小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

風刺画論争後のデンマーク 8

 2003年のイラク戦争開戦から、今年3月19日―20日で5年目となる。BBCやチャンネル4は5周年ということでイラク特集を始めている。

 BBCのニュースで気づいたのが、もう既にそうなってずい分時間が経つのだろうが、イラク戦争は「米国主導のイラク侵攻」US-led invasion to Iraqになっていること。「侵攻」という言葉を使うと、ある国(地域)に不当に武力攻撃をかけた意味合いが出るだろう。宣戦布告なしに、勝手に侵攻したニュアンスが。

 2003年当時、それから1-2年ぐらいは、侵攻という言葉を使うのにためらいがあったような気がする。すっかり変わってしまった。

 以下は、デンマークのムスリムたちのインタビューの最後である。本当にこういう人がこれからを担うのだろうなと思う。デンマークに関しては、だが。デンマークで生まれ育ち、信仰深いが、パキスタンなど他国のイスラム教徒とは全く違う考えを持っている人たちだ。(掲載が07年であったため、今年=2007年、昨年=2006年などになっていることにご留意ください。)

2007年01月26日
日刊ベリタ掲載
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200701261317135
「少数派を攻撃する表現の自由はデンマークの伝統ではない」とイスラム教徒の若者イクバル氏

風刺画論争後のデンマーク 8_c0016826_17415155.jpg(コペンハーゲン発)カムラン・イクバル氏(29歳)は米国系大手ンピューター会社に勤務するITエンジニア。両親はパキスタンからデンマークにやってきたが、本人はデンマークで生まれ育った。英国中部バーミンガムでの留学経験もある。MUNIDA(デンマークの若いイスラム教徒の集団)のメンバーで、昨年秋、イスラム教の預言者ムハンマドの生涯を書いた本を仲間とともに翻訳して出版した。そのような若いイスラ教徒デンマーク人として、彼は風刺画事件が浮き彫りした移民の融合や表現の自由をふくめたこの国の将来をどのように考えているのだろうか。
 
イクバル氏とは、前回紹介したアーマド・カーシム氏と同様、ユランズ・ポステン紙のムハンマド風刺画を持って中東諸国を回ったアブラバン導師がいるコペンハーゲンのモスクで会った。 
 
▽民主主義はイスラムの価値観と同じ 
 
―デンマークと英国に住んでみてどうだったか? 
 
イクバル氏:非常に違う感じがした。ここで生まれたのでデンマークに関しては何が起きているか全てが分かる。デンマークの方がいいと思った。 
 
―英国にはインドやパキスタンから来た移民が多いので、パキスタン系英国人と思われたのでは? 
 
イクバル氏:英国でどこから来たかと聞かれ、「デンマーク人だ」というと、「そうか、デンマーク人か」ということで質問は終わった。ところがデンマークでは、移民がこの国に来るようになってからまだ年月が浅いので、自分はデンマーク人だと言っても「で、本当はどこから来たの?」と聞かれるんだ。英国ではそんなことは全くなかったのに。移民の社会融合のレベルが違うのだろう。 
 
―MUNIDAには何人ぐらい所属しているのか?活動内容は? 
 
イクバル氏:大体100人位いて、集まってサッカーをしたり、泳ぎに行ったり。このモスクにはたくさんイスラム教に関連する本が置いてあるのでイスラム教について一緒に学ぶ。5年か6年前から活動している。 
 
 学校や企業などに出かけてイスラム教やムスリムに関して講演をしたりする。企業側から来て欲しいと言う依頼がくることもある。 
 
 私たちの大部分はデンマークで生まれ、デンマーク語を母語として話すので、先住デンマーク人とイスラム教徒のどちらの立場も分かる。イスラム教は私たちが生まれ育った生き方だし、デンマーク社会も知っている。私たちにとってはこの2つは同じことだ。外に出て自分たちの状況を説明することで、この社会の構成員全員がより心地良く生きる助けになればと願っている。 
 
―イスラム教徒として西欧社会に住むことで何か対立を感じることは? 
 
イクバル氏:ない。基本的に、イスラム教の価値観は世界共通の価値観だと思っている。民主主義の価値観でもある。民主主義とはデンマーク人が新たに発明したものではない。世界共通の価値観だ。 
 
―男性と女性が職場でともに働くことに関してはどうか? 
 
