ネット業界

「サイバージャーナリズム論」-日英の「ジャーナリスト」論考

 「サイバージャーナリズム論」(ソフトバンク新書、2007年)と、映画にもなった小説「クライマーズ・ハイ」(文春文庫)を読んだ。

 前者は「新聞はなくなる日」を書いた歌川冷三氏(元毎日記者)と、ネットではおなじみの湯川鶴章氏、佐々木俊尚氏、森健氏、スポンタ中村氏の共著である。細かい周辺事情はもう変わっている可能性があるが、「ジャーナリスト」という日本語の言葉のニュアンス(あるいは偏見)は今でも変わっていないのではないか?ブログを低く見る態度でまだ変わっていない部分があるのではないか、という思いがした。

 「クライマーズハイ」は映画をすでにご覧になった方もいらっしゃるかもしれない。新聞社の知人に「自社の様子が非常によく表れていて、大変興味深い。是非読むように」と言われつつ、時間が過ぎていた。「ジャーナリスト」のことを考えるのに、また別の面で興味深い考察ができる。

 日本語でジャーナリストというのと、例えば英国でジャーナリストというのと、どうも受け止められ方が違う感じがする。

 英国でも日本でも、一般的には新聞、雑誌、ラジオ、テレビなどのメディア機関に所属する、あるいはフリーであってもこうしたメディアに書く・報道する人、というイメージが漠然とあるのは同じだろう。しかし、英国では、私の見たところでは、ジャーナリストは「日々のことをつづる人」というもともとの意味がまずあって、それに少し加えて「日々起きていることに関して、何らかの分析・論評を行う人」、「それを一定の表現にして公に出すこと」ぐらいの広がりがあるようだ。

 ・・・と言うのは、辞書を見たり、学者に聞いたわけではない。帰納法というか、例えば新聞にコラムを書く人(それが例えば料理のコラムであっても)はしばしば「ジャーナリスト」として紹介される。ある意味、何でもいい感じである。表現活動をしている人でアート系ではない人すべて、と言ってもいいかもしれない。「どうやったらジャーナリストになれるのか?」とある人が疑問に思ったとしよう。その答えとして、これを誰が言ったか失念してしまったのだけれど、「自分はジャーナリストだ、と宣言する。その瞬間からジャーナリスト」という考え方もある。心のありよう、あるいは物事の見方の1つがジャーナリズムという考えもあるだろう。(また別の答えとして、少々話がそれるようだが、ゴールドスミス・カレッジでジャーナリズムを教えてきた教授―現在のタイトルはジャーナリストーアイバー・ゲイバー氏が言うには、ジャーナリストというのは「所詮、ミドル・クラスの職業だ。一種の遊びというか、「収入が得られなくてもよいぐらいの人がやる職業」、「その代わりその言論で違いを出す」。また、元エコノミスト編集長ビル・エモット氏は、今はジャーナリストと言う肩書きを使っている。日々の事に関する論評を書き、生計を立てるという意味の具体例だろう。」

 私の今までの経験では、英国で「仕事は?」と聞かれて、「ジャーナリストです」というと相手が誰であっても、すっと話が通じる。「君にジャーナリスト足る資格があるのか?」みたいな見方はない(日本だと、こういう見方はないだろうか?)。可もなく不可もなく、1つの仕事である。日本だと、何故これが「高い山」みたいな扱いをうけてしまうのだろう?(英国で高い山的扱いを受けるのが、「調査報道ジャーナリスト」である。)

 そこで「サイバージャーナリズム論」の本になるのだが、ジャーナリズムやネットに興味のある方にはたくさんのヒントがあって、非常におもしろい。しかし、最後の方になると「あれ?」と思う部分が出てきてしまった。

 スポンタ中村氏と森健氏の対談が入った「第7章誰でもジャーナリストになれる?」の中で、森氏が「ジャーナリスト=ビジネスとして継続的に報道の仕事をしている人」と定義している。氏は「私の定義するジャーナリストの条件とは、まず取材すること、そして多くの人が理解できるだろうと思われる内容と表現で情報を形成し、これをあなたが(注:中村氏が)マス・ディストリビューターと命名するマスメディアで発信することです」という発言をされている。この定義ではそれ以外の人、つまりはブログ(のみ)を通じて言論活動をする人は、はみ出てしまう。(実際、司会の歌川氏が「マスメディアで仕事をしない人は、ジャーナリストではない、ということですか?」という問いに、「そう思います」という答えがある。)

 マスメディアとは一体どこからどこをさすのだろう?数千人か万単位か?また、職業としてではなく、ジャーナリズムをやる人もいるのではないか?英国に感化されているのかもしれないが、どうも「物事の見方、生き方」としてのジャーナリズム、ジャーナリスト、ということもあるような気がする。

