小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

FTの記事

報道の独立性がない?

 フィナンシャル・タイムズに6日付けで掲載されていた日本のメディアに関する記事を読んでみたが、最終的には、疲れる記事だった。

 まず、「最近の西洋のメディア報道のスキャンダル」という部分で、具体的な例をすぐに思い浮かべることができなかった。最後まで読んで、筆者の一人がアメリカ人なので、右寄りと言われる米フォックス・ニュースの、ブッシュ政権との関わりをさしていると考えてよいのだろうか?あるいはいくつかの米メディア媒体での記事捏造事件だろうか?あるいは、「西洋一般ではメディアの倫理が問われるほど成熟したジャーナリズムがあるが」という意味をこめているのだろうか?(お気づきの方は、ご教示ください。)

 書いている内容は、賛同するかどうかは別としても、1面の真実を突いているように思った。しかし、書き方に扇情的なトーンがある。何でもそうだが、こうしたトーンの記事を読むと、主張の信憑性までもがやや薄らぐことがある。

 同意できなかった部分の1つをあげるが、例えば、週刊文春などの週刊誌のジャーナリズムの程度が(新聞などと比べて)低い、というような個所があるが、週刊誌は新聞とはまた別の機能を持ち、日本のジャーナリズムの一翼をなすと考えるのが、一般的な見方ではないだろうかか。

(追記:後でまた読み返しての感想をここに付け加えたい。細かく見ると、どことなく「?」というものを感じる。それは違和感、というほどの大げさなものではない。アメリカのジャーナリズムは一体どれだけすばらしいんだろう、中国は、そしてイギリスは?と、つい考えてしまう。作者の側に、アメリカ幻想はないだろうか?既に「民主主義」が実行されている国=アメリカという考えが通用しなくなって久しい。しかし、本当に別件になるが、日本にいると、常に「日本対アメリカ」の枠組みの中で比較されたり、考えたりすることが随分と多かったように思う。今思うと、随分堅苦しい考え方だったなあと思う。世界はいろいろな国があるのだから・・。ほんの感想めいた思いだが・・・。)

 フィナンシャルタイムズに関してだが、発行部数は44万部ほど。そのうち、イギリス国内で販売されているのは13万部ほどで、他は海外だ。特にアメリカが多い。日本は1万部ほどと言われている。

 今回の記事は、イギリス版フィナンシャルタイムズの紙面には出ていない。私はあるページに見出しだけが出ているのを見て、「コメント欄に」とあったが、出ていないので、オンラインから拾った。東京で発行されている分には、出ているのだろうと推測する。日本とアメリカ、及びネット閲覧者(ネットの購読者になっていないと、最後までは読めない)に向けて書かれたもの、ということになるのだろう。

 東京にいたときは、報道が早い新聞として重宝していたが、イギリスでは、情報の早さという点では他の新聞に負けているかもしれない。地味な感じを受けるが、国際報道に定評があり、親EU(このスタンスは、イギリスの新聞の中ではめずらしい)、毎日の分析・解説面(コメント欄の前の1ページを、丸々使う)も良い。また、現在の東京支局長デビッド・ピリング氏の記事は、もし英語に素養があったら、是非見てみていただきたい。非常によく調べて、かつおもしろく日本について書いている。

 イギリスの新聞は中立でなく、何らかの特定の政治的ポジションを持つが、そんな中で、ファイナンシャルタイムズはバランスの取れた新聞と見られている。

 (以下は、若干の抄訳です。読みやすさを考えて表現を若干変えてありますので、あくまでご参考として読んでください。)

日本の拘束されたプレスが世界を弱体化する
Japan’s shackled press weakens the world

By アーサー・ギャンブル、渡辺武達

  (最近起きたスキャンダルの数々のために)西洋ではメディア倫理に関して疑問が呈されているが、これよりはるか以前、大日本帝国だった日本では、(中略)政府とつながっているメディアの形が既に存在していた。1930年代には、3000以上の日本のメディア団体が閉鎖され、戦争を支持したほんの6社になってしまった。

 こうした第2次大戦以前のメディア体制は、現在の日本でも、多くは改革をされないままで残存している。

 最悪と思われるのは、いわゆる「記者クラブ」と呼ばれる体制で、担当する政府や企業の建物の中に約1300人ほどの記者が常駐している。記者クラブに所属する記者は、広報担当の役人と密接に働き、プレス・リリースを吐き出し、公式筋の引用を使い、事実のダブル・チェックを行わない。官の情報源に独占的にアクセスでき、通常は無料で場所を使用し、電話、食事、娯楽、小さな贈り物などを、情報源から常時受け取る。その代わりに、自分たち自身を「監視」しあう。決められたラインから逸脱する記者は、クラブが罰則を科する。

