小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


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英テレグラフ紙が議会のタブーに挑戦(下):「メディア展望」より

  時事通信の湯川さんが、今月末で会社を退職されることを知った。

http://it.blog-jiji.com/

 湯川さんのブログ「ネットは新聞を殺すか」を読んで、様々なことを触発され、このブログを2004年に始めた。退職のニュースは驚きで、ショックだった。勇気があるなあとも思う。最初はフリーで働かれるようだが、何かまたおもしろいことに踏み出すのだろう。

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 以下は「メディア展望」12月号(新聞通信調査会発行)に書いた原稿の転載(下)である。


英テレグラフ紙が議会のタブーに挑戦(下)―下院議員の経費乱用の実態、明るみに

―問われた「小切手ジャーナリズム」

 ディスクをテレグラフに託した元SAS隊員の条件は「一部の議員だけでなく、全ての議員を対象にして報道してほしい」「情報提供料として11万ポンドを支払ってほしい」だった。大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールドの元編集長がガーディアンによる盗聴疑惑報道の関連で認めたように(前掲の記事参考)、大衆紙が情報提供者にお金を払う(小切手ジャーナリズム)行為は常習化しているようだ。しかし、高級紙は少なくとも表向きにはこうした慣習がない。現に、タイムズがアプローチを受け、3万ポンドの情報提供料の支払いを求められた後で、ディスクの受け取りを却下している。11万ポンドの支払いは金額自体が大きいことに加え、テレグラフでは通常情報を買うことがないため、記者は情報取得は不可能と思ったが、ウィリアム・ルイス編集長(当時)を含め、経営陣もこれを最終的に承諾した。

 4月末、ライバル紙に情報が漏れるのを防ぐため、テレグラフ紙では数人の記者を「研修」と称して一室に集め、他の記者や家族にも他言をしないよう伝えて、膨大なディスク情報の分析を開始した。原稿を書く前に情報の解読と確認に2時間を要したという。該当する議員のコメントを求めた後で原稿を作った。5月7日夜、ウェブサイト(紙媒体は8日付)で「内閣の経費にかかわる真実」と題した第一報を開始。翌日以降も、ブラウン首相をはじめとする閣僚や与野党議員の経費超過請求の実態を次々と暴露していった。

 別宅手当ては「議員の活動に必要」とされる経費(住居を含む)に支給されるが、あひるの家が建設された庭の維持代に1万2500ポンドを請求したり、夫婦両者が議員の場合、同じ住宅を別宅として経費を二重請求するなど、庶民の感覚では不当と感じる経費請求が目白押しとなった。他に超過請求の手口とは①「別宅」と「本宅」の定義を適宜変えるー本宅を別宅とすることで、別宅手当てを受け取る②別宅手当てで住宅を改装した後売却し、売却益を得る③住宅ローンを支払い終わっていても、ローン金利の支払いを請求する④退職直前に改装を行う⑤別宅用として購入した家具などを後で本宅に運ばせる⑥子供が住む住宅を別宅として届け出て、手当て収入を得る、など。

 ウェブサイト上に経費問題に特化したページを作り、それまでの経緯と共に議員の反応を動画に撮り、掲載もした。ディスクを持っていない他メディアは連日のテレグラフの報道を後追いする羽目になった。同紙の発行部数(通常は約90万部)は報道の初日5月8日には8万7000部増え、同月一杯は1日平均1万9000部増加した。6月21日(土曜日)は、経費問題を特集した小冊子を付録に付け、通常の土曜日発行分より約15万部多く売れた。

 テレグラフによる「問題経費」の請求者にはブラウン首相、ストロー司法相などの政府閣僚や、保守党、自由民主党など野党議員、無所属議員も含まれていた。報道に対し、多くの議員は「合法に経費を申請している」と反論したが、選挙民からの不信の高まりを察知し、経費の一部を返還する議員も続出した。手当ての内訳の公開を拒んできたマイケル・マーティン下院議長(当時)は世論の風当たりに耐えられず、5月19日、6月末での辞任を発表した。下院議長が辞任を強いられるのは1695年以来だ。

 来年5月までに行われる次期総選挙には立候補しないと表明する政治家も多く出ている。テレグラフの見込みでは、現行の下院議員646人のほぼ半数に当たる325人の議席が新たな議員を迎える。

 先の「No Expenses Spared」によると、ルイス・テレグラフ編集長は当初、ディスクを入手した件で自分自身や記者が警察の取り調べを受け、逮捕あるいは禁固刑が科されるのではないかと非常に心配していたという。同紙は記者やデスクが自宅や編集室で逮捕される可能性を考慮して、弁護団を手配した。しかし、マーティン下院議長辞任宣言の日、報道には「公益性がある」として、ロンドン警視庁から捜査を行わないとする声明文が届いた。

―黒塗りだらけの経費情報

 6月18日、下院は、7月に公表予定だった議員の経費情報を繰り上げ公開した。大部分の書類は議員の住所などの身元情報が黒く塗りつぶされていた。テレグラフ紙はオリジナルの文書と下院が公表した文書を並べて見せた。議員の別宅・本宅の住所が塗りつぶされた場合、別宅手当ての乱用は国民の目に触れることはなかった。

 政治とお金にかかわる問題を吟味する公務員基準委員会は11月上旬、議員手当て制度を改革するための提案書を出した。この中で、今後請求対象に入らないものとして、別宅の住宅ローン金利、庭の手入れや清掃代を挙げ、別宅と本宅の定義を変えて利益を得ることや議員の家族を自分の事務所で雇用することを禁止する提案を行った。今後、経費の請求に関しては、新たに設立された独立議会基準局(IPSA)が管轄することになった。

 しかし、IPSAのウェブサイトは「オープンさと透明性が基本原則」であるとしながらも、経費情報すべてが公開されるかどうかに関しては、「どこまでの情報をどのような形で公開するかの詳細はそのうち」公表すると書かれている。はたして「秘密のディスク」を再度持ち出すことなく、広く情報が開放されるかどうか、不安が残るのが現状だ(私自身が最も懸念をしているのがこの点だ)。

―期待される調査報道

 テレグラフの経費請求報道は英メディア界、一般国民の間で高く評価された。当初批判された、情報をお金で買った点に関しては、「公益があった」としてその必要性を認める見方が大勢となった。

 ルイス・テレグラフ編集長はメディア業界雑誌「プレス・ガゼット」11月号の中で、これを機に「社内で長期的な調査ジャーナリズムに人材を配置する土台ができた」と語っている。1970年代、サンデー・タイムズ紙は睡眠薬サリドマイドの人体への悪影響を暴露し、調査ジャーナリズムの旗手として名声を得た。ルイス氏はテレグラフ紙にもそんな伝統を根付かせたいと願っているという。一方、同記事の中で報道チームの核となった二人の記者は「報道の本当の影響は、総選挙の結果に出ると思う」「まだこの報道は続いている」と語っている。(終)
by polimediauk | 2009-12-07 18:40 | 新聞業界