 ・・・と思っていたら、本の最後に、ネット時代の市民を「ネチズン」と定義した、公文俊平氏のインタビューがあり、ほっとする。氏は、「情報のスマートなコネクターの役割を果たす『知民』の一角を占めるのがジャーナリストではないですか」と述べる。氏によれば、職業として、つまりはお金をとるジャーナリストという考え方は近代産業社会のものだそうだ(他にも目からウロコのコメントが。その詳細は本を読んでいただきたい。)

 一方の「クライマーズ・ハイ」だが、1985年の航空機墜落事故をめぐる、地方新聞の編集部の葛藤を描く。あっという間に読めてしまう。何を紙面のトップにするかの逡巡、社内の権力争い、恨みつらみ、嫉妬、編集部と広告部の戦いなど、細部がリアルでおもしろい。おそらく戯画化している場面も多々あるだろうと思う。読後、時間が経つうちに、何故かコメディー(悲喜劇?)のように思えてくる・・・。
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Commented by mik at 2008-09-21 21:51 x
文化の違いと言ってしまうと語弊がありそうですし、何でも取り込んで昇華?しなければ気のすまない日本文化の中の、昇華し切れなかった負の問題なのでしょうか。ふと「日本語のFREEには自由以外の意味(無料を指す)は存在しないと聞いている」旨の発言を思い出しました。同じ意味のことを高校時代に聞いたなぁ・・・遠い目・・・FREE SFX (一本足りないぞ 爆 ジャーナリストに絡めて、記者クラブ制度に触れるのは禁忌でしょうか?w
P.S.
英国でID(インテリジェント・デザイン)の教育問題が話題らしいですが、個人的には子供に教えるのはよして欲しいと思います。判断の付かない子供を洗脳することにつながるというのが、私個人の考えです。子供を使って政治・社会運動する輩には嫌悪感を感じます。やるならせめて高校後半くらいの、ファンタジーの授業でw まあ、唯一神の文化と八百万の神の文化の違いなのか、米大統領選の妊娠中絶問題と同じく、日本人の私には不思議でしょうがないです。
Commented by polimediauk at 2008-09-21 22:14
mik さま

この項、自分ながら変に「力」が入ってしまい、恐縮です。常々、日本語のジャーナリストという言葉には特別の意味合いがある、と感じてきたので・・・。

記者クラブの件も、いつか書きたいと思っています。ある意味では非常に日本的な問題ですよね。ところがですね、自分がクラブの一員になって仕事をしてみると、これがまた、巷で言われている感じとはかなり違っていたのですよ。結局、物事の本質論からいえば(まともな記事を書くという目的からすれば)、あんまりたいした問題じゃない感じがするのです。・・と書くと驚かれるかもしれませんが。これをどうやって日本の文脈できちっと書こうかと思いながら日にちがすぎてしまいました。近く書きましょう。

IDの件についてよく知らなかったので(!!)、少々お時間をください。
Commented by マッドマン at 2008-09-22 17:48 x
「ルポ・ライター」なんて言葉は日本ではもう死語なの?僕の世代だと、
本田勝一さんとか下村満子さんとか。日本はテレビと電通という特殊な事情に新聞も全部テレビの系列になっているから、変なんですよ。
でも今となっては英国も日本も関係ないと思いますね。「ネット・ジャーナリズム」が成り立っているかいないかはわかりませんが、僕にとっては
情報源は完全にネットに移行していますから、「外野」や「恐竜」がどんなに騒いでも、聞く耳は持ちません。
Commented by FC at 2008-09-22 23:34 x
ジャーナリストは、たとえるならパン職人さんと同じでは? 専門技能を持った人という程度の意味において。パン職人さんは、美味しいパンを作る技能がある、ジャーナリストは情報を整理もしくは調査して、わかりやすい情報に再整理することができるスキルを持っている。基本構造は同じ。

ホテルでお店やっていないとパン職人と呼ばない、、、、というのが、マスコミで働いていないとジャーナリストとは呼ばない、という考え方。なんという浅はかな考え方かと思いますねぇ。こういうことを言う人は、専門スキルを正当に評価できる視点をもっていません、と自ら宣言しているようなものでしょう。

肩肘張らなくていいのではないでしょうかね。お客さんは、美味しいパンを求めているのですから。

ではまた
Commented by polimediauk at 2008-09-24 23:52
マッドマン様、FCさま

ネットがあって、本当によかったなと思います。つまりネットは前からもあったんですが、情報発信が簡易になったので。

自分自身、ここで書くようになって、ずいぶん勉強になりました。日本のブログの世界、ネットの世界はだんだん、既存マスコミをしのいでいる思いがします。もう分ける必要もなくなったかもしれません。
Commented by polimediauk at 2008-09-24 23:53
マッドマン様

