少年報道、名前を出すか出さないか?
取り扱いが、内外で差
米国で、16歳の高校生が銃乱射事件を起こした。
イギリスの朝刊には男子生徒の顔写真、名前、事件の概要が載っている。BBCオンラインのネットニュースでも同様だ。
そして、同じニュースを日本語のネットで見る。おそらく紙の新聞でも同様の扱いになっているとは思うが、この男子高校生の実名、顔写真は載っていない。
海外のニュースであまり細かいことまで日本の読者に伝える必要がない場合、事件の人物の実名などを出さないことはあるだろうと思う。しかし、これほど大きな事件で、犯人とされる人物の実名などの情報が出ていないのは、日本では年少者保護の観点から報道内容の一部に縛りをかけているからだろう。
イギリスに本拠を置くロイターのウエブ・ニュースでも、日本語版では高校生の実名がなく、その徹底度に驚く。
イギリスでも、18歳未満の少年少女が事件を起こした場合、基本的には新聞で実名報道をしないことになっており、特に一旦裁判が始まってしまうと、報道規制がきつくなる。しかし、10歳から刑事責任を問われるという、日本からすると(いや、日本だけではなく、国際的に見てもこの数字がかなり低いので、国連も引き上げを要求しているという報告書を目にしたことがある)年少犯罪者に対して厳しい姿勢で臨むイギリスでは、実名・顔写真報道がなされることは、たびたびある。
特に、その犯罪が「重大」とされるもの、例えば殺人などの場合、実名が報道される確立が高い。報道の基準は、基本的に裁判官がすることになっているが、裁判が始まる前から報道されることもあるから、一旦犯罪を起こしてしまうと、実名報道が避けられない状態になる可能性が高い。
そこで、2つ疑問がわく。
日本で起きた少年犯罪で、該当少年の保護のために実名・顔写真報道をしないというのは、納得できるが、海外で起きた場合でも、実名などの情報を隠す・報道しない必要があるのだろうか?該当少年が日本に来て住むということはほとんどないだろうし、日本から該当少年あてに嫌がらせが起きるとも思えない。他の少年報道と足並みを合わせるため、という理由があるのだろう。
そこで次の疑問になるのだが、いや、疑問というよりも思ったことは、「報道の自由」、「知る権利」といったことを考えるとき、どこまで知る権利があるのか、どこまで報道の自由があるべきか、ということだ。
イギリスで10歳から刑事責任を問われると書いたが、こうした懲罰主義と、日本の少年法の意義、精神は合致しない。日本の国民世論も、年少者の実名報道に合意・納得する状況ではなさそうだ。
したがって、イギリスで実名・顔写真報道がなされているからといって、イギリスの方がオープン、ということで、これに追随するわけにはいかない。国によって、どこまで報道するのか、許されるのかが、違うのだ。
これは少年報道に限らず、他の点でも似たような面があって、大雑把な言い方だが、イギリスは対決、対立をものともせず、言いたいことを言う、書きたいこと・書くべきことを書く、という面が、日本よりは強いようだ。しかし、これはメディアが勝手にやっている、というよりも、国民の合意というか、「そうあるべきだ」とする考え方に支持されている。
イギリスにいて、米高校での乱射事件の報道を、英語で、それから日本語で読むと、日本語の方の、「名前なし」報道が、ちょっといびつに見える。しかし、イギリスのように、懲罰主義的な実名報道になったほうがいいのかどうか?結論は簡単には出ない。