元タレントの中居正広さんと女性とのトラブルに端を発した問題で、先月27日、フジテレビが2度目の記者会見を開いたが、これは前代未聞の長さで10時間を超えた。
10日前に開催された最初の会見では参加できる記者の枠が絞られ、テレビ局が動画撮影や中継をすることが許されなかった。これを反省したのか、2回目はフリーランスの記者や海外メディア、ユーチューバーなど191媒体437人の参加となった。
日本にいる皆さん同様に、英国に住む筆者も驚いた。
このような長時間での会見は事実を明るみに出すという目的から大きく外れ、何か別物になってしまうのではないだろうか。
「記者会見の呪縛」から逃れるために、英国内外でフリーランス・ジャーナリストしていくつもの記者会見に参加してきた筆者が気づいた点を挙げてみたい。
なぜ「記者会見」を特別視?
日本のメディア界で、特にフリーで働く人にとって、あるいはメディア問題に関心がある人にとって、「記者会見」は特別な位置を占めているように思える。
ツイッター(現X)に流れてくるツイートの数々から、そんな印象を持つようになった。例えば官邸の記者会見に「出ることができた」「出られなかった」「選ばれた・選ばれなかった」「質問できた・できなかった」などなどが大きく問題視されているようだからだ。
「記者クラブに所属するメディアで働く記者」に限って政府省庁の会見に出席できるという長い慣行があったことが背景にありそうだ。
つまり、記者会見という、本来はオープンな場所であるはずのものが、日本の文脈では「閉鎖的な、オープンではない空間」として認識されてきた、あるいは実施されてきた経緯があるのだろうと思う。だから、「官邸記者会見に参加できた・できなかった」が大事になるのではないか。
英国ではどうか
筆者が英国に住みだしたのは20年余前だが、当初は政府関係の会見に出るために外国プレス用の記者証を使っていた。外国人記者の組織(FPA)があったので、そこを通じて記者証を出してもらった。「外国人記者」ではない場合、ジャーナリスト労組に入って、ここを通じて出してもらうこともできる。
この記者証で首相官邸での会見やブリーフィングに出ていた。
また、FPAが開催する会見場に大臣や野党議員幹部、著名人などがやってくることも頻繁にあったので、タイムリーでかつ非常に興味深い会見にも出た。会見場にいる記者同士で同じ質問を繰り返し、答えたがらない大臣からなんとか回答を引き出す場にも何度も遭遇した。
のちにFPAを抜けたのだが、その後も問題なく政府関係の会見に出た。自分の身分を証明するもの(筆者のパスポート)を見せれば、会見場に入れたからだ。
FPAを経て得た記者証で様々な組織の会見に出て、時には質問をしていたのだが、政治関連の会見では、日々のレベルでは、自分はもう出なくてもよいと思うようになった。それは自分がフリーであり、毎日原稿を出さなければならないテレビ、ラジオ、新聞の記者ではないからだった。
例えば首相広報官によるブリーフィング(政府が何をしようとしているかを記者に説明する)は1日に2回あるが、これに出て、内容をまとめたり、レポートをしたりするのは、フルタイムの仕事であり、そのような出力を即時に求められる職に就く報道機関にいない限り、かなり体力的にしんどいし、意味がない。このグループに入る記者たちは必要があって、会見やブリーフィングに出ているのである。
ある程度の時間的余裕をもって出力をする記者・ジャーナリストの場合、会見場所以外にも多くの情報収集の機会があるので、これをフルに活用できる。
政府省庁自体がすでに多くの情報を出す。またテレビを通じて会見の様子や担当大臣の発言を拾うことができる。大臣の発言の要旨をつかんだら、これを批判的に見るような野党側の意見、非政府組織、識者、あるいは特定の政策の影響を受ける市民の声を自分で取材することもできる。政党や政治家にコネがあれば、電話して「あれはどうなんですか?」と聞いてもよい。情報収集の場は無数にある。
要は、視聴者及び読者のために役立つ情報を収集できるかどうか、である。
「入れない」空間はどうする?
中居問題をめぐるフジテレビの会見では、当初参加できる記者の枠が絞られ、テレビ局が動画撮影や中継をすることが許されなかった。このような「密室会見」は説明責任度が高い大企業としては禁じ手だろう。
英国にいる自分からすると、「なぜメディアは一致団結して、このような会見のやり方をボイコットし、あくまでもテレビ中継を要求しなかったのか」と、不思議だった。なぜなのだろう?
企業側あるいは政府が閉鎖的な空間での会見を行おうとするとき、「ボイコットする」「開催条件の変更を要求する」「閉鎖的な空間での話でも、十分な公益があると記者側が考えた場合は、内容を外に出す(この点が原則合意されている)」など、何らかの打開策がありそうだ。
これと同時に、例えば政府・公的機関であれば「国民にかかわりがある情報は会見場のほかにプレスリリースや動画などですべて出す」べきだ。特定のグループ(一部の記者など)だけに出すべきではない。説明責任度が高い大企業もそうあるべきだろう。
今の日本のメディア環境では、首相官邸での会見が「閉鎖的」で、「聞くべきことを聞いていない」という認識、あるいは現実があるがために、「出ること」が重要であり、そこで「聞くべきことを聞かなければいけない」という認識になるのかもしれない。
また、記者会見が特別視されるのは、ほかの場での情報公開度が低いことを示しているのではないか。
さらに、特定の報道機関あるいはジャーナリストが、問題視された人物・関係者にじっくりインタビューをする・・・という構成も考えてみてはどうだろうか。
英国では、全員というわけにはいかないものの、スキャンダルの渦中にいた人へのインタビューが時々実現する。例えば、2019年、BBCは性犯罪者ジェフリー・エプスタインと交友関係を持っていたアンドリュー王子を独占取材して放送した。
長時間の記者会見の不毛
記者会見が長時間(といっても3-4時間の想定だが)になるのは、航空機事故、原発事故など特定の大きな災害や事件・事故の場合に限られるべきではないだろうか。
10時間という長時間になった場合、会見主催側と記者側の緊張感がずっと続くとは思えない。今回の2度目の会見のように、質問する側が圧倒的多数になると、「少人数の会社側代表対大人数の記者側」という構図が目立ち、会社側がつるし上げられたような印象を与えてしまうし、リンチ的状況になりがちだ。不毛な言論の場になってしまう。
テレビ局側はなぜ数時間で切り上げなかったのか。リンチでも仕方ないと思っていたのだろうか。興味深い点である。