広報と2チャンネルの話、爆笑でした・・・。
Commented by マッドマン at 2008-09-25 14:17 x
「棚から牡丹餅」効果ですよね。元々は米国の軍事機密を守るために政府用に開発された技術だったのに、それが民生化して世界的になったことが米国政治のウソを世界に伝えることになってしまった歴史の皮肉。
今になって必死に権力者たちが大慌てして、ネットの規制をあれやこれやしていまです。昨日の北欧でのYOU TUBEに触発された犯罪とかいうでっちあげもそうですよね。TOO LATEですよね。
日本でも数年前はネットは53歳くらいまでが層だったのに、今では60代まで広がっているようです。正式なデータはないけど。77歳のうちの母親も始めると言っています。そうしないと「世の中の動きに遅れる」って(笑)
下から上に広がる、ということは本物の浸透のしかたをしてきた、という
ことですよね。
Commented at 2008-09-26 17:37 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by スポンタ中村 at 2008-09-26 17:38 x
その視点でいえば、問題はマスコミ・ミニコミというディストリビューションの規模ではなく、コミュケーションかどうか。つまり、双方向かどうかということです。放送と通信が一体化する時代において、双方向の試練に耐えられない言論は、すべて「騙っている」ことになるのではないでしょうか。

ということで、おじゃましました。
公文氏の悪評については、池田信夫氏のブログなどで、知ることができます。日本はあいかわらずです。因みに、ネチズンとは韓国で流行る言い方で、日本ではナチズムを連想させるため、一般的ではありませんし、その語はネット右翼のような意味でも使われがちです。

では。拝読ありがとうございました。
Commented by マッドマン at 2008-09-26 19:07 x
双方向というのが人類初のメディアとして画期的だったんですよね。私は
97年にDVDの開発に携わった時に上司とよく「新しいメディアの脅威なんて大昔からある」と論議したんだけど、「インターネットは双方性だから、これは人類初のメディアじゃないか?」と反論したのですが、的中しましたね。テレビというのはやはり「一方通行」でしたから。新聞やテレビの
瀕死論も、マスコミかどうか、より、双方向のメディアに対抗できていない、という点が大切だと思う。中村さんに全く同意。

ネチズンなんて言葉があるんだ。韓国は経済も大変ですね、今。
Commented by スポンタ中村 at 2008-09-26 21:41 x
小林様。
手違いで前半部分を非公開にしてしまいました。小林さんがよろしければ公開にしていただけると幸いです。

マッドマン様。
双方向性のメディアになるためには、無名な個・一切の権威を持たぬ個でも、多数に向けて発信できるシステムがなければならないのです。だが、それが今は実現していない。個が発信できるといっても、テレビに匹敵するような多数に向けては発信できない。それが問題であり、そのシステムを作らぬことによって、既存メディアはサバイバルしているのです。
そして、双方向性によって起こることは、コンテンツが受信者によって二次発信されることは勿論ですが、加工されること。それにより、コンテンツに発信者が君臨する時代が終焉し、双方向通信が実現するのです。

新聞でいえば読者が予想を赤線を書き込んだ競馬新聞が流通する。そんな感じでしょうか…。
Commented at 2008-09-27 13:29 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by polimediauk at 2008-09-27 22:24
(スポンタ中村さんの前半部分のコメントは以下です。)
お読みになったのですね。ありがとうございます。

イギリスでも、売っていたのですか…。あの本の私は、日本のジャーナリストたちに囲まれて、かませ犬にさせられたり、口封じをさせられたり…。それを許容した自分を深く反省させられます。
私のジャーナリストの定義は、「民意を集約・代弁する人」であって、「民意を騙る人」ではない。そして、現在のジャーナリスト(森さんの定義による)の多くは、国語力で、国語力の無い人達を軽蔑し、その言論を抹殺している。その思想の典型が、国語力で市井人に優越するともいえる公文氏の智民論。JANJANでも、オーマイニュースジャパンでも、編集者たちが国語力で市民記者たちに君臨していました…。(^^;)

私は、ジャーナリストの本質は国語力ではなく、情報の重要度の判断を下すことだと考えています。そこには、国語力は介在しない。なのに、自分達の国語力を誇り、市民を見下し、市民の言論を鑑別する…。何人もの新聞人と交流をしてきましたが、彼らがこの桎梏を越えるのは、なかなか難しいようです
Commented by polimediauk at 2008-09-27 22:35
スポンタ中村様

きてくださってありがとうございました!!あの本、読んでいて、なんだかスポンタさんが痛めつけられているようで、胸が痛みました。もう一方の議論の方々(複数)が、いろいろなことを「自明のこと」として語っている感じが「??」でした。私はよく「意見が白黒はっきりしていない」ということで、イライラ感をここに来られた方に与えることも多々あるのですが、「私は今こう思う、しかし、ひょっとしたら間違っているかもしれない」という問いかけは常にあるべきだと思っています。いずれにせよ、本になるための議論の時から随分時間が経っていますし、考えかたが変わった方もいらっしゃるのではと思います。
Commented by polimediauk at 2008-09-27 22:36
ここのコメント欄で話題に上ったこともある記者クラブの話も、私はネットの普及によってその意味合いが変化したと思っています。スポンタさんとは意見が異なるかもしれませんが、その重要度が変わったように思うのです。前は「記者クラブ=諸悪の根源」として、これを攻撃するのが正しいジャーナリズムのような考えがあったと思います。しかし、特定の人しか入れないクラブなりグループに無理して入ろうという考えはもう意味がなくなっている感じがしませんか。マスコミ自体がすでに特定の人しか入れないクラブになっている感じがしますしー。話は長くなりますが。一方で、ネットの言論の世界がかなり充実してきた感じがします、ここ1-2年で特に。 今、ネットニュースの影響を調べようとしています。
Commented by polimediauk at 2008-09-27 22:38
mikさん、グーグルの件+情報、いろいろありがとうございます。
Commented by polimediauk at 2008-09-27 22:42
かぎこめさま

