赤道ギニアの政府転覆未遂事件―「英国ニュースダイジェスト」より
2004年に起きた赤道ギニアの政府転覆計画と関係者について調べると、様々な人が様々なことを言っている。とりあえず、「英国ニュースダイジェスト」(11月26日号)でこの件について書いた。以下はそれに若干付け足したものである。12月上旬放映のBBC4の「ストーリービル」という番組も、サイモン・マン氏を取り上げていた。(視聴は21日までできるが、英国内居住者を対象とする。) この番組で分ったことも若干、中に入れた。
http://www.bbc.co.uk/iplayer/episode/b00p5wl1/Storyville_20092010_Simon_Manns_African_Coup_Black_Beach/
―赤道ギニア(Republic of Equatorial Guinea)とは
面積:約2万8000平方キロ(北海道の約3分の一)
人口:67万6000人(BBC)
首都:ビオコ島にあるマラボ
民族:ブビ族、ファン族、コンベ族、ベレンゲ族
主な言語:スペイン語、フランス語
平均寿命:男性は49歳、女性は51歳
宗教:キリスト教(99%)、伝統宗教
通貨:CFAフラン(セーファーフラン、旧仏植民地を中心とする多くの国で用いられる共同通貨)
主要輸出品目:石油、木材、ココア
主な歴史:
1968年:スペインから独立
1972年:マシアス・ンゲマ終身大統領就任
1979年:クーデーターでオビアン・ンゲマ政権成立
1982年:軍政から民政へ。オビアン・ンゲマ氏が大統領に。
2002年:オビアン・ンゲマ氏が大統領3選(4期目)。
2004年:クーデーター未遂事件
(資料:外務省、BBC)
―事件の主な登場人物
サイモン・マン氏:名門イートン校、士官学校サンダーハーストで学んだ、元SAS(英陸軍特殊空挺部隊)幹部。英国と南アフリカの2重国籍を持つ。赤道ギニア事件の首謀者として34年間の禁固刑が下るが、11月上旬、釈放された。自身が経営する警備傭兵会社Executive OutocomesやSandline Internationalはシオラレオネやアンゴラの紛争地域でビジネスを展開。
グレッグ・ウェールズ氏:英国の企業家でマン氏の旧友人。クーデター計画では米国防省の支援を得ようと画策し、50万ドルを集めたと言われている。本人は関与を否定。
マーク・サッチャー氏:サッチャー元首相の息子。クーデータ支援で有罪。計画に使われる予定だったヘリコプターを調達したことを認める代わりに減刑する「司法取引」の後、執行猶予。
ジェフリー・アーチャー氏:事件発生の少し前に、企業家エリー・カリル氏と電話で会話を交わした形跡がある。直前には、アーチャー氏の口座からマン氏の口座に13万5000ドルが送金された。本人は関与を否定。
オビアン・ンゲマ氏:過去20年間、赤道ギニアの大統領。2006年、ライス米国防長官(当時)は「よい友人」と述べた。
セベロ・モトヌサ氏:赤道ギニアの野党勢力の指導者。クーデーター首謀者たちは、成功すれば、同氏が政権を取ることを確約していた。1986年からスペインに亡命中。
エリー・カリル氏:英国とレバノンの2重国籍を持つ、在ロンドンの企業家。アフリカを中心にビジネス活動を行う。クーデーター事件の発案から資金繰りまでを指揮していたと言われているが、本人は関与を否定。
―政権交代を狙う?
事件を振り返ってみよう。2004年3月、南アフリカから60人を超える傭兵を乗せた輸送機がジンバブエに向かった。ジンバブエで大量の武器を積み込み、赤道ギニアでオビアン・ンゲマ政権を転覆させる計画だった。
計画の中心になったのは、元SAS(英陸軍特殊空挺部隊)幹部、傭兵会社の経営者、かつては映画に俳優として出演したこともあるサイモン・マン氏だ。また、当時南アフリカ在住のマーク・サッチャー氏は、計画に使う予定だったヘリコプターの調達費用を出していたという。
しかし、計画は予定通りには運ばなかった。クーデターを察知したジンバブエ当局はマン氏と南アフリカの傭兵団を逮捕する(後で、南アフリカ政府と緊密な連絡を取り合っていたことが分る)。赤道ギニアではマン氏の友人で元南アフリカの兵士だったニック・デュトイト氏他十数人が逮捕された。赤道ギニア当局はデュトイト氏らがクーデターの先遣隊だったと見ていた。
後の調べで、クーデーターの目的は赤道ギニアのンゲマ現職大統領を追放し、代わりに亡命中の野党勢力の指導者セベロ・モトヌサ氏を政権につかせることだったことが分った。
マン氏らは「民主化のためにクーデターを計画した」と主張するようになるが、もし成功していれば、巨額報酬と石油とガスの利権を手中にできた。マン氏はBBCの番組「ストーリービル」で巨額報酬をもらえることが1つの目的だったと述べた。事件の顛末を著作「Wonga Coup」(Wongaとはお金の俗称)に書いたアダム・ロバーツ氏は、「純粋に利権目当てだった」と結論付けている。
マン氏はジンバブエで拘束された後、08年、赤道ギニアに移送された。クーデーター未遂事件で34年の禁固刑が科されたが、11月上旬、恩赦により、釈放された(英政府と何らかの取引があったのかどうかー?)
