小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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サッチャー元首相の娘がBBCの番組を下ろされた理由

 サッチャー元首相(首相在任は1979年―1990年)の娘、キャロライン(55歳)が、BBCテレビの夕方の番組「ワン・ショー」から下ろされたニュースが波紋を広げている。番組収録後、スタッフとくつろいでいた時に、テニス選手の話になり、混血の選手をGolliwog(黒い顔、グロテスクな人、の意味)と呼んでしまったのがきっかけだ。

http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/7875242.stm

 番組収録後の、いわば「オフ」の時間での発言だったことから、「BBCはやりすぎではないか?」という声が出た。「辞めさせるべきではなかった」という意見が3000件以上、BBCに寄せられたと言う。

 最初、私も放送外の時間での発言でこうなるとは、うっかり何も言えないな、まるで思想警察だと思ったものだ。

 キャロラインが番組を下ろされた一方で、コメディアン、あるいはトークショーの司会者などは様々なきつい表現をする。場合によっては言葉の使用を撤回する、あるいは謝罪することもあるが、番組を下ろされるところまではなかなかいかない。

 このところの具体例としてよく出されるのが、人気トークショーの司会者ジョナサン・ロスの件だ。あるコメディアンの留守番電話に「あなたの孫娘とブランド(別のコメディアン)はベッドを共にしました」というメッセージを残し、3ヶ月の謹慎状態になった。それでも、BBCはロスを辞めさせたわけでも、番組からはずしたわけでもなかった(番組にロスの名前がついているので、はずせば番組事態を停止さざるを得なくなるが。)

 そもそも、何故、オフの時間の言葉が明るみに出て、それが処罰の対象になるのだろうか?ここの経緯が十分には明確でないのだが、これまで報道されたところをまとめると、番組収録後、出演者やスタッフの数人が、仕事が終わったということで、くつろいでおしゃべりをしていたという。

 そこでテニス選手の話になり、キャロルは「黒人」を指す言葉を何度か使った。キャロル自身は、冗談のつもり、軽い気持ちで使ったようだが、同席していたジョー・ブランドと言う女性コメディアンがこれに抗議し、席を立ったとも言われている。他に番組の司会者2人が同席していたが、2人は苦情を申し立てていないそうで、制作スタッフの誰かが、「これはまずい」と上に報告したのかもしれない。

 「人種差別主義者」とは仕事ができない、と思ったのかもしれない、報告した人物は。恐らく、今回のケースだけでなく、似たような行動が前にもあったのかもしれない。たった一度の例で番組をはずされるところまでいくのは信じがたい。

 当初のBBCの説明によれば、キャロルに対し「全面的に謝罪するよう」迫ったが、これに応じなかったため番組からはずすことにした。

 「サッチャーの娘であること自体をBBCは気に入らなかったのだ」という説もメディアを駆け巡った。サッチャーはBBCの民営化を目論み、反BBCとしても知られる。

 しかし、今回の件が露出しなくても、キャロルはサッチャーの娘であり、ずっと金持ちであったわけで、昔の帝国主義者のような考えを持つ「かも」しれない人物であったことを、番組制作者は最初から知っていたはずなのだが。彼女の傍若無人さを買って、番組のレポーターにしたはずだが・・・。

―言われたほうの気持ちは?

 しばらくして、このテニス選手の母親が「発言に傷ついた」とする報道が出た。他の人からもいかに肌の色の違いで差別を受けたかという話が報道されるようになった。

 「オフの発言だから・・・」、「冗談なのに・・・」という弁明はつじつまがあうように思えたのだが、タイムズの記事(以下にアドレス添付)などを読むうちに、この言葉が与えるマイナスの影響や、同じ社会を生きる仲間として、傷ついた思いをした人に対する共感があるべきではないかと考えるようになった。

 こうしたもろもろのことを考え合わせると、厳しいようだが、BBCが何らかの行動を起こしたのも一理ある。キャロルがすぐに謝罪しなかったのも、致命的だった。タレントにとってイメージはすべてだ。(それにしても、即はずす、というのはいくらなんでも厳しすぎるとは思うがー。それだけ「人種」が英社会で重要な意味を持つ、非常にセンシティブな問題になっていること示すだろう。)