「記者クラブの実態」、インフレされたイメージが一人歩きしている部分が無きにしも非ずと思っています。・・・って書いても、なかなか信じてもらえないかもしれませんが。
Commented by スポンタ中村 at 2008-09-28 07:23 x
記者クラブの問題はまさにそうだと思います。
あんなところに拘る必要はない。何故なら、ネット言論の「無限の地平」だから。それからいえば、記者クラブはSNSでしかない。そんなところの椅子取りゲームをすること自体に意味がないのです。

どちらにしても、記者クラブというのは、大本営発表システムなのです。とはいえ、私は、大本営発表を全否定しない立場ですが…。

おじゃましました。そうそう、小林さんには、ジャーナリズムだけではなく、21世紀型のコミュニケーション。日本型コミュニケーション(コミュニケーションとコミュニティの混同)と西欧型コミュニケーション(情報伝達)の違いについて、お話する機会があればいいなぁ…。と、思っています。

…では。
Commented by polimediauk at 2008-09-30 22:57
スポンタさま+大本営発表について+mikさま

 mikさま、私が記者クラブや記者会見に関する考えを改めた理由はいくつか、あります。それは、(1)実際に記者クラブに入って、会見に出たりしてみると、これは結構たいしたもんではなかったな、と。外から言う割には、ですよ。ただし、私の「クラブ」は文部科学省でしたので、政治部とはまた違うかもしれません。裁判で戦っていらっしゃる方がいるのも承知なのですが。(2)その「たいしたことのなさ」というのは、意義・意味がないというのとは違うんです。でも、ネット時代、随分意味がが薄まってきた感じがします。(3)いわゆる外国メディアの記者クラブ批判が結構前に目に付きましたよね。これは一義的には意義あり・意味ありなんですが、外国メディア側も、ある意味ではわざと、政治的にやっている部分もあると思うんですね。(4)英国でロビー記者制度を見たり、米国のホワイトハウスでの記者制度なんか見ても、常にエクスクルーシブなネットワークはどこの国でもあるんです。+続き
Commented by polimediauk at 2008-09-30 23:02
それと、(5)人に言われて「目からウロコ」という思いをしたことも理由にあります。英国で首相官邸のブリーフィングが一般ジャーナリストに広く門戸を開いたことがあったんですね、2005年ごろから。後、英国でいわゆる政府の会見というと、外国メディアでもかつフリーランスでも、記者証がなくても、かなり自由に出られるんです。それを嬉々として私は原稿を書いたりしたんですが、「一体それで、なんぼのものなの?」ということをあるジャーナリストに言われたんですね。「政府の広報官が言うことに一体どんな価値が?」と。その時は「どんなことでも情報として価値がある」などと答えたのですが、今はその意味が分る気がするんですよ。(続き)
Commented by polimediauk at 2008-09-30 23:10
6)結局のところ、あることを調べたい、書きたいと思ったら、いわゆるオフィシャルなところに属さなくても、かなり自分でもできるんですね。ほとんど、全くと言っていいほど、オフィシャルなところに属さなくてもいい、とまで言い切ってよいぐらい。便利ではあるんですが、逆に政府側・広報側にからめられてしまう危険性もなきにしもあらずですしね。要は一人一人良く考えて、取材すればいいんですが、ある団体に属さなければだめ、って考えないほうがいいように思うのです。・・・ここまで書くと、おそらく、質問から大分外れた気もするのですが。自分の結論としては、ネット時代の記者クラブの存在は、日々、風化している感じがします。 いかがでしょうか。
Commented by スポンタ中村 at 2008-10-01 10:09 x
問題は、記事の価値ではなく、記事のオーソライズの問題ではないでしょうか。
報道官の価値はなくとも、報道官のオーソライズは、ブランド品のマーク同様に価値を創出する。そんなことではないのかな。
エクスクルーシブ(排他的・独占的)組織というのも、それ自体が良質なコンテンツを保証するわけではないが、一定のレベルのオーソライズ力を持っている。つまり、中身がどんなものであれ、三越・高島屋の包み紙にくるんであるから、安心。そんな感じです。ましてや、それを自分で食べるのではなく、人様に差し上げるのだから当然。な、感じ。自分で食べるものは、包み紙なんかどうでもいい、中身が肝心なんですけどね。

たとえば、2ちゃんねるの記事は、無署名であり、どこにもオーソライズできるものがない。だから、記事の編集者でもないのに2ちゃんねるが署名者になってしまう。でも、本当はノーブランドの情報なんですよね。

