小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

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ターナー賞を巡る英国民の本音:「英国ニュースダイジェスト」より

 英国に住む邦人向けの週刊新聞「英国ニュースダイジェスト」で、2週間に一度ぐらい、その時々のニュースのトピックについて書かせていただいていた。今年はしばらく休む予定で、最後に書いたのが、現代美術を代表すると言われる「ターナー賞」のトピックだった(2009年12月24日号掲載)。

 私自身、アートには詳しくないのだが、ターナー賞はやたらと英国で話題に上る。アートに関心のある人もない人も、何か一言意見を言いたくなるのがターナー賞らしいのだ。「ターナー賞=わけの分らないものをアートと称する賞」と見る人もいれば、高く評価する人もいる。一体これはどういうことなんだろうといつも気になっていた。

 以下はダイジェストの原稿に若干付け加えたものである(資料元の多くはターナー賞のウェブサイト)。http://www.tate.org.uk/britain/turnerprize/


現代美術を牽引するターナー賞とは?
 
 英国の現代美術の今を最もよく反映すると言われる「ターナー賞」の2009年の受賞者が、昨年12月7日、発表された。毎年、奇想天外な作品を作るアーチストが選ばれてきたが、金箔を使った巨大壁画を展示したリチャード・ライトさんが最新の受賞者となった。いつもは厳しい美術批評家たちも素直に「きれいだ」と感想をもらす作品の作り手が名誉を得た。25年間、芸術に関する議論を呼び起こしてきたターナー賞のこれまでを振り返る。

―2009年の受賞者と作品

 画家リチャード・ライトさん(49歳)。中世の絵画、活版印刷、様々な図形のイメージからヒントを得た、繊細かつ優美な壁画作品で知られる。米ピッツバーグ州での第55回カーネギーインターナショナル展とエディンバラでのイングルビー・ギャラリーでの作品が評価された。10月から始まったテート・ブリテンでの受賞候補者の作品展示(1月3日が最終日)では、巨大な金箔模様の壁画を描いた。賞金は2万5000ポンド(約358万円)。

―ターナー賞Q&A

 ターナー賞とは、25年前に始まった、世界でも最も著名度が高い、現代美術の賞の1つ。50歳未満の英国人か英国在住のアーチストで、その年5月までの12ヶ月間に飛びぬけて優れた作品を制作した人物に贈られる。

 通常、5月頃、一般国民が候補者を主催者のテートブリテンに推薦する機会が設けられる。7月、数人の候補者(1991年以来は4人)が選ばれ、10月から翌年の1月上旬まで、候補者の作品がテート・ブリテンで展示される。ただし、この展示で受賞は判断されず、あくまでも候補になった作品で判断される。最終的には審査パネルが受賞者を選ぶ。審査員は作家、批評家、学術員、画廊運営者などで、毎年変わる。12月、受賞者が発表される。

 選考基準だが、そのアーチストこれまでの功績を評価するのが目的ではなく、新たな才能ある芸術家の作品を祝福すること、ビジュアル・アートの分野での新たな動きに注目することが主眼となる。「ターナー」賞の名前は18世紀―19世紀に活躍した風景画家JMWターナーにちなむ。

―ターナー賞のお騒がせアーチスト

デミアン(ダミアン)・ハースト:1965年生まれ。英国で最も著名なアーチストの一人。死んだ動物をホルマリン漬けにしたシリーズが良く知られている。1995年、縦に真っ二つに切断した牛と子牛のホルマリン漬けにした作品でターナー賞を受賞。作品の残酷さや果たして芸術と呼べるかどうかで大きな議論を巻き起こす。2007年には骸骨に8000個以上のダイアモンドをつけた「神の愛のために」と題する作品を発表した。英国で最も高額の作品を作る、「セレブ」アーチスト。

トレーシー・エミン;1963年生まれ。1999年のターナー賞の受賞候補者の一人(受賞はせず)。裁縫、彫刻、絵画、ビデオ、写真、インスタレーションと守備範囲は広いが、常に話題に事欠かない。1997年、「私が寝た全ての人」と題された作品は、テントにアップリケで名前が刺繍されたものだった。同年、チャンネル4の番組に泥酔状態で出演し、暴言を吐く。1999年、ターナー賞候補者となった時には、「私のベッド」と題された作品を出展。汚れたベッドには使用済みのコンドームや血がついた下着などが置かれ、さすがの太っ腹の芸術界でもひんしゅくを買った。

