20日、英国のスターマー首相が退任する。
日本では、「致命的な失政も見当たらないのに、なぜ退任なのか」と映るかもしれない。
だが英国での受け止め方は逆だ。一つの失策で退場になったわけではない。政権発足後に相次いだ政策転換や判断ミス、そして政権運営への不信が積み重なり、最後には与党・労働党の議員や有権者から「もう任せられない」というレッドカードが突き付けられたのである。
2年前の夏、労働党は14年ぶりに政権へ返り咲いた。下院では単独で圧倒的多数を確保し、「これだけの議席があれば何でもできる」とまで言われた。スターマー氏自身も「10年の国家再生」を掲げ、大きな期待を背負って官邸に入った。
しかし、その政権はわずか2年で幕を閉じることになった。
後任には、元グレーター・マンチェスター市長で補欠選挙を経て下院へ復帰したアンディ・バーナム氏が就く見通しだ。党首選出と国王による任命を経て、新政権が発足する。
では、なぜ歴史的な大勝で誕生した政権は2年で信頼を失ったのか。順を追って見ていきたい。
目玉政策が次々と迷走
政権発足からまもなく、多くの国民に衝撃を与えたのが、年金受給者向け冬季燃料手当の縮小だった。
それまで全ての年金受給者に支給していた手当を、年金受給者の中でも低所得者に限定すると発表したのである。
労働党といえば、高齢者や社会的弱者の生活を守る政党というイメージが根強い。その労働党政権が、発足直後に年金受給者への支援を削減するとはー。しかも、政権取得後の「最初の目玉政策」が「これ」?驚き以外の何物でもなかった。
政府は手当の縮小を「厳しい財政状況の下で避けられない決断」と説明した。しかし、対象者が一時1160万人から130万人へと9割近く激減し、「貧困線以下の年金受給者まで失う」との批判が噴出した。2025年5月の統一地方選での大敗も重なり、対象拡大へと方針転換した。最初の大きなUターンである。
農業分野でも大きな政治的反発を引き起こした。2024年10月発表の予算で、政府は農地や事業用資産に適用されてきた相続税の優遇措置(実質的な免除)について、100万ポンド(約2億1700万円)を超える部分を課税対象とする方針を打ち出した。
政府側は「富裕層による節税対策を防ぐため」と説明したが、農家側はこれを単なる税制改革ではなく、「何世代にもわたって受け継いできた家族農業を脅かす措置」と受け止めた。全国の農家はトラクターを連ねて議会周辺で大規模な抗議行動を展開し、農業団体も強く反発した。
当初、政府は方針を維持する姿勢を示していた。しかし、反発の広がりを受け、2025年12月には課税対象となる上限を250万ポンド(約5億4000万円、夫婦合算で500万ポンド=約10億8000万円)へ引き上げる形で事実上の譲歩に追い込まれた。
福祉政策でも同じ構図が繰り返された。障害者向け給付(PIP)の受給資格を厳格化する法案が昨年6月に提出され、これも「労働党らしくない」と批判を浴びた。すると労働党議員126人が造反する構えを見せ、政府はわずか1カ月足らずの7月には資格厳格化の条項を削除した。
これで、大型政策だけでも三度目の方向転換である。
企業からも不満の声
企業の負担増も反発を招いた。
2024年10月発表の予算では、雇用主が負担する国民保険料を13.8%から15%へ引き上げるとともに、課税対象となる給与額の基準を年9100ポンド(約198万円)から5000ポンド(約109万円)へ引き下げた。
パブや小売業など、パートタイム労働者を多く雇用する労働集約型産業ほど影響は大きく、雇用や事業継続への懸念が相次いだ。
この政策については撤回には至らなかったものの、雇用主向け免税枠を拡大するなど、一部修正を余儀なくされている。
一連の政策に共通していたのは、まず負担増を打ち出し、強い反発を受けると修正や譲歩に追い込まれるというパターンだった。
政治評論家の中には、スターマー政権のUターンを15件に上ると数える向きもある。
そもそも、総選挙では「主要な税率は引き上げない」と訴えていたにもかかわらず、政権発足後には大幅な増税へ踏み切ったこと自体が、「言っていたことと違う」という不信感の出発点だった。