ありがとうございました。
Commented by マッドマン at 2008-10-01 16:43 x
スポンタ様
匿名性はシステムの問題ではなく、日本人の国民性の問題です。
昔から新聞はメディアでの投稿で、日本人には「匿名希望」という
歴史的悪弊があります。
それは日本がまだ「近代化」「市民革命」を通過していないという歴史
的なものです。
私のようにプライバシーを気にしない人間にとっては、今のシステムで
十分です。実名でも平気で投稿しています。

僕が日本が嫌いなのはこの点です。日本はハードウェアはどんどん進化しているのだけど、その中身のソフトがいつまでたってもないのです。

携帯電話とかパソコンとか、技術の商品には興味があるのに、その
中身、コミュニケーションの質や技術が何百年たっても進歩しないのです。
日本ではネット言論、ブログなどがいまひとつ定着しないのは、やはり
こういう歴史、民族性が大きい。
日本語という「言語の壁」の問題も大きい。

その中でも、ネットは双方性を発揮していると私は考えます。

私は「2チャンネル」なんかも時々見るようにしています。「便所の落書き」の中にも、100に1つくらい、光るダイヤモンドが見つかったりするから
Commented by マッドマン at 2008-10-01 16:53 x
「国家」「銀行」「政治」といったブランドが「信用収縮」しているんです。
スーザンストレンジが20年前から言っていた「カジノ資本主義」「国家の退場」です。「マスコミ」というものが近代大衆社会の産物ですから、
この存在自体に人類が「不信感」を持っている。食品の疑惑と同じで、
ブランドとしていた大新聞や政府広報の情報への「不信感」です。

まさに金融と同じ。リーマンブラザーズなど150年の伝統、信頼が
崩れている。

しょせんマスコミは一方通行、ネットは双方性、ですから、時代はやはり

「反マスコミ」にむかわざるをえない。だって、単なる「商業主義」じゃない

ですか。それにみんな気がついてきたわけです。英国も日本もテレビ局

はどんどんリストラです。無くなっても生活には全く困らないじゃないです

か、テレビや新聞なんか。食料の方が全く大切だよ。
Commented by スポンタ中村 at 2008-10-01 19:49 x
>日本人には「匿名希望」という歴史的悪弊があります。それは日本がまだ「近代化」「市民革命」を通過していないという歴史的なものです。

ごめんなさい。このあたりのことは、個の有様が西欧と日本では違うということであって、悪弊でもなんでもありません。昔武士が、「名乗るほどの者ではない」と語ったのは美意識であって、悪弊ではない。
アメリカでは、アノニマスカワードといいますが、日本では、そういう人種の他に、誇り高き匿名者たちが存在するのです。

Commented by スポンタ at 2008-10-03 11:07 x
断定的な言い方をしてしまったのでさらに解説すると、2ちゃんねるにはテンプレート(雛形)なるものがあり、1000件で新たにスレッド(掲示板)を起こさなければならなくなると、いままでの書き込みを総括し、新スレッドに移行します。また、2ちゃんねるの書き込みでは、ファクト(事実)を示すこと。出典を求める文化があり、テンプレートで言論を残すかどうかにも、その吟味にて重要度を勘案されます。

2ちゃんねる批判の多くは、祭り発生当初の刺激的な書き込みが殆どであり、そういうものは数週間たてば終息し(各種人権擁護団体の匿名言論者の場合は例外)、テンプレートにて、客観的な言論対照がなされます。このような所作も、匿名者によって行なわれています。テンプレート者も匿名者なので、主観のありどころは、極めて脆弱です。

テンプレートを見る限り、2ちゃんねるは煽動メディアでも、陽動メディアでもなく、きわめてクールなメディアです。勿論、テンプレート作成者の中には偏向した人もいるでしょうが、だいたいはそういうことです。

NHKの高給職員による募金活動に対する2ちゃんねるの議論などは、その例といっていいでしょう。

ありがとうございました。
Commented by マッドマン at 2008-10-03 21:19 x
匿名性については両面あると思いますね。2チャンにも「良スレッド」があるのは知っていますけど、無責任な投稿や扇動も多いです。

100の便所の落書きの中に、1のダイヤモンド、というのは私の実感から
です。

Commented by スポンタ中村 at 2008-10-04 09:39 x
毎日新聞にもいい記事はあるし、2ちゃんねるにもいい意見もある。そういうことなんでしょうね。とはいえ、どちらも無責任な煽動は多い。そして、社会的発言権の度合いからいえば、2ちゃんねるの発言は無視されていいが、毎日新聞は糾弾されるべき。情報が無限大に存在する場合は、その情報につけられた重要度のタグの重要度の高さによって吟味しなければ意味が無い。すべての情報を吟味することなど不可能なのですから…。

ありがとうございました。
Commented by 在英のチコ at 2008-10-04 15:59 x
上記の議論に水を差すようで申し訳ないんですが他に書くところが見当たらないのでごめんなさい。以下、小林さんへ。