グレイソン・ペリー:1960年生まれ。陶芸家及び女装者として知られ、2003年、ターナー賞を受賞者する。明るい色使いの陶芸作品のテーマは児童虐待やサド・マゾ行為。受賞式には「クレア」という女性の姿で出席した。ペリー氏によれば、クレアはもう1人の自分である。性、サディズム、マゾ、暴力、女装が同氏のテーマで、これに沿ったテレビ番組を制作したり、本も書く。BBCのクイズ番組(10月放送)にもクレアとして登場した。彼の芸術に賛同するかしないかは別としても、表現の限界を一歩進めたのは確か。

―2009年の受賞までを振り返る

 「ショックです。驚きました」―。昨年12月7日、画家リチャード・ライト氏(49歳)は、テレビカメラの前で落ち着かない様子でこう語った。ライト氏は、この日、英国人または英国で活動する50歳未満の優れたアーティストに毎年贈られる、ターナー賞を受賞した。英国で最も注目される現代美術のアーチストの1人となったのだ。

―新人アーチストを奨励

 ターナー賞が設置されたのは25年前。テート・ギャラリー(現テート・ブリテン)のパトロン団体が現代美術の振興を奨励し、国民の芸術に対する関心を高めてもらうため、毎年のイベントとして始めた。毎年顔ぶれが変わる審査パネルは、その年の英国の現代美術のいわば代表者を選ぶことになる。

 これまでのターナー賞の歩みは決して単純なものではなかった。誰を賞の対象者にするかでもめ(当初は美術評論家や学芸員も含まれた)、基準があってないような芸術の世界で、「今年の候補者」として審査パネル数人が恣意的にリストアップするのはおかしいという批判が出た。男性アーチストが候補者を独占していたため、女性のみの候補者リストを作ると、今度は「逆差別」と批判されてしまった。途中から賞のスポンサーとなっていた米投資銀行が破綻したため、1990年には一時中止状態となった。

―国民的議論を巻き起こす

 しかし、ターナー賞の最大の功績は、芸術の振興のみならず、現代芸術の作品が国民の会話に上るようになった点だろう。美術界の新しい動きに焦点を置くという賞の性格から、それまでの既成概念に真っ向から挑戦するような作品が候補となりやすい。1995年、デミアン・ハーストは、残酷でショッキングな作品(縦に真っ二つに切断した牛と子牛のホルマリン漬けにした作品)で受賞した。受賞は逃したものの、トレーシー・エミンが「私のベッド」と名づけた作品でタバコの吸殻や汚れた下着をベッドと共に陳列すると、「果たしてこれが芸術か?」と議論がわいた。

 しかし、既成概念に挑戦する作品を評価する姿勢のあまり、奇抜さや残酷度、不快感の度合いの高さを芸術度の高さと混同している部分はないのか、という批判の声が上がるようにもなった。

―今年の評価は?

 過激さから一転して「美」に主眼を置いたといわれたのがリチャード・ライト氏の今年の受賞だ。同氏はテート・ブリテンの壁を使って、金箔の壁画を受賞候補者として制作した。テレグラフ紙の美術批評家は「あまりにも美しいので、作品の前でぼうっとした」と書き、「こんな感想をターナー賞の受賞者の作品で抱こうとは夢にも思わなかった」と述べた。

 残酷性をあえて作品化するアーチストもうっとりする美を生み出すアーチストも、広く対象とするターナー賞。さて、来年の受賞者は誰になるだろう?

