小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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BBCの「パノラマ」の威力

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イラク戦争の意義を問い続ける


 BBCの時事ドキュメンタリー番組「パノラマ」の放映が開始されたのは1953年の11月。時の権力の乱用をチェックし、追及するという点が番組の意義の1つだ。

 3月20日放送分は「イラク、トニー、真実」と題され、2003年3月のイラク戦争開始までの過程で、ブレア英首相が戦争の大儀に関して嘘をついたのではないか?という点を、関係者のインタビューを交えて徹底取材したものだった。戦争開始から2周年記念、というのが放送開始のタイミングだ。

 米国と共にイラク戦争を開始した英国だが、イラクの大量破壊兵器の脅威に関して、さんざん脅かされた英国民は、戦後、大量破壊兵器が見つからなかったことで、「十分な開戦理由がなかったのでは?」という疑念を持ち続けてきた。

 開戦後2ヶ月がたった2003年5月、BBCの朝のニュース番組「TODAY」の記者が、「英政府はイラクの脅威を誇張した」と報道した後、この報道の匿名情報源だった国防省顧問が自殺している。この報道はたった1人の人物の自殺では終わらず、自殺に至る経緯を解明するために立ち上げられた調査委員会が、「BBCの報道には根拠なし」としたため、BBCの経営委員長と会長がほとんど同時に引責辞任をする顛末にもなった。「政府側が誇張していた事実はなかった」と調査委員会が結論づけて、政府側には何の辞任もなかった。

 現在までに、他の調査委員会の報告などから、開戦前に言われていたような大量破壊兵器は存在していなかったこと、開戦に至る諜報情報が信頼性の低いソースに依存していたことなどが分かってきた。

 一国の政府の重要な決断の中でも、開戦の決断は最重要の事柄と言えるが、こうした決断の際に、ブレア首相は、情報が信頼性の低いものであったことを「知っていながら」、それでもイラクの大量破壊兵器の脅威を国民に訴え、開戦へと誘ったのだろうか?それとも、信頼性が低いものだと言うこと知らずに、開戦を訴えたのか?

 徹底的な調査報道で知られるパノラマが、この問いに答えを出そうとしたのが3月20日の放送だった。
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 番組は、2002年の時点から、既に、フセイン体制の打破には武力攻撃しかないと見ていた極秘の政府文書を紹介していく。

 2003年3月、武力攻撃を可能にする国連決議採択に向けて努力していた英国だったが、シラク仏大統領がいかなる決議案も否決するとフランスのテレビのインタビューで答え、これを機に、一気にフランス・バッシングの雰囲気が英国内で作られてゆく。

 最終的に英政府が新たな国連決議なしに開戦へと進む動きのよりどころになったのが、ゴールドスミス法務長官の助言だった。法務長官は、かねてから、新たな国連決議なしでのイラク戦争開戦は「違法」としていたのだが、開戦直前になってワシントンを訪問した後、「新たな国連決議なしでも開戦は合法」とする助言を出す。

 これをきっかけにブレア首相は開戦決議案を議会に提出。長丁場の審議の上、開戦が決定されてゆく。

 番組は、開戦までに至る過程で、フセイン政権打倒という米国の方針に、いかに英国が追従していったか、「違法」を「合法」とし、「信頼度の低い情報」を「間違いのない情報」として国民に提示していったかを、明瞭にした。

 昨年まで欧州問題に関する首相アドバイザーだったスティーブン・ウオール氏は、番組の中でこう語っている。「国連の決議なしでもイラクを武力攻撃できるとした法務長官の助言は、法の議論を限界を超えて引き伸ばしたのだと思う。政府側には、そんなことをする権威はないのにそうしてしまったのだから、危険な前例を作ってしまったと思う。ブレア首相に自分の見解を伝えなかったことを後悔している」。

 「戦争に行くということは、国際関係の中でも、最も真剣な行為だと思う。人の命を、国民の命を危険にさらすことなのだから最後の手段であるべきだし、(開戦の決定は〕国際的権威のあるところが決定するべきことだった」。

 番組は、以下の言葉で終わる。

 「大量破壊兵器は見つからなかった。

 政府のイラク文書を作成するのに使われた情報機関MI6の主な情報源の半分は、信頼するに足りなかったものとして取り下げられている。

 首相官邸にコメントを求めたところ、これまでに行われた4つの調査委員会が報告した事実に、これ以上付け加えることはないということだった。

  しかし、どの調査委員会も明らかにしていないことが1点ある。それは、ブレア氏のイラク政策の進化だ。

 ブレア首相が公で言ったこと。個人的に知っていたこと。この2つを自分の中では調和させることができるのか」。

 プリゼンターのジョン・ウエア氏はエディターのマイク・ロビンソン氏とともに、イラク戦争関連で3本の番組を担当した。BBCの報道を巡って自殺した政府高官の話をトピックに、BBCと政府との対立の様子を描いた「死への闘い」は、ロイヤル・テレビジョン協会賞を受賞。政府批判もさることながら、BBCという自社批判が高く評価された。もう1つ、開戦までの諜報情報の不十分さを描いた「諜報情報の失敗」も制作している。

 それぞれ、番組のトランスクリプトがウエブ上からダウンロードできるようになっている。

 関係者へのインタビュー、文書資料、ニュース映像などによって構成され、非常にオーソドックスな作りになっているが、放映終了後、これほど真っ向から、時の政府の重大な決断に関して、鋭く突いたドキュメンタリーをしばらく見たことがないような気がした。

 前に、BBCにも日本のNHKにも、同様にすばらしい番組がたくさんある、と書いた。しかし、政府批判を1つの文化と言えるほど頻繁にしてきたBBCだからこそ、できた番組だった。

 昨年、パノラマの制作者に話を聞く機会があったが、「TODAYの記者が、ネタをこっちに、持って来てくれればなあと、何度も考えた」と言われたことを思い出す。「そうしたら、こっちの調査取材のこれまでの蓄積を十二分に駆使して、もしかしたら、ブレア政権の転覆だって夢とはいえなかったと思う」。

 TODAYの報道の後でトップ2人を失ったBBCは、政府との闘いにある意味では、「負けた」。しかし、BBCというジャーナリズム組織が存在する限り、様々な形で、時の権力をチェックし、パワーの乱用、不正を追及することが、何度も、何度も、できる。TODAYのかたきを別の番組がとった・・・そんな思いもした。


 
by polimediauk | 2005-03-22 09:10 | 放送業界