ジャーナリストという呼称に対する日英の反応の違いを興味深く読みました。わたしは長いこと雑誌記者をやっていたのですが、それを日本ではライターと呼びますよね。で、英国に来た最初の頃、元の職業を尋ねられるとそのように答えていたのです。

が、ライターというと英国ではオーサーのことを指すようで、仕事の内容を説明するとその都度、あ、ジャーナリストですね、と訂正されました。当時、自分の中にあったヒエラルキーではジャーナリストはライターに勝るものだったので、いや、それほどのもんじゃないですと感じていたんですが英国では逆でした。というか、別のものでした。

なので、いまは元の職業を尋ねられるとジャーナリストと答えるようになりました。日本の人には言いませんが。
Commented by スポンタ at 2008-10-05 17:33 x
在英のチコ様のコメント、興味深いですね。

日本の新聞では、記者から編集委員になる。編集委員は言論人の一員のような感じ。一方、小説家は作家と名乗るのを尊大に思って、ライターと自称する。シナリオ作家と自称せず、シナリオライターとする人も多い。

私が問題にするのは、記者が客観を装って自己の言論をまるで民意のように主張することです。
日本では、ジャーナリストというと左翼者、ライターなら、そうでない。そんな印象もありますよね。

小林さん、お邪魔しました。
Commented by マッドマン at 2008-10-06 16:53 x
私も日本の音楽業界では一応末端の「ライターさん」なので一言(笑)
先輩の大鷹俊一さん(英国の音楽については日本一のベテランの音楽評論家で元ミュージックマガジン編集員)が私に以前言ったことがある

「僕らライターは、工場の末端作業員だから」

平の編集部員より立場が下だ、という皮肉です。日本では昔「100円
ライター」という冗談があって、「宝島」とかの文章を書く執筆者の原稿料があまりにも安かったので、当時出た使い捨てライターをひっかけて
こういったらしく、それが物書きの「ライター」の語源に70年代なった
そうです。(本当か?)
Commented by マッドマン at 2008-10-06 16:58 x
だから僕は日本には「ジャーナリスト」なんて存在しないと20年のマスコミ在籍中も思ってました。日本には私のようなマスコミで働く「サラリーマン」と「100円ライター」しか存在しないんだよ。「ライター営業」って言葉があるじゃない? 職業として生活していこうと思ったら、フリーランスの
立場でも「提灯記事」をかかされたりするじゃないですか。本気でジャーナリスティックな記事を書いたら、それを受け入れる媒体がないから、
飯が食っていけないじゃない? バブル崩壊後のこの10年はますます
そうで、僕らの音楽業界でももはや「音楽評論家」なんていなくなって
みんな「音楽ライター」。政治業界だってそうで、あの立花隆さんでさえ、
家賃が払えない、と自書で暴露していました。あの人でも今では月50
万円くらいしか原稿料がもらえないそうです。
Commented by マッドマン at 2008-10-06 17:01 x
ぎんこさんも、チコさんも「書くことでお金をもらっていた、いる」人ですよね。こういう人たちと「本音」で言いたいことを言い合うのが、実は、
一番「楽しい」ですよね(笑) 
ネット時代の幸福とはこれかもしれません。

しかし、みなさん、生活の方は大丈夫ですか(笑) 

わたしはかなり大変です(汗)
Commented by スポンタ中村 at 2008-10-08 10:40 x
マッドマンさま

皆さま、プロライターのお仲間だったんですね。私のほうは、ビジネスビデオのディレクターで、原稿も書くという仕事。ほとんどがBtoBの仕事です。
いわば私は本気で提灯をつくっている仕事。なんだなぁ…。ほんと、ライター業やジャーナリスト業って難しいですね。

ありがとうございました。
Commented by polimediauk at 2008-10-08 18:48
在英チエさま

本当に、英語では「ライター」は「オーサー」の意味合いですね。つまり本を書いた人とかね。辞書的な意味もあるかもしれませんが、やはりその国の言葉の文脈というのがあるのでしょうね。

結局のところ、カタカナのジャーナリスト、ライターという言葉、つまりもとの英語が日本語の文脈で使われた場合、違う色がついている、というのが現状だ、ということでしょうね。結論としては、ね。

私が日本語でここで「ジャーナリスト」について書きたいと思ったのは、日本語の文脈の中の「力む感じ」をやめようじゃないか、という意味もあります。(・・・ということを「力んで」言っているわけですが。)自分で自分は「xxxだ」と思ったら、それでいいじゃないかという意味もあります。
Commented by polimediauk at 2008-10-08 18:52
スポンタさま

・・つまり、後で考えたんですが、「xxになるためには、。。。という資格がなければならない」という考え方をやめませんか、という感じです。例えばそれは、「パブリックジャーナリストと呼ぶのなら、相応の日本語力があるべきだ」とか、云々。「英語を教えるなら、xx検定のxx級を取っていなければならない」とか。
Commented by polimediauk at 2008-10-08 19:00
マッドマンさま