「何を目指す政権なのか」が見えなかった
政策の迷走が繰り返されるにつれ、国民の間には次第に「この政権はいったい何を目指しているのか」という疑問が広がっていった。
その印象は、政権内部でも共有されていたようだ。後に側近は、「官邸の中心は空洞だった」「彼が何者で、何を望んでいるのか分からなかった」と振り返っている。
また、当時の首席補佐官モーガン・マクスウィーニー氏も、後に漏れ伝わったやり取りの中で、政権運営について「前進しては腰砕けになる。その繰り返しだった」と総括していた。
一つ一つの政策だけを見れば、政権を倒すほどの決定的な失策ではない。しかし、小さな方向転換が積み重なることで、「この政権は何を守り、何を変えようとしているのか分からない」という印象が広がった。信頼の喪失は、こうした積み重ねの結果だった。
内政の実績――成果はあったが、信頼には結び付かず
一方で、内政に成果がなかったわけではない。
2024年秋の予算では、選挙公約を覆して大幅な増税に踏み切り、その財源の多くをNHS(国民保健サービス)へ投入した。その結果、病院の待機リストは減少し、児童手当の「二子までの上限」撤廃など、労働党らしい政策も実現した。
しかし、それでも政権への支持は戻らなかった。
国民が求めていたのは、政策が実施されたという事実ではなく、「自分たちの暮らしが良くなった」という実感だったからである。医療改革の柱である「NHS10年計画」はなお具体化の途上にあり、教員増員や治安対策など主要公約も目標には届かなかった。有権者には、「何かが改善した」というより、「負担だけが先に増えた」という印象が残った。
もっとも、エネルギー政策や住宅政策は比較的順調に進んだ。いずれも野党時代から制度設計を進めていた数少ない分野であり、政権発足後は大きな混乱なく実行へ移されている。
だが、それは裏を返せば、準備のできていた政策しか前へ進められなかったということでもある。
英国のシンクタンク「インスティテュート・フォー・ガバメント」は、スターマー政権の「原罪」は、優先政策を実現するための行政機構を整えなかったことにあると指摘している。前任政権よりも官僚機構をうまく動かせると考えたものの、実際にはその準備が不十分だったというのである。
結局、問題は成果の有無ではなかった。成果を政権への信頼に結び付ける統治能力を示せなかったことだった。
外交――評価された強みも、最後は弱点を露呈した
内政とは対照的に、外交はスターマー政権が高く評価された分野だったと言われている。
ロシアによるウクライナ侵攻後、英国が国際社会で果たす役割を維持し、ウクライナ支援で主導的な立場を示したこと。また、不確実性が増すトランプ米政権との関係維持に努めたことは、多くの論者が評価する。
しかし、その評価は、そのままスターマー氏の外交が一貫した理念に基づいていたことを意味するわけではない。個々の外交判断を振り返ると、英国として何を優先し、どこまで関与するのかという戦略だけでなく、スターマー氏自身が何を信条とする政治家なのかが最後まで見えてこなかった。
象徴的だったのが対米関係である。トランプ米大統領は今年3月、英国を「かつての偉大な同盟国」と評価しながらも、「我々が付き合っているのはウィンストン・チャーチルではない」と皮肉った。さらに退任表明直前には、英国の移民政策や北海油田開発をめぐるエネルギー政策を名指しで批判し、SNSで「お元気で」と締めくくった。スターマー氏は関係維持に腐心したものの、相手側からは繰り返し公然と揺さぶりを受け、その外交手腕には限界ものぞいた。
その姿勢がより鮮明に表れたのが、イラン情勢への対応だった。当初は「英国は軍事行動に参加せず、英領内の基地使用も認めない」と説明していたが、その後は米軍による基地使用を容認する一方、ホルムズ海峡の機雷除去作戦への参加は見送った。
結果として、反戦派からは米国への追随と批判され、安全保障を重視する立場からも中途半端だと批判された。
