。その後、女学生を擁護するために発言をするほどの勇気がある人はいない。 
 
 現在、状況はかつてもよりも厳しい。私が本を書いた時は、スカーフ問題が解決できると信じていた。そうはならなかったが。 
 
 ―何故女学生はスカーフをかぶりたいと思うのか。 
 
 教授:イスラム教の教えが、女性にスカーフをかぶることを勧めていると解釈しているからだ。身体を覆い、信心深く見えるような装いをすることを宗教上の義務だと思っている。そういう風にコーランを読み、イスラム教の1つの伝統だと思っているからだ。 
 
 ところがトルコの一部の人は、特に世俗主義者たちは、スカーフの着用は宗教上の表現ではなく、戦闘的イスラム教を表している、と見なす。「我々とは異なる、非世俗主義的体制を導入しようとしている」、と。学生たちは普通の女性であることを示そうとしているのだけなのに。 
 
―世俗主義者たちの矛盾 
 
 ―スカーフをかぶらない女学生たちは、スカーフをかぶる女学生たちのことをどう思っているのだろうか。 
 
 教授:私が書いた本の表紙の写真には女学生が写っていて、スカーフをかぶっている学生も、かぶらない学生も一緒に座っている。学生同士では問題にはならない。 
 
 問題は教師たちだ。世俗主義を非常に固く信じている。教師は、スカーフをかぶる女学生を攻撃したり、スカーフを脱ぐように強制する。 
 
 ―教師たちは、イスラム教信奉者たちがトルコの近代化の進展を妨げていると見なすのだろうか? 
 
 教授:そうだ。そういう論点で議論を進めている。イスラム系グループを「反動者」と呼んでいる。現実に全く即していない。 
 
 トルコにも確かに反動者たちはいる。しかし、この大学では、女学生が専門職に就くために近代的な教育を受けている。この点だけをとっても、反動者ではないことが分かる。このような女性を反動者と呼ぶのは、論理が破綻している。 
 
 何故スカーフをかぶるのかに関しては、いろいろな説明がある。兄弟や父親に強制されている、(厳しい戒律のイスラム教宗派を国教とする)サウジアラビアかあるいは他のイスラム諸国からお金をもらってかぶっている、など。お金をもらう代わりに住居費の援助を受けている、奨学金をもらっているなど。 実際、こういうことをする団体が存在する可能性はある。 
 
 しかし、この本を書くために学生たちと話をし、その後調査を継続すると、学生は自分の意思でスカーフをかぶることを決めていることが分かる。専門職に就くことを強く望んでいるのに、大学ではスカーフ着用禁止令があるという奇妙な事態になっている。 
(つづく) 

by polimediauk | 2007-08-31 01:38 | トルコ