小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

朝日新聞の「ジャーナリズム」2月号で裁判員制度と報道特集

 もっと前に紹介するべきだったが、取り上げる論点が多く、考え込んでいるうちにいよいよ3月になってしまった。朝日新聞社の「ジャーナリズム」2月号「裁判員制度は事件報道を変えるか」は、自分が英国分の寄稿をしたという点を度外視しても、様々な考えるヒントを与えてくれる。

 今年5月から、日本で裁判員制度が始まることになり、これに絡んだ報道、つまりは事件報道や裁判報道のあり方が日本のメディア界で大きな問題になっていることを知った。

 それにしても、何故今、事件報道が問題視されているのだろう?-この疑問が消えなかった。

 2月号を読み、他の筆者の原稿を読むうちに、日英間の事件報道にずい分大きな違いがあることに改めて気づいた。個々の具体的な事例で違うというよりも、ある情報を公に伝える時の、あるいは警察の捜査の仕方などの心構えや考え方、個人情報の出し方や、ある組織の一員として書くのか、あるいは組織の一員だがあくまでも自分の意見として書くかなど、本当に広い意味で、大元の考え方が違うようだ。

 「広い意味の大きな違い」とは何か?

 あくまでも私の観察だが、最も分かり易い具体例は、いわゆる署名記事のある・なしである。署名で書くと、記者は個人の責任で記事を書く。間違いがあったら、一義的にはその記者の責任である。日本でも署名記事は増えているが、英国は日本と比べるとかなり多い。署名記事では、記事の書き手が誰なのか、誰が責任を持つのかが、一目瞭然だ。

 特に裁判報道では「誰が言ったか?」が非常にきっちりと示されているので(法廷侮辱罪による縛りがあるので)、偏向がない。(といっても、犯人逮捕前には扇情的な報道、犯人視報道はむしろたくさんある。感情的な報道が本当に多い。)

 警察の捜査でも、例えば取調べ内容はテープに録音されている。客観的証拠が残り、自白の強要が防げる。テープ録音の導入には日本では抵抗があるかもしれないが。

 また、陪審制の歴史が長い英国では、市民が司法審理に参加することの大原則は、時に論議を呼びながらも、未だ覆されていない。陪審団に選ばれた市民は特別な知識を必要とされない。「普通の市民が、裁判当日、裁判所で審理に参加して、それで判断する」ことが重要視される。「司法のプロ」でなくもよい、という考え方だ。この点(専門知識がない)を不満に思う人が日本では多いようだ。

 ・・といって、日本の方があるいは英国の方が良い・悪いといっているのではない。とにかく「違う」なあという感じがする、ということだ。
 
 2月号では、藤田博司氏(朝日新聞社報道と人権委員会委員)が「今こそ情報『明示』の原則へ」と題した原稿の中で、米国と日本の報道の違いに触れている。

 情報源開示の明示に関して日米で「隔たりが生じる理由は、なぜ情報源の明示が必要かをめぐる考え方の違いによる」、と氏は書く。米国では情報源の明示は伝える情報の信頼性を担保するためのものであり、それが読者が求めていると考えている。したがって、「可能な限り明示に務めることを、読者に対するジャーナリズムの責任」と考えている。しかし、日本ではこうした意識が乏しい、と指摘する。

 藤田氏は、「何故今、問題視されているのか?」という疑問に一つの答えを出している。

 氏は、1987年、「客観主義報道をめぐる哲学的な議論より、情報源の明示を徹底して正確な事実を伝える努力をすることが先決だ」と主張したが、本格的な議論がかわされることはなく時が過ぎた。「裁判員制度をきっかけに、司法の側からの指摘を受けて事件報道の見直しを迫られ、いわばその行きがかり上、情報源の明示を考え直さねばならなくなった」という状況ではないか、と書く。

 氏は、裁判員制度開始をきっかけに、裁判報道に限らず、「政治報道や経済報道も含めた、日本のジャーナリズムにおける情報源の扱いを根底から改めることの重要性を、現場の報道人たちが理解」することを提唱している。

 1976年、朝日新聞の編集員だった疋田(ひきた)桂一郎氏(個人)が、社内研究誌に書いた「ある事件記事の間違い」も掲載されている。「警察発表に頼る事件記事の危うさ」を示した報告である。この事件そのものは後に上前淳一郎氏の「支店長は何故死んだか」で紹介されたという。

 一部を引用すると、「・・どういうわけか、こと事件報道に関する限り、警察からの一方的な記事がまかり通っている・・・(中略)・・・悪人については何を書いても構わない、とでもいうのだろうか。このような事件報道が、人を何人殺してきたか、と思う」。

 また、裁判・事件報道からは離れるが、パレスチナを取材し続ける日本人ジャーナリストらの話があり、「伝えずにはおくものか」という気持ちが原動力という。
by polimediauk | 2009-03-01 02:44 | 新聞業界