ガザ情勢への対応でも同様だった。野党党首時代には、イスラエルによるガザへの給水・電力遮断について「その権利がある」と発言して左派の反発を招いた。その後、首相としてはイスラエル批判に慎重な姿勢を続けたが、パレスチナ国家承認では条件付きから無条件へと方針を転換した。支持層には一貫性のなさとして映った。地方選挙後の分析でも、旧労働党支持層の離反理由としてガザ問題への対応を挙げる有権者が少なくなかった。
スターマー氏が主導した「有志連合」も同じである。英国の存在感を示す政治的効果はあったものの、英軍関係者からは早い段階で「軍事的実効性より政治的メッセージの意味合いが強い」との見方が示された。当初議論された地上部隊派遣構想は後退し、防衛投資計画も「規模が不十分」と批判された。
外交には一定の成果があった。しかし、一連の判断を通して最後まで見えなかったのは、スターマー氏ならこの局面で何を選び、何を譲らない政治家なのかという軸だった。その点では、内政で広がった「この政権は何を目指しているのか分からない」という印象は、外交でも最後まで払拭されなかった。
マンデルソン任命が映した責任の取り方
スターマー政権では、問題が起きるたびに、まず部下や官僚に責任を負わせる姿勢が繰り返し見られた。その象徴が、駐米大使マンデルソン氏の任命問題だった。
この人事はスターマー首相の肝いりの任命だった。しかし、2025年9月、マンデルソン氏は性犯罪者エプスタイン元受刑者との関係が発覚し、更迭に追い込まれる。
さらに今年4月には、任命前の安全保障上の身元審査でマンデルソン氏が不適格と判断されていたにもかかわらず、政府がその判断を覆して任命を強行していたことも明らかになった。
問題発覚を受け、スターマー氏は外務省トップ官僚オリー・ロビンズ氏を更迭し、まず官僚側の責任を問う姿勢を示した。しかし、その後の議会では、自らも任命判断に責任があったことを認めざるを得なくなる。
ところが、それで幕引きとはならなかった。解任されたロビンズ氏は司法審査を申し立て、「首相官邸から任命を急ぐよう強い圧力を受けていた」と証言し、政府の説明を真っ向から否定したのである。
失敗が明らかになると、まず部下に責任を負わせ、自らの責任は後になって認める――。その対応は、「責任を引き受ける首相」ではなく、「責任を部下へ転嫁する首相」という印象を国民に残した。
最後まで次の政権を縛った
退任表明から実際の退任まで1カ月足らず。その間にもスターマー政権は、次の政権に重い宿題を残した。
その象徴が、防衛政策だった。
昨年6月、労働党政権として2003年以来となる「戦略防衛見直し(SDR)」が発表された。この中で、「戦闘即応性」への転換やNATOを軸とした体制再構築を掲げ、核抑止力の強化や陸海空軍の刷新など62項目の改革を打ち出した。
しかし、SDRはあくまで設計図にすぎない。本来、それを裏付ける財源と実施工程は、その後策定される「防衛投資計画(DIP)」で示されるはずだった。
ところが、その財源を巡る調整は最後までまとまらなかった。
発表されたのは今年6月30日である。首相辞任を発表してから、数日後だ。
国防省は今後4年間で約280億ポンド(約6兆1000億円)の追加予算が必要と試算していたが、最終的に確保されたのは約150億ポンド(約3兆2700億円)にとどまった。資金不足を巡る対立は国防相ヒーリー氏の辞任にまで発展し、設計図だけを示して財源を示せないまま、次の政権へ引き継ぐことになったのである。
問題は、それだけでは終わらなかった。スターマー氏は退任4日前の7月16日、首相として最後のキーウ訪問を行う。
後任のバーナム氏は、まだ党首にも首相にも就任していない。それにもかかわらず、スターマー氏はゼレンスキー大統領に「英国の揺るぎない支援は今後も続く」と約束し、2026〜27年のウクライナ支援や防衛協力の枠組みについても前進させた。
防衛投資計画で財源の裏付けを示せなかった一方、退任直前にはこうして新たな対外公約だけを積み重ねた。設計図と約束だけを残し、その両方の財源探しを次の政権に委ねる――この政権の統治手法を象徴する幕引きだった。