―ターナー賞の歴史

1982年:テート・ギャラリーに展示するために新しい作品を購入し、現代術に関する一般の関心を高める目的で、「Patrons of New Art」(新芸術のパトロンたち)が結成される。
1984年:現代美術の新たな動きを祝うため、パトロン団がターナー賞を創設。賞のスポンサーはパトロンの1人オリバー・ペン氏(当時は名前は公表されなかった)。賞金は1万ポンド(現在のレートで約143万円)。
1987年:2年連続して候補になった芸術家はその後2年間は候補者になれないというルールができる。スポンサーが米投資銀行のドレクセル・バーナム・ランベート社に変更する。
1988年:候補者を発表せず、作品展示のみとなる。受賞者は翌年、個展をテート・ギャラリーで開催できるようになった。
1989年:審査パネルが7人の「候補者に推薦するリスト」を発表する。
1990年:ドレクセル社が破綻し、ターナー賞は休止状態に。
1991年:チャンネル4がスポンサーとなる。賞金が2万ポンドに。受賞候補者に「50歳未満」という年齢制限をつけた。「2年連続で候補者になれない」のルールが廃止される。3-4人の候補者のリストを公表するというかつてのやり方が復活する。
1997年:前年の候補者全員が男性だったため、この年の候補者は全員が女性に。「逆差別」と批判を受ける。
2004年:ゴードンズ社がスポンサーとなる(07年まで)。賞金は4万ポンドに。2万5000ポンドが受賞者に、各5000ポンドが3人の候補者に渡る。
2006年:その年の候補者の作品を、ロンドンのテート・ブリテンでなく初めてテート・リバプールで展示。

―ターナー賞受賞者リスト

1984年:受賞者:マルコム・モーリー (絵画、油彩)
1985年:受賞者:ハワード・ホジキン (絵画、油彩)
1986年:受賞者:ギルバート&ジョージ (フォトモンタージュ)
1987年:受賞者:リチャード・ディーコン (立体:合板やビニール使用)
1988年:受賞者:トニー・クラッグ (立体、ミックストメディア*)
1989年:受賞者:リチャード・ロング (立体:泥と水)
1990年:(スポンサーがなく中止)
1991年:受賞者:アニシュ・カプーア(立体:砂岩と顔料)
1992年:受賞者:グランビル・デイヴィー(立体:鉄)
1993年:受賞者:レイチェル・ホワイトリード (家にコンクリートを流し込んだ後、家を解体)
1994年:受賞者:アントニー・ゴームリー (立体:人型)
1995年:受賞者:デミアン・ハースト (ホルマリン漬けの牛と子牛)
1996年:受賞者:ダグラス・ゴードン (ビデオ・インスタレーション**)
1997年:受賞者:ジリアン・ウェアリング (ビデオ・インスタレーション)
1998年:受賞者:クリス・オフィリ (絵画:油彩、アクリル、写真など)
1999年:受賞者:スティーブ・マックイーン (ビデオ・インスタレーション)
2000年:受賞者:ヴォルフガング・ティルマンス (写真インスタレーション)
2001年:受賞者:マーティン・クリード (インスタレーション)
2002年:受賞者:キース・タイソン (インスタレーション)
2003年:受賞者:グレイソン・ペリー (花瓶)
2004年:受賞者:ジェレミー・デラー (ドキュメンタリー・ビデオ)
2005年:受賞者:サイモン・スターリング (立体)
2006年:受賞者:トマ・アブツ (絵画)
2007年:受賞者:マーク・ウォリンジャー (インスタレーション)
2008年:受賞者:マーク・レッキー (映像)
2009年:受賞者:リチャード・ライト (壁画)
(注*ミクスト・メディア=一つの作品に複数のメディアを混ぜる手法、**インスタレーション=場所や空間全体を作品とする展示物)

―関連キーワード:

Joseph M.W. Turner:英国のロマン主義の画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775年―1851年)。ロンドン生まれの、英国が誇る著名風景画家。英国や欧州大陸の風景を油彩や水彩で描いた。写実的な風景画から、イタリア旅行を機に大気と光に注目する作風に変化した。後年は明るい色彩を達成することに集中し、形態については意を払わなくなったと言われる。
現役当時は時代の先を行く画家として知られた。他の芸術家を支援するための遺産を残す。1984年、現代美術の振興のための賞に彼の名前がつけられた。「トラファルガーの戦い」(国立海洋博物館)、「吹雪―港の沖合いの蒸気船」(ナショナル・ギャラリー)などの作品は特に著名。
by polimediauk | 2010-01-04 02:45 | 英国事情