書くことで(たくさん)お金をもうけるのは、一義的には難しい感じがしています。書くといってもいろいろあるでしょうけれども。「週刊文春」の少し前の号で、ホリイさんというコラムニストが、「本を出せば印税で一生食べていけるかどうか」を計算していました。それによると、印税だけでは暮らしていけないそうですね。もちろん、超売れっ子は別でしょうけれど。

いずれにせよ、もっと広く状況を見れば、紙媒体の不振というのがありそうですね。つまり、広告主が紙に広告を出さない、と。「論座」だってなくなったし、「現代」も確か、いつかは・・・といううわさがあると、マッドマンさんがおっしゃっていましたものね。これだけ厳しいんです。市場が変わっているんですよね。さて、どうするかです。
Commented by polimediauk at 2008-10-08 19:05
スポンタさん、

今、本当に言論空間が変わってきていると思っています。
原稿料をもらったことがある人の声もリアルでおもしろいですが、そんなことにはかまわず、どんどん(無料で)書く人の話もまたリアルだと思っています。

ちょうちん記事はまた長くなりますが、これもいろいろありますよね。一概には言えないです。
Commented by スポンタ中村 at 2008-10-08 20:28 x
>今、本当に言論空間が変わってきていると思っています。

そうなのかなぁ…。
私は、書くことよりも、書かれた物がどのような評価タグがつけられて統合されていくかに興味がある。佐々木さんが「ブログ論壇の誕生」なんて幻想を煽っているけど、書くことが実は問題ではない気がしているんです。そして、書くことも頷くことも等価になっていく。そういう時代がこれからだ。なんて思っているんです。

とはいえ、私はカルトが混じることを理由に、佐々木さんがすすめようとしたメディアに反旗を翻したんですけども…。矛盾していますね。(^^;)
Commented by スポンタ中村 at 2008-10-08 20:45 x
>・・つまり、後で考えたんですが、「xxになるためには、。。。という資格がなければならない」という考え方をやめませんか、という感じです。

ロベール・ブレッソン監督は、「演技は巧妙な嘘であり、私は巧妙な嘘よりも下手な真実を選ぶ」と語り、素人俳優を使いました。そして女優になったのが、ドミニク・サンダ。

国語力も、巧妙な嘘に通じるかもしれぬ。そして、芸術とは自己韜晦(自分を隠すこと)の所作でもある。そんなことを考えながら、日々、生きています。市民記者って、素人俳優なのかもしれません。
Commented by マッドマン at 2008-10-09 03:20 x
「素人俳優」「市民記者」って賛成したいですね。職業であることと、その
作業の本質やレベルの高さとは本来、何の関係もないんですよね。
金儲け、という要素が入るだけですから。マックス・ウェーバーが「職業人としての政治家」という面白い短論文を100年くらい前に書いていてすでに今の国際政治の矛盾を指摘していました。今、ジャーナリズムや国家、宗教とかいった「権威」の虚構が崩壊している、剥がされている時
なんです。いい意味での「アマチュアリズム」というか「原点回帰」みたいなところに来ているんでしょうね。面白い時代だな、と思って楽しむように私はしていますけどね。 
Commented by 在英のチコ at 2008-10-09 07:42 x
ども。わたしが原稿書きでご飯を食べていた頃はまだブログなんてなかったので、素人が自分の書いたものを人に読ませる機会はいまとは比べ物にならないぐらい限られてました。新聞の投書欄とか同人誌とか自費出版とか。

書く機会、批評される機会が少なければ文章がうまくなる道理はなく、したがってそういった機会の多いプロの物書きのほうが素人より国語力が優れていても当然だったろうと思います。裏返せば、国語力に秀でた人が物書きになるというより、たまたまその職に就く機会のあった人が書いているうちにうまくなるというほうが多かったんではなかろうか。

それに比べると、いまはプロにはよりいっそう技術的なメリットが求められるのではないかなあ。指定の字数を短時間で仕上げるとかワープロなしでも原稿が書けるとか。あるいはリサーチ(インターネットを除く)とかインタビューとか、テクニックのあるなしで得られる収穫に差がでます。
Commented by スポンタ中村 at 2008-10-09 09:35 x
マッドマンさま

そして、落語や音楽のように、技術や修行が必要なものと、映像演技のように、素のままの方がよい場合もある。

幾何学的なデザインで有名なフランス式の庭園に対して、英国式庭園は、自然を求めるがあまり、自然と区別がつかなくなってしまい、これは自然そのものではなく人工の庭園なのだと分からせるために、中国風の塔を建てるようになった。なんてことがある。

ま、自然とアート(人工)と微妙な按配が必要なんでしょうね。
私は、日本人。白樺派を自称していますが…。
Commented by polimediauk at 2008-10-10 00:11
チコさま

