小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

移民と英国社会の関係、「血の川」演説

 先月、3週に渡り、チャンネル4「ディスパッチ」が移民の話を特集した。元BBC記者でソマリア出身ラゲー・オマールがプレゼンターになった。全国各地を回り、移民が増えた場所で衝突が起きたり、「もう自分の国じゃないみたい」という人(その人自身が移民であったりもする)の声を拾った。

 その中で、まず、英国では移民というとネガティブな見方をする人もいるのだが(仕事が奪われる、あるいは習慣が違うなど)、それはインド亜大陸(インド、パキスタン、バングラデシュなど)から50年ほど前に来て移民になり、家族を自国から呼んでどんどん増えてゆく、という過去があったためではないか?という指摘があった。こうした認識をもとにして、「外から来た人はそのままい続ける」という見方が圧倒的になったけれども、実は、最近はそうではなく、「働きに来て、2,3年いて、去ってゆく人」つまり、「グローバルな働き手」が多いのではないか、と。自分のことを振り返っても、あるいは日本の多くの人がそうかもしれないけれど、一生英国に住むつもりかというと、そうではない。「たまたま、今いる」だけである。

 この番組と前後して、いろいろ移民に関する報道があったのだけれど、それには理由があった。移民の増加が英社会に与える影響を問題視した、イーノック・パウエル故保守党議員の「人種差別的」演説が行なわれてから、丁度40年が経っていたからだった。社会に融合しない移民たちと非移民との間で暴力事件が起きる、と議員は警告した。多文化社会となった英国だが、それぞれの移民コミュニティーのゲットー化が指摘され、東欧からの移民が一部労働者の職を奪う存在として見なされている。パウエル氏の演説は果たして将来を予見していたのだろうか?(以下、「英国ニュースダイジェスト」最新版に加筆。)

「血の川」演説から40年
 移民と英国社会の関係は?


―カレー屋の願い

 4月20日、カレー屋で働く従業員数千人がロンドン・トラファルガー広場に集まった。35億ポンド(約7270億円)相当の規模を持つ英カレー業界は労働時間が長い業種で、人手不足に悩む。バングラデシュを中心にインド亜大陸出身の移民の労働力に頼る。それだけに、不法移民摘発に力を入れる移民当局の格好の標的になっている面があった。今年から段階的に始まった「ポイント制」新移民受け入れ制度で、カレーを作るシェフに一定の英語力や教育資格を求めるようになったことも打撃となった。「移民の就労規定を緩めて欲しい」、「このままでは業界が成立しなくなる」―広場に集まった従業員らはこう訴えていた。

―「ゲットー」化?

 カレー屋の従業員のデモが起きた先月20日は、イーノック・パウエル故保守党議員が、移民の急増を恐怖視した「血の川演説」と呼ばれるスピーチを行なってから丁度40年目となった。

 議員は演説の中で、移民拡大により街中で暴力事件が起きることを「血の川」に例えた。古代ローマの詩人ブブリウス・ヴェルギリウス・マロが書いた、トロイア滅亡後の英雄エイネウスの遍歴を書いた叙事詩「アエネイス」の中で、預言者シビルが「(ローマの)ティベル川が大量の血でいっぱいになる」と述べた部分を引用した。パウエル議員は「人種差別的」行動を取ったということで、影の内閣の職を下ろされている。

 演説を少し詳しく見ると、例えばこういう箇所があった。「選挙区のある男性がこう言った。『お金があったらもうここには住みたくない・・15年か20年後には黒人が白人を動かしている』・・・これは何千人、何万人の国民が考えていることだ。」。「年間5万人もの移民扶養者の入国を許しているなんて、我々は気が狂っている、文字通り気が狂っている。・・・自分で自分の火葬の準備をしているようなものだ」。「大部分の移民は社会に融合しておらず、一部は人種や宗教上の違いを強めることに関心を持っている。最初は同じ移民同士をそして全国民を支配するために、だ」。「不吉な前兆が見える。ローマ人が言ったように、『ティベル川が血で一杯になる』情景が見える」――。

 英国の移民人口比率は現在、約12%に上る。「移民=恐れるべき存在」としたパウエル氏の言説を、今一蹴するのは簡単だが、「大部分の移民は社会に融合していない」という指摘は一面の真理をついていると言えなくもない。人種あるいは出身地を基盤にしたコミュニティーが各地でできあがっており、「何十年も英国に住みながら英語を話せない」という移民たちもいる。また、有色人種の移民たちが次第に大多数となり、少数派になった白人英国人たちが「自分の生まれた国に居るとは思えない」と漏らす地域もある。

 2004年、欧州連合(EU)が東欧諸国を含む27カ国に拡大し、新規加盟国ポーランド、スロバキア、ハンガリーなどから、若く教育程度も高い移民が英国に渡ってくると、新たな問題も生じた。EU内は人の移動が自由であるため、移動数には政府のコントロールが効かず、地域によっては前触れなく増加した移民の生徒たちに学校側が悲鳴を上げる事態が生じた。多くは単純作業に従事する東欧諸国からの移民たちは、低所得・単純作業に従事する英国の労働者を脅かす存在だ。

 BBCのニュース番組「ニューズナイト」が1012人の白人英国人を対象に調査したところによると、階級によって移民感情は微妙に異なる。例えば、白人労働者階級の52%が「移民は悪いことだ」、42%が「良いことだ」と答えたが、白人中流階級で「悪いこと」としたのは 33%、「良いこと」は62%に上っている。階級分けは番組が行ったもので、労働者階級とは熟練肉体労働者、単純作業者、社会保険受給者などで、中流階級とは専門職従事者、事務職、課長職などだった。

