英テレグラフ紙が議会のタブーに挑戦(上):「メディア展望」より
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英テレグラフ紙が議会のタブーに挑戦(上)―下院議員の経費乱用の実態、明るみに
今年5月上旬、英高級紙デーリー・テレグラフが下院議員の経費超過請求にかかわるスクープ報道を開始した。「別宅手当て」と呼ばれる制度を利用して、完済している住宅ローンの金利の支払いを請求したり、経費を使って家を改修後売却し、その売却益で私腹をこやすなどの実態が明るみに出た。税金を私利私欲に使う情けない議員の姿に国民は怒り、落胆した。テレグラフ紙は姉妹紙のサンデー・テレグラフと共に連続35日間、一面トップで経費問題を扱い、複数の閣僚の辞任が生じた。報道開始から2週間後、下院議長までも辞任の意向を表明せざるを得なくなった。年内か年明けには一部議員が窃盗・詐欺法違反で起訴される可能性も出ている(11月23日時点)。
同紙による議員経費報道については、本誌9月号の筆者原稿(「電話盗聴疑惑、英新聞界を揺るがす ガーディアンとニューズ社対決の構図」、ブログは以下)の中で
http://ukmedia.exblog.jp/12238230/
http://ukmedia.exblog.jp/12250665/
短く紹介した。その後、テレグラフ担当記者による、報道の顛末をつづった著作「No Expenses Spared」(「どんな経費も逃さない」の意味)が出版され、映画化も予定されているという。
ドラマ化されても不思議はないほど迫力ある一連の報道は、昔ながらの新聞ジャーナリズムの復活を思わせた。ネットはあくまでツールであって、最後は独自のジャーナリズムが決め手となるー筆者にそんな思いを抱かせた。
本稿では、今年、英国の様々なジャーナリズム大賞を受賞することが予想される、同紙による報道の経緯とその影響に改めて注目する。
―「別宅手当て」とは
話を始める前に、ここで問題にする「経費」とは主に「別宅手当て」(通称、正式には「追加費用手当て」)であることにご留意願いたい。議会があるロンドンから遠い場所を選挙区とする下院議員は、議会開会中、ロンドン近辺のホテルに泊まるか、選挙区にある自宅とは別に「別宅」としての住居が必要となる。別宅維持にかかる費用は手当てとして支給され、住宅ローンの金利や賃貸料、地方税、家具代、光熱費他必要経費が対象となる。議員の申請で支払額が決まる。請求最大金額は年間約2万4000ポンド(約350万円)。領収書なしで請求できる金額は昨年までは最大で250ポンド(現在は25ポンド)で、食費も毎月最大400ポンドまで請求可能だ。
別宅および本宅の区別は年間で宿泊日数の多い方が通常は本宅となる。しかし、複数回、本宅・別宅の区別を変更しても構わない。また仮に本宅を別宅として申請すれば、別宅手当てを本宅での経費を負担するために使える。別宅手当ては乱用しやすい仕組みになっていたともいえる。
―情報公開に向けての戦い
テレグラフ報道につながる動きとして、議員経費の情報公開を求めてジャーナリストたちが立ち上がったのは、2004年だ。ロンドンに住む米国人ジャーナリストのヘザー・ブルック氏が、下院に対し議員の経費情報の公開を求めたところ、別宅手当ての総額と使途の要約が取得できただけだった。米国で調査報道にかかわった同氏は、国民に選ばれた議員にかかわる公的情報が簡単には入手できないことを知り、愕然とした。
翌年、政府省庁や公的機関にかかわる情報の公開を国民が要求できる情報公開法が施行となった。これを利用してブルック氏が下院議員全員の経費情報の公開を要求したところ、「実行には費用がかかりすぎる」として拒絶された。同年、高級日曜紙サンデー・タイムズや夕刊紙イブニング・スタンダードの記者らも数人の議員の経費情報の公開を要求し、いずれも拒絶されていた。ブルック氏を含むジャーナリストたちは、情報公開を進めるために設置された「情報コミッショナー」の事務所に窮状を訴え、コミッショナーは情報公開をすべきだと結論付けたものの、下院側がこれを拒否。情報公開をめぐる争いは裁判沙汰にまで発展した。
紆余曲折の後、今年1月には、すべての下院議員の経費を7月に公開することをブラウン英首相が確約した。3月ごろ、全議員の詳細な経費情報が入ったディスクが何者かの手によって下院の外に流出し、大手媒体の買い手を求めているという噂が出るようになった。テレグラフが経費請求の実態を細かく報道できたのは、このディスクを入手したからだった。
―秘密のディスク
3月末、テレグラフ紙の政治記者がPRコンサルタントから連絡を受け、英陸軍特殊空挺部隊(SAS)の元隊員の男性がディスクを持っていることを知った。交渉の末、4月、タバコのケースほどの大きさのディスクを受け取ってみると、中には過去4年間にわたる、全下院議員の経費請求にかかわる領収書やメモなど膨大な量の書類が保管されていた。
ディスクは何故作成されたのだろう?
先の「No Expenses Spared」によれば、下院内では、7月の経費情報公開に向けて議員の住所、その他の個人情報や外に出せない情報を「編集する」(黒塗りにする)作業が行われていた。一定の人数の人員がこの作業に配置され、作業室から秘密が漏れないよう、英軍兵士たちに入り口を警備させていた。
兵士たちは2003年のイラク戦争に派遣された経験を持っていた。現地では、政府が十分な機材や装備を与えなかったために無駄に兵士が亡くなったと兵士たちは感じていた。今度はアフガニスタンに派遣されるに当たり、安全度が高い装備を自前で購入するには低い給与では不可能で、アルバイトをして追加収入を稼がざるを得なかった。そこで作業所で警備員として働くことになったのだった。兵士たちの悔しい感情や、黒塗り作業をしながら議員の経費乱用に怒りを募らせる作業員たちの姿が「No Expenses Spared」の中で描かれている。ディスクを作成し、これを元SAS隊員に渡した人物の名前を著作は明らかにしていないが、作業にかかわった人物の中のある男性が、英兵の置かれている状況と議員の経費乱用ぶりに義憤を感じ、元SAS隊員にディスクを渡したことになっている。(「下」に続く。)