―急にリッチになった国
事件の背景にあるのは天然資源の利権争いだと言われている。赤道ギニアは、かつてはカカオのプランテーションや木材資源にたよる貧しい国だった。1980年代に油田探査の結果、開発が進み、1990年代半ば以降は毎年2ケタの急激な経済成長を遂げた。石油生産量はピーク時で日量40万バレル水準を達成し、サハラ砂漠以南では、アフリカで第3の規模を誇る産油国となった。
しかし、資源開発技術が自国では不十分なため、米国など外国の技術力に頼らざるを得ない状況だ。先のロバーツ氏はBBCの番組の中で、石油利権を拡大しようとした米企業やスペイン当局の事件への関与を示唆した。「ストーリービル」などによれば、赤道ギニアをかつては植民地の1つとしていたスペインは利権取得から締め出された状態になっており、これを何とか打開しようとしていたという。
事件の首謀者とされるマン氏は、自分は「管理をしていただけで、計画の提案者ではない」と言い続けてきた。また、スペイン政府と南アフリカの両政府の後押しや、マーク・サッチャー氏の深い関与も主張している(両政府、サッチャー氏ともにこれを否定)。「ストーリービル」は、英国(ストロー司法相)や米政府が、クーデーター計画を事前に知っていたにも関わらず、これを止めようとしなかったため、「後押ししていた」「了解済み」と解釈されても仕方なかったと指摘している。
また、米国、英国、スペインに嫌気が指したと思われる赤道ギニアの大統領が天然資源開発のパートナーとして選んだのは中国。「ストーリービル」によれば、同国では人権抑圧がひどく、刑務所では拷問が日常化されているという。中国ならば、「米国・西欧諸国のように人権抑圧がどうしたこうしたとは言わない」点も現大統領にとっては「都合が良い」という。どこまでが本当なのかは分らないが、「ストーリービル」はずい分おどろおどろしい国として、赤道ギニアを描いている。
ロンドン警視庁は、計画立案を巡り後日マン氏から事情聴取予定とされている。複数の政府の関与が明るみに出る可能性もある。事件の全貌の解明は終わっていない(というか、最後まで分らないかもしれない)。
―年表
2003年7月:クーデター計画の首謀者の1人とされる、英国の企業経営者グレッグ・ウェールズ氏が赤道ギニアの「政権交代への支援」を提案
8月:赤道ギニア出身の野党勢力指導者セベロ・モトヌサ氏がマドリードに亡命政府の設立を宣言。資本家エリー・カリル氏とサイモン・マン氏が支援。
2004年1月:マーク・サッチャー氏がマン氏が使う予定だったヘリコプターのチャーター費用27万5000ドル(現在のレートで約2450万円)を支払う。
3月:マン氏が60余人の傭兵らとともにジンバブエの首都ハラレで逮捕される。赤道ギニアではニック・デュトイト氏や十数人の傭兵らが逮捕される。
7月:マン氏がジンバブエで禁固刑を科される。
8月:サッチャー氏が傭兵活動を財政的に支援した罪で、南アフリカで逮捕、起訴される。
11月:デュトイト氏とセベロ・モトヌサ氏に大統領の失脚未遂で有罪判決が下る。デュトイト氏に34年、モトヌサ氏に64年の禁固刑。
2005年1月:反傭兵法によって、サッチャー氏が南アフリカで有罪となる。約50万ドルの罰金の支払いを命じられる。
2008年1月:マン氏が赤道ギニアに送還される。
7月:マン氏に34年の禁固刑が下る。
今年11月:マン氏、デュトイト氏、他3人の傭兵が恩赦により釈放される。
(資料:新聞各紙、BBC)
―関連キーワード
mercenary:傭兵。主権国家の軍隊の一員である兵士とは異なり、他国の軍隊の一員として様々な規模の地域の紛争で軍事活動に従事し、報酬を得る兵士。通常の兵士が得る給与よりは大きな金銭的報酬を得ることから、「大金目当ての職業」に従事するとして、否定的な文脈で語られることも多い。アフリカの複数の国では他国の内戦に傭兵として参加するケースが増えており、これを止めるため、南アフリカ共和国は海外での傭兵活動を禁止する法律を1989年成立させた。