 一方、4月上旬、上院経済小委員会は「移民の経済的影響」と題する報告書を発表した。これまで、政府は移民による経済効果の大きさや利点を強調してきたが、報告書は、「移民の急増は英国人の経済生活に全くあるいは殆ど影響をもたらさない」と結論づけた。雇用市場の競争により、低所得で技術取得度が低い若者層が割りを食い、高い住宅価格をさらに押し上げているとも指摘した。

 小委員会は移民受入数に一定の制限をつけるよう提唱したが、ブラウン首相は「制限はつけない」とし、あくまでも「移民がもたらす経済効果は大」という方針を貫く。EU加盟国として域内の人の移動を停止できない以上、制限は限定的なものになるが、IPO-MORI社の調査では、移民や人種問題が最も重要と答える人の割合が90年代後半の10%弱から現在の40%に急上昇している。移民の子供の増加に対応を迫られる教育現場、東欧からの新移民に圧力をかけられる低スキル・所得の白人層への配慮など、個別分野への具体的な政府の施策が強く求められている。

*参考資料:英国の移民の現状を理解するには、上記の上院経済小委員会の報告書がよいようだ。House of Lords: Select Committee on Economic Affairs, The Economic Impact of Immigration Volume 1: Report

ー英国への移民の歴史と主な規制

1814-1910:大英帝国時代、最高時で世界の人口の3分の1が支配下に。当時の植民地諸国、特にカリブ諸島、インド亜大陸からの移民が続く。多くが単純作業を行う労働力として使われる。
1900-30頃:少数の黒人系移民と白人住民との間で衝突事件が、複数回起きる。
1947:インドが独立し、英国への移民が増える。旧植民地国は独立しても英連邦の一員であれば、英国で移民として働き、生活することが可能だった。
1948:主にジャマイカからの移民を乗せた「ウインドラッシュ」号がロンドン・ティルバリー港に到着。大量の有色人種の移民の開始年とされる。
1950:ロンドン・ノッティングヒルで有色人種移民と白人住民の間で衝突事件。
1962:英連邦移民法成立。旧植民地国出身者に移民規制が開始される。
1965:人種差別を禁止する人種関係法が成立。(後、何度か改正される。)
1968: 政治家イーノック・パウエルによる、移民の増加を危険視した「血の川」のスピーチが物議をかもす
1972:英連邦諸国出身者でも労働許可証を取得するか、あるいは英国生まれの親か祖父・祖母を持つ人にみ、移民としての入国が許可されるようになる。
1973:欧州共同体(現在の欧州連合EU)に加盟。加盟国内では人の往復が自由になる。
1980年代:ロンドン・ブリックストンなど数ヶ所で、人種差別に端を発した暴動が発生。
1983:新・英国国籍法が発効。親が英国に住んでいる場合でも、その子供に自動的に英国籍は与えられないことになる。
2001:イングランド北部ブラッドフォード、北西部オールダムなどで人種差別を巡る暴動発生。米国で大規模がテロ発生し、イスラム教徒移民への偏見強まる。
2004:EUが15カ国から旧東欧諸国を含む27カ国に加盟国を増やす。ポーランド、ハンガリー、スロバキアなどから移民が増える。
2005:イングランド中部バーミンガムでアジア系移民同士の暴動発生。7・7ロンドンテロ起きる。イスラム教徒の移民青年たちが実行犯であったことで、社会全体に衝撃走る。
2008:1月、英国教会の司教が、イスラム教過激主義のために国内に無法地帯ができていると発言。2月、ポイント制を柱とする移民受け入れ制度が部分的に開始。4月、上院委員会が「移民が経済的恩恵をもたらす」説を否定する報告書を発表。同月、国境警備庁が発足。

ー関連キーワード 
POINTS-BASED SYSTEM: 新たな移民受け入れ制度の柱となる「ポイント制」。英国内で就労を望む、欧州経済領域(EEA)以外の国・地域出身の全ての労働者が新制度の対象者になり、5種類の区分(英国経済に貢献する高技能者、国内で不足する技能を持つ者、特定の低技能労働者、学生、一時就労・文化交流など)のいずれかで必要とされるポイント=点数を満たさないと入国不可となる。点数化の対象は、個人の学歴、資格、収入、英語力など。今年2月から部分的に適用され、09年までに完全実行の予定だ。英国籍保持者の家族あるいは難民はポイント制の適用外となる。

 それと・・・・

 最後の最後になって何だが(ここまで目を走らせてくれて、ありがとう!)、生まれた国で、気づいたら、自分が少数民族だった、というのはどんな感じなのだろうか、と時々考える。英国で生まれたが、親がパキスタンからの移民だった人とか。ロンドンでテロを起こした数人の男性たちのように。自分が社会のメインストリームから大きくはずれたところに生きていると、知った時、メインストリームの価値観になじめないとき、共感をもてないとき、どうなのだろうか、と。「いやだから他の国に行く」ということができない時は?「心から自分の国だとしっくり思える国がない」時は??

 少なくとも私には日本がある。どこかにシンパシーを感じる国が。

 欧州の移民問題について考える・書く時、こんなことにいろいろ思いをめぐらせる。

by polimediauk | 2008-05-06 06:08 | 英国事情