小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

英陪審制とメディア報道(下)

 日本に一時帰国し、夜中NHKの地球温暖化の取り組みの番組(おそらく再放送)を見ていたら、最後に、「日本はどうするべきか?」という議論があった。いわゆる「国際社会」の中での日本の戦略を識者が語る、という体裁を取っていた。

 番組の最後の方しか見なかったので、全体を見ない中での感想になるが、「日本はもっとがんばらなければ」、「世界に素通りされてはいけない」など、発言力を増大させるにはどうしたらいいのか、という論調と、「もっともっと(国内で)省エネをしよう」という論調があった。

 もし「国際」+「環境(地球温暖化)」ということで考える・議論をするなら、「中国やロシアをどうするか」、あるいは環境に配慮した経済成長を考慮に入れるひまのない開発途上国はどうするか、という話もあった方がいいのだろうし、不思議だなあと思って見ていた。中国、ロシアを日本がどうやって支援するのか、とかの方が、もし「発言力を増す」のが目的なら、よっぽど効くのではないかと思ったり。(もうやっているとは思うが。途上国の支援は。)


―英陪審制と報道とのかかわり (下)

―陪審員への取材も敢行

 英メディアは様々な規制に果敢に挑戦しながら、報道の自由の範囲を広げてきた。裁判報道を規定する法廷侮辱罪の場合も例外ではない。ライバル社との熾烈な競争の中、法の網の目を潜り抜け、時には違反の罰金を払いながらもこれをむしろ一種の勲章として報道を続けてきた。また、報道機関として根幹にある「真実の追究」も挑戦の原動力の一つだ。

 真実の追究への努力が実ったのが、BBCのドキュメンタリー番組「パノラマ」の例だった。BBCの女性キャスター殺害で有罪(2001年)となり、現在終身刑で服役中のある男性は、無罪を主張してきた。06年9月、自分自身が無罪の罪で服役経験のあったBBCの記者が、裁判で陪審員だった2人から事件の感想を聞き、「パノラマ」で放映した。1人は実名で登場した。これが1つのきっかけとなり、07年6月、刑事事件再検討委員会が、事件に関連して新たな情報があるとの判断を示し、同年秋、控訴院は今年再審理を開始することを決定した。

 これに先立つ05年3月、ロンドンの地下鉄工事を巡る汚職裁判が21か月の長丁場の後で停止となった。BBCラジオは停止から3ヵ月後、陪審員の一人から申し出を受け、ストレスに苦しんだと訴えるインタビューを実名で伝えた。 陪審員への取材・報道が実現するのは非常にまれだった。裁判終了後も評議内容について守秘義務が課される陪審員だが、感想については話すことには規定がなく、侮辱罪適用はなかった。

 もしメディア側が侮辱罪の規制をそのまま、あるいは厳しく解釈し、陪審員への一切の取材を自ら遮断していたら、途中で停止されてしまった地下鉄汚職裁判の実情への理解、キャスター殺害事件の再審実現が遠くなっていた可能性は高い。「真実を外に出したい」というメディア側の粘り強い信念があってこその快挙と言えよう。

―侮辱罪法見直しの動きも

 法廷侮辱罪の見直しがある場合、1つの焦点となるのが陪審員に対する報道のあり方だ。

 スマート氏は「陪審員の匿名性の厳守で自由な議論が保証される。陪審員制が英国の司法審理の公正性の根幹となっている」とし、現行維持を支持するが、ロンドン・ゴールドスミス大学でメディア史を教えるティム・クルック講師は、「陪審員は裁判官や証言者と同様に、公的業務に就く。その基本的個人情報が公開されるのは当然」と考える。しかし、これが実現しないのは、司法制度の議論よりも、英社会の中で「プライバシー保護に関しパニック的反応が起きやすいのと、評決に恨みを持った人物に復讐される可能性があるからだ。また、政府は陪審員制度の維持に必死で、広い支持が得にくい要求は出さないだろう」。氏は、陪審員に関する唯一の規則として、裁判が終了し、量刑が出るまで陪審員が事件に関して外部に情報を出さないということだけで良いのでは、と主張する。

 メディア団体「ソサエティー・オブ・エディターズ」のボブ・サッチェル代表は、報道が陪審員にどのような影響を与えたかに関する調査を重要視し、法廷へのカメラの導入も目指すべき、と考える「報道規制は少なければ少ないほうがいい。どんな規制も言論の自由を狭めることになる」。

 研究目的での評議内容の調査さえも不可の英国だが、同様の陪審制を持つニュージーランドで2000年実行された300人余の陪審員に対する調査によると、一部の陪審員が法律の概念を間違えて理解していたり、証言内容の信憑性に関して疑念を持っていたなど、今後の司法審理を向上させるためのヒントが得られている。

 裁判終了後、事件の全貌公開を望む声も根強い。調査報道ジャーナリスト、ボブ・ウイッフィデン氏は、陪審員を介さず、「密室裁判」となっている家裁審理の評議内容やテロ事件、またロンドン東部で起きた警察の汚職事件の全貌など「審理終了後、未公開のままとなっている事件があまりにも多い」と指摘している(「ブリティッシュ・ジャーナリズム・レビュー」誌、VOL18,No.2、2007」)。

 説明責任度の高い裁判制度の存在は民主主義社会の基盤であろう。審理内容の全貌公開やメディア報道の陪審員への影響に関する調査が近く進むことを願う。

 最後に、英国の裁判報道を調べる中で、日本の裁判員制度と報道の行方に関心を寄せている人々が英メディア、法曹界に少なからずいたことを記しておきたい。その中の一人、クルック講師は、日本には、英国の法廷侮辱罪に相当するような報道規制は必要ないと見る。裁判員は裁判官と一緒に評議を行なうことになるため、裁判官のプロフェッショナリズムや厳格さに助けられ、偏見を与えるようなメディア報道があったとしても裁判の審理過程で無視されるのではないか、と分析する。「それぞれの国には独特の国民性や文化がある。日本人は何事も一生懸命やろうとするから、もし裁判員に選ばれたら、悪意のある報道がかつてあったとしても、法廷での証言を下に公正な 判断を下すことに力を注ぐのでないか?」

 日本の法曹界やメディア界が裁判員制度を巡る報道環境に関してどのような結論に達するにしろ、その動向を国外の関係者も注目していることは確かである。日本の例を英国でも採用しようという動きとなる可能性もある、と私は見ている。(終)
 
by polimediauk | 2008-02-25 05:21 | 英国事情