 番組から外されたからと言って、彼女の人生に重大な烙印が押されたわけではなく、ほとぼりがさめたら、きっとまた何かに出てくるだろうから、「可哀想」と思う必要もないのだろう。ただ、こういう間違いと言うか、失言は、そういう考えを持っているからついつい出るので、キャロルに限らず、誰もがやってしまう危険がある。私自身も含めて、である。

 そこで、他人の感情に配慮できる社会にするには、まずこの言葉が黒人系の人にとってどんな意味を持つかを理解する必要があるだろう。(ハリー王子が士官学校時代に同僚を「パキ」と呼んだ件では、呼ばれた本人も「構わない」と言っていたが。)

 まず「Golliwog」(ゴリウオッグ)という名前の由来だが、19世紀に書かれた、児童文学の中に出てくる登場人物の名前だ。作者が子供時代に見た「ミンストレル・ショー」を参考にしたという。

 このショーはウイキペディア日本語版によれば、

 ミンストレル・ショー(minstrel show)とは、顔を黒く塗った(Blackface)白人(特に南北戦争後には黒人)によって演じられた、踊りや音楽、寸劇などを交えた、アメリカ合衆国のエンターテインメントのこと。ミンストレル・ショーは、そのステレオタイプ的でしばしば見くびったやり方で黒人を風刺した。ミンストレル・ショーは1830年代に簡単な幕間の茶番劇(Entr'acte)として始まり、次の10年には完全な形を成した。19世紀の終わりまでには人気に陰りが出て、ヴォードヴィル・ショーに取って替わられた。職業的なエンターテインメントとしては1910年頃まで生き残り、アマチュアのものとしては地方の高校や仲間内や劇場などで1950年代まで存続した。アフリカ系アメリカ人が人種差別に対して法的にも社会的にも勝利し政治的な影響を持つようになり、ミンストレルは大衆性を失った。

 子供向け小説の登場人物を模して作られた人形が人気となった。1960年代まで、米国、英国、オーストラリアなどで多くの子供がゴリウオッグ人形を腕に抱えた(現在でも一部で販売しているところはあるだろう)。

サッチャー元首相の娘がBBCの番組を下ろされた理由_c0016826_354758.jpg このゴリウオッグ人形の別形として、タイムズ2月6日号が、日本で言うところの「ちび黒サンボ」の絵を載せている。紙面には児童小説の作者フローレンス・アプトンが持っていたといわれるゴリウオッグ人形の顔の写真もある。これはやや度肝を抜かれる。もろ「黒人の顔」なのだ。(といっても、今思い出すと、小さい時、青い目の人形を所有していた。人の顔に似せるのが人形の特質とすれば、黒人の顔そっくりの人形があってもおかしくはないが、今見ると、どうも、居心地の悪さを感じる人は多いのではないか。世の中の考え方はこの数十年でずい分変わった。)

http://women.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/women/the_way_we_live/article5671433.ece
 
 この記事の中で、ナイジェリア出身の女性が、英国の学校に入って同級生の男児に「黒いサンボ」と呼ばれたことや肌の色の違いを指摘され馬鹿にされ続けた屈辱的な体験を書いている。屈辱感は今でも消えていないようだ。

 また、マシュー・サイド氏が、「肌の色で人生の成功や失敗が決まってしまう」ことの不合理さを以下の記事に書いている。ゴリウオッグや「ニガー」といった人種差別的言葉はいやな過去の歴史を思い出させるばかりか、時計の針を元に戻してしまう危険がある、と指摘する。サイド氏はこうした点からキャロル・サッチャーの番組はずしを決定したBBCは正しかった、としている。

http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/columnists/guest_contributors/article5671546.ece

 この一連の事件に関して、正解はないと思う。また、絶対傷つけないようにすることもできないし、偏見や差別も簡単にはなくならないだろう。ただ、一つ一つの具体例に接して、お互いの感情を言葉にして伝えてみて、その都度、学んでいくのだろう。
by polimediauk | 2009-02-07 03:55 | 放送業界