ー働くことで覚える、ってことですね。全く同感です。もちろん人によって例外はありますが。

 第一、どんな記者も(企業に勤める)、一市民なんですよね。まじで。
Commented by スポンタ中村 at 2008-10-10 12:28 x
>第一、どんな記者も(企業に勤める)、一市民なんですよね。まじで。

ども。
それを踏まえた上でのことなんですが…。

記者・市民・教授・役人・政治家などという個別な立場で、「言論」を発表することに意味はない。というか、それが、記事・コンテンツが普遍性・妥当性を得るための障壁になっている。

私は固定的な文脈が読者の理解を得るので、固定ハンドルネームで発信していますが、それは便法であって、本来は、発信者の属性のないまま発信して、それが民意なり、世論になって欲しいと願っている。

私は無名。などと嘯いているけど、ほんとうは、有名・無名を問わず妥当性のある言論を展開したいんですよね。

ありがとうございました。
Commented by マッドマン at 2008-10-11 04:00 x
文章だって技術や修行が必要だと思いますけどね。音楽について言うと、昔はフォークギターを弾くのに「練習」が必要でしたけど、今だったら
コンピューターさえいじれれば、楽器などマスターできなくても、立派な
音楽が作れます。(それもITのスキルだと言われてしまえば、きりが
ないけれど) 
ハンドルネームや匿名性には私は賛成なのですが、やはり、「アナログ」
で文章の技術を鍛えた人の文章はこうしたデジタルの時代でも光りますね、やっぱり。
自説に反論するようですが、実際に読めるブログは実に少ないように
思えます。商売でやることの良さは、技術だけはしっかりしているから
「商品」にはなっている点です。

「他人に的確に伝える」というのは、商売は抜きとしても、コミュニケーショ
ンの大切なスキルなのではないでしょうか。
Commented by スポンタ中村。 at 2008-10-11 13:57 x
マッドマンさま

おっしゃるとおりだと思います。
ただ、これからの時代は、プレイヤーとオーディエンスが等価で並ぶ。そういう時代だと思うんです。
つまり、上手いギターを弾く人と、それを評価する人が、等価で存在する。実際には、上手いギターを弾く人は世の中に腐るほどいるけれど、それを評価する人が沢山いる人は少ないということ。
ネットでいえば、コンテンツと評価タグが等価になる。それが、セマンテックウェブ(意味的ネット)の勘所です。

上手いアマチュアもいれば、下手なプロもいる。そのことを思えば、いかに多くの評価者を持つかということが、プロとアマの違いだということが理解いただけるのではないでしょうか。

いわんや、国語力おや…。という感じ。

理屈っぽくてすみません。ありがとうございました。
Commented by マッドマン at 2008-10-12 01:17 x
スポンタ様

「演奏者と観客が等価」。そのとおりです。1990年頃に細野晴臣さんが
予言されていたことが、20年進行してきました。ともだちのためだけに
音楽を作って、そのことへの「対価」を求めない、というような人がテクノ
なんてジャンルでは世界中の若者の共通言語になっていったようで、
「草の根グローバライゼーション」的な現象のようです。
さらにテクノロジーの進歩で、今では「パッケージ」商品自体が無意味に
なってしまいました。I-PODの普及を見れば明らかですし、自分も
レコード会社を5年前にリストラされたんですよ。

「評価者を持つか」というのには賛成ですが、これも、昔のように「数」
や「量」という唯一の基準から「質」という基準へシフトしてきているのでは
ないでしょうか。

そうするとこれからは「受け手の質」「受け手の力量・技術」といったものがより問われていくのかもしれませんね。 

来週帰国するぎんこさんが、自筆の本編記事よりもこのコメント欄の方が充実することが多い、なんて謙遜されていたのもあながち間違い
ではないことですかね。 
Commented by スポンタ中村 at 2008-10-12 09:55 x
マッドマンさま

>これも、昔のように「数」や「量」という唯一の基準から「質」という基準へシフトしてきているのではないでしょうか。

おっしゃるとおり。
ただ、そのムーブメントの動因は、量において、「多いことだけが価値の源泉」ではない。だから、質となった場合も、「単一な質ばかりが価値の源泉ではない」となります。

だから、新聞がクオリティーペイパーなどという単一視点で質を論じるのは馬鹿げている。質とは、評価者の数だけ評価軸がある。

では、評価者の数だけ評価軸があるのかというと、それは違っていて、実感としては、評価軸は十数というレベルのようです。
なのに、佐々木氏やフリードマン氏らがつくりあげるフラットという幻想によって、評価者の数だけ質があるかのように思われ、市井言論は無力化しているのです。
Commented by polimediauk at 2008-10-13 17:40
マッドマンさま

「コミュニケーションのスキル」--これはそうですね。これはないよりあったほうがいいです。

ある通信社の編集委員の方が、「スキルを身につけた後で、これをどう崩すかに苦労する」と言っていました。私はまだスキル自体も使うことで向上途中ですが、これまた目からウロコでしたね。
by polimediauk | 2008-09-20 20:01 | ネット業界 | Trackback | Comments(50)

ジャーナリズムの話いろいろ+欧州事情も


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