イクバル氏:職場では男女は全く平等だ。つまり、女性は私よりもプロフェッショナルだ。例えばMUNIDAが手がけた預言者ムハンマドの生涯についての翻訳本を作る作業で、私たちはチームとして働いた。誰かが翻訳して、誰かが間違いを直したりした。女性たちの何人かは男性たちの何人かよりももっとプロフェッショナルだったと言わざるを得ない。何の問題もない。 
 
―しかし、イスラム教徒の男性の中には女性は家にいるべきだ、と考える人もいるが。 
 
イクバル氏:女性を家に置いておくというのはイスラム教の価値観とは思わない。確かに、女性たちは家で例えば子育てなどをしている。男性も家事はできるが、私は赤ん坊に授乳することはできない。女性がやる方が自然であることもあるし、女性が仕事をすることには何の問題もない。 
 
▽風刺は権力者に向けられるべき 
 
―本について教えて欲しい。 
 
イクバル氏:インド人の著名な作家でサフィル・レーマン・ムバラクプリという人が書いた預言者ムハンマドに関する本があって、これをMUNIDAでデンマーク語に翻訳した。この作家はムハンマドの自伝を書いてきた人で、サウジアラビアの大学で百科事典を作る仕事をしている。 
 
 昨年2月から3月にかけて、風刺画事件が世界中で大きな問題となった時、デンマークをよりよいものにするために私たちができることはないのかと考えた。それで、私たちはムハンマドを尊敬しているので、これを伝えることができないかと考えた。何故私たちがムハンマドを尊敬するのかを書いたら、人々がお互いをもっとより良く理解できる、と。それでデンマーク語への翻訳を思いついた。本の題名は「月が割れた時」だ。オリジナルは英訳もされている。 
 
―12枚の風刺画がユランズ・ポステンに掲載された時、あなたにとって衝撃だったろうか? 
 
イクバル氏:ショックだったし、失望した。問題の風刺画には相手に対する敬意の念が欠けていると思ったからだ。私たちはデンマークの少数派だ。デンマーク国内でイスラム教やイスラム教徒に関する議論は非常に否定的なものが多い状態が長い間続いてきた。それに加えて風刺画が掲載されたので、さらにがっかりした。 
 
―あの風刺画の掲載理由として、デンマークでは表現の自由の伝統がある、と言われたが。  
イクバル氏:違う、それは理解できない。私たちには人を傷つける伝統はない。そういうことが問題なのではない。 
 
 風刺画は、通常、権力を持つ人を風刺するために使われる。例えばデンマーク首相が風刺画に描かれる。首相には権力がある。私たちとは違うんだ。説明が難しいが、私たちはデンマークでは少数グループだし、少数派を攻撃するようなこういう形の表現の自由はデンマークの伝統ではないと思う。全く無目的の挑発行動だったと思っている。 
 
―ユランズ・ポステンも、それから風刺画を再掲載したドイツの新聞も掲載は表現の自由のためだったといい続けている。 
 
イクバル氏:しかし、デンマークでは誰も表現の自由に挑戦していなかったんだ。風刺画事件の前でも後でも、誰も挑戦していないんだ。だから何故ああいうことをしたのかと思ってしまう。 
 
 私とMUNIDAにとって、平和的に、調和を保ってお互いにこの社会生きるにはどうするかが重要だ。私を殴ってから、尊敬してくれと言われてもできない。私に尊敬してほしかったら、まず私を尊敬することだ。そうすれば、私も相手を尊敬する。その後で私たちはお互いを理解するように努め、話をすることができる。こんな風に、「風刺画を掲載できるぞ、私はあなたよりもっと力があるんだぞ、だからあなたを殴るぞ」、という形ではだめだ。あまり前向きの考え方ではない。 
 
▽カーダー議員には違和感 
 
―風刺画をきっかけに、デンマークのイスラム系国民の一部は過激化したと思うか? 
 
