(「英国ニュースダイジェスト」の筆者記事に補足しました。)
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「大きな政府」を掲げる英国の労働党政権が、疑問符が付くような政策を次々と発表しています。
3月18日、リズ・ケンダル労働年金相は社会福祉制度の大規模な改革案を発表し、2030年までに50億ポンド( 約9719億円)を削減すると述べました。病気を持つ人や障がい者向け給付金の一つ「個人自立手当」(Personal Independence Payment=PIP)の支給要件を厳格化するなどの変更をするそうです。
筆者はこの改革案にどきりとしました。要件の厳格化によって、社会的に弱い立場にいる人を窮地に追い込む可能性があるように思えたからです。
PIP受給者はこの10年で2倍に
年金相によると、労働人口の10人に1人が疾病あるいは障がい者向け給付金を受け取っており、PIP受給者はこの10年で2倍の430万人に達しました。
5年前の新型コロナの発生以降、PIPを含む病人・障がい者向け給付金の総額は200億ポンド(約3兆8000億円)まで増えており、現行のままだと30年までに700億ポンド(約13兆7000億円)に膨れ上がるそうです。
「働くことを奨励する」体制を作りたいと年金相は述べていますが、「福祉予算を減らすこと」が一人ひとりの受給者の実情よりも優先されているように聞こえます。
PIPは現在、イングランド、ウェールズ、北アイルランドに住む360万人に支給されています。PIPには日々の生活に関連する手当と身体の可動性にかかわる手当があり、来年11月から前者の査定が厳格化される予定となっています。これによって80万人に影響が出るそうです。
就労可能な年齢にある低所得者を対象とする手当「ユニバーサル・クレジット」は750万人に支給されていますが、長期の疾病あるいは障がいを持つ場合、毎月の給付金に上乗せ金が追加され、ほぼ倍増します。
政府の予算案では、上乗せ金を受け取るには一定の年齢に達している必要がありますが、金額自体が約半分にされ、29年度からは凍結されるということです。
福祉予算削減の影響は?
政府の福祉予算削減でどれほどの影響が出るのでしょう?
3月26日、レイチェル・リーヴス財務相による緊急歳出削減策が発表されましたが、同日に公表された労働年金省の試算では、約320万世帯が負の影響を受け、年間1720ポンド(約33万7800円)を失うことになるそうです。
この中で、現在PIPの受給対象者となっている37万人が対象外となり、将来的にPIPを受給する43万人が現行の受給者よりも年間4500ポンド(約87万3000円)少ない金額を受け取ることになります。
また、ユニバーサル・クレジットを受け取る人の中で250万人が、上乗せ分の金額凍結によって年間500ポンド(約9万6000円)分の受給が減ります。
政府は障がいおよび長期疾病を持つ人が雇用を得るための支援金として10億ポンド(約1941億円)の追加資金を拠出予定で、これが受給権利を失った人の助けになると良いのですが。
5万人の子どもたちが「相対的貧困」に
同省の調べによると、一連の福祉改革によって5万人の子どもを含む25万人が「相対的貧困」になるそうです。英国では世帯収入が世帯収入分布の中央値の60パーセント以下となる状況を「相対的貧困」としています。
財政の健全化を目指ざす政府の意図は理解できますが、昨年7月の発足以来、労働党政権が繰り出す政策が国民に不安の種をまいています。
まず年金生活世帯への光熱費支援の停止、それに農地資産の相続税全額控除の変更、そして今回の福祉予算削減は、税金を使って高水準の公的サービスを実現する「大きな政府」であったはずの労働党政権のイメージと逆行しているようです。
また、政府は官僚機構の15パーセント縮小の上にNHSイングランドを廃止し、政府内で管理する予定です。NHSイングランドの職員と保健省職員は半数近くが仕事を失うことになるそうです。
低成長が続くなか、PIPなどの手当を失った人、人員整理の対象となった人はどこに居場所を見つけ、生活を安定させるのか。気になります。
最近の英国内外の動きを見ると、社会で弱い立場にいる人への政府への支援はますます厳しくなりそうです。トランプ米大統領による世界各国への関税増大で経済に悪影響が出そうですし、ウクライナ戦争をめぐって欧州の安全保障のために防衛費を増やす必要があるからです。
5月1日、地方選挙と下院補欠選挙が行われました。地方議席約1600の中で、労働党は186議席を失いました。代わりに右派保守系の「リフォームUK」が躍進し、677議席を獲得。前与党だった保守党は大敗し、670議席以上を失う結果となりました。
下院の補欠選では、以前は労働党の議席をリフォームUKの候補者が奪いました。
労働党が矢継ぎ早に出した、人気がない政策を取りやめれば良いという圧力がますます強くなっているようです。
介護職の採用禁止!?
5月12日、さらに驚くような動きがありました。スターマー首相が今後4年間で純移民数を「大幅に」減少させるための施策を発表し、この中に「海外からの介護職の採用禁止」が入っていたのです。
英国のケア業界は人手不足に悩んでいます。国営の医療サービス、そして高齢者や疾病者をケアする現場は、多くの海外出身者が支えています。そこにメスを入れるとは・・・。
一体どんな人が政権に政策アドバイスをしているのか、大いなる疑問を感じるこの頃です。
キーワード
PIP(個人自立手当)「Personal Independence Payment」の略。長期的な病気や障がいのある人に支給される手当。日々の生活関連手当は週に72.65ポンド(約1万4000円)から108.55ポンド(約2万円)。身体の可動性手当は28.70ポンド(約5592円)から75.75ポンド(約1万4700円)。スコットランドでは「成人障がい手当」がある。