イクバル氏:そうは思わない。イスラム系国民といっても様々だ。私はここで生まれて教育を受け、MUNIDAの仲間もそうだ。ところがデンマークのイスラム系国民の一部は難民だ。例えばパレスチナ、レバノンなどから来ている。戦争が起きているような場所から来た人もいる。全員が同じというわけにはいかない。 
 
 デンマークに来たばかりの人の場合、この社会に欲求不満を感じているかもしれない。私も風刺画を見て苛立ちを覚えたが、本を出すなどが私の怒りの表現方法だ。しかし、表現方法が違う人もいるだろう。例えば、祖国での生活が尋常ではなかった場合、何か暴力的行動に走ったとして、だからといってイスラム教徒全員がそうだとは言えない。特殊な状況にこういう人たちはいたのだから。 
 
―風刺画事件の後、デンマークに住むイスラム教徒は生きにくくなったと思うか? 
 
イクバル氏:それほど大きくは変わっていないと思う。私はここで生まれ育ったからデンマーク社会の価値観を知っている。私が通っていた学校はすぐそこだし、ここら辺で全生涯を過ごした。でも、デンマーク国民全員がイスラム教とはどんな宗教かを知っているわけではない。 
 
 自分の個人的な体験から言うと、イスラム教に関して不満を言っている人は多くない。ただ、風刺画事件はあまりにも大きく報道されたので、人々の心に印象深く残っている。この本でイスラム教徒はどんな人たちなのかを知って欲しい。助けになって欲しい。平和的に暮らすには、互いに良い対話をすることで、そのためにはお互いの価値観を知ることだ。 
 
―「民主ムスリムネットワーク」を結成した、自分自身もイスラム教徒だったナッサー・カーダー議員をどう思うか? 
 
イクバル氏:彼には自分が達成したい目的があるのだろうと思うが、カーダー氏は自分たちを代表していないと思う。 
 
―どういう意味で?「穏健派ムスリム」を代表しているはずだが?あなたも穏健派ではないのだろうか? 
 
イクバル氏:分からない。自分のことは「穏健派ムスリム」だと思っていない。ムスリムかと聞かれればそうだし、穏健でもあるが。イスラム教は穏やかな宗教だと思う。過激主義が入り込む余裕はない。だから、私にとっては、まるで火と水を並べられたようで、過激主義とイスラムとはぴったりこない。 
 
 自分のアイデンティティーでは、私にとってはムスリムであることが最初に来る。でもデンマークに住むことに何の問題も感じない。ITエンジニアという仕事があるし、仕事が好きだし、職場の仲間も好きだ。お互いによく話すし、何の問題もない。今までずっとそうだった。何の問題もなくここで仕事ができるし、信仰を実践するムスリムでもある。お祈りをし、ビールなどのアルコールはとらない。ところが、カーダー議員を見るとムスリムという感じがしない。だから私を代表していない。 
 
―あなたを代表するような人が政治家になれば良いと思うか? 
 
イクバル氏:できればね。誰か私の考えを共有するような政治家がいればいい、と思う。しかし、その政治家がイスラム教徒である必要はない。既にたくさん良い政治家がいるし、ムスリムに関する問題を考えてくれる人がいる。良い政治家だったら、イスラム教徒であるかどうかは関係ないんだ。 
 
          *** 
 
 インタビューはイクバル氏の仕事が終わった後に行われたので、取材後にモスクを出ると、既に外は真っ暗だった。近くのバス停まで送ってくれたイクバル氏と話しながら、イスラム教徒であることと欧州の価値観との間の対立を感じないという言葉を思い出していた。 
 
 イクバル氏が通うモスクのイマーム、アブラバン師は風刺画を見て侮辱を感じ、「アドバイスを求めるため」母国のエジプトを始め中東諸国を回った。同じ風刺画はイクバル氏にとっては「失望」だったが、彼と彼の仲間は、イスラム諸国に共感を求めて出かけるのではなく、旗を焼くのでもなく、裁判に訴えるのでもなく、預言者ムハンマドの本をデンマーク語に訳すことを選択した。 
 
 欧州社会の中で彼らのような新しいイスラム教徒の世代が増え、アブラバン師に代表される言わば旧世代のイスラム教徒が世代交代をして消えてゆくとしたら、表現の自由の信望者たちは挑発する相手を失うことにもなるのではないか。だとすれば、現在起きているような「表現の自由」、「価値観の違い」を巡る摩擦は自然に消えていくことになるかもしれない。(この項、おわり) 
by polimediauk | 2008-03-17 17:42 | 欧州表現の自由