 大きな発行部数を持つ週刊誌、例えば週刊文春はこうした記者クラブの外部にいる。しかし、週刊誌のジャーナリズムの基準は(記者クラブの媒体よりも)さらに低くなり、スーパーに置かれているようなタブロイド紙とソフトなポルノの中間にある。

 日本にいる2万人のレポーターたちの中で大学でジャーナリズムの研修を受けた人はほとんどおらず、そのほとんどが、会社の中でほんの2週間ほどの企業「研修」を受ける。

 結果は、民主主義の世界の中でも最も(権力から)独立していないニュース・メディアの1つとなる。例えば、日本のそして世界最大の放送会社であるNHKだが、日本の第2次世界大戦当時の性的奴隷だった「慰安婦」に関する番組が検閲されていたことが最近明るみに出た。この番組の放映日の2日前に、日本の与党自由民主党の大物政治家が不快感を表明した。NHKのプロデューサーで内部告発者となった人物によれば、NHKは、生存者たちの悲痛な証言をカットするため、犠牲者を娼婦と呼ぶ、ばかげた学者の場面でつないだという。

 戦争での残虐行為、「慰安婦」がいたこと、南京大虐殺、時にはホロコーストの存在までもメディアは否定するが、これは政治的に都合が良い。なぜなら、自民党の主要創始者たちは帝国政府にいたからだ。自民党はその責任を引き継いでおり、50年間、ほとんど途切れることなく政権の座についてきた。メディアは戦争の遺産をごまかし、これが自民党の正当性を支えることを助け、時事問題に関して友好的な報道をすることで自民党の政策目的を促進する。

 こうした報道の例としては、国連安保理の常任理事国になる、日本の平和憲法を改正するといった面で見られる。

 海外では、プロパガンダ戦略は裏目に出ることがある。中国では、日本のメディアの愛国的トーン、戦争犯罪の否定報道が、大規模な抗議運動を引き起こしている。日本の安保理常任理事国化に反対する請願が2200万集まった。

 日本国内では、プロパガンダ戦略は国民の議論を沈静化し反対意見を拡散させるのに役立っている。イラクへの日本兵の派遣を大多数の日本人が反対すれば、メディアの多くは、「自衛隊」と呼ばれている日本の軍隊は、「非戦闘区域」に派遣されるのであるから合法であるとする、疑わしい政府の見解を繰り返す。しかし、昨年、イラクで暴力の度合いがエスカレートしていくと、日本の大手メディアは記者を撤退させ、現在では政府の公式見解を元に報道している。

 イラクで人質になった日本人に対して国民が同情の念を寄せ、これが政府を困惑させる危険性が出てくると、メディアは、(治安状態の悪さのために入国しないようにといっていた)政府の意思に反してイラクに行ったとは、何と非国民的かと非難する政府のラインを繰り返した。

 つまり、日本の第4の権力には、政府寄り、という大きな印がついている。これは、世界で第2の規模の経済力を持つ国の民主主義を弱体化する。日本政府がダメーージから逃れるために情報操作するので、世界の報道の自由の面では害となる。

 西洋の最近の報道スキャンダルは、西洋のメディアが日本型に近づいているのではないかと思わせる。

 欧州連合(EU)は日本の記者クラブ制度に抗議をし、アジア諸国は日本の国家主義的プロパガンダと歴史的健忘症を嘆くが、ブッシュ政権は日本を、民主国家の成功物語として賞賛する。しかし、アメリカが民主主義を振興することにもっと力を入れない限り、日本のプロパガンダは続き、広まる。報道の自由はレバノン、イラク、ロシアだけでなく、日本を含む他の場所でも通用するのだ。


 作者は同志社大学メディア倫理学の教授渡辺武達氏と、アメリカにベースを置くライター及びリサーチャーのアーサー・ギャンブル氏。REGNERY社から出ている「国民は裏切られた:日本のメディアの残虐行為と西洋に対する警告に関してのインサイダーの見方」(A Public Betrayed: An Insider Look at Japanese Media Atrocities and their Warnings to the West)を共著している。


(英文)

Japan's shackled press weakens the world
>By Arthur Gamble and Takesato Watanabe
>Published: April 6 2005 03:00 | Last updated: April 6 2005 03:00
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Long before the recent wave of media scandals raised questions about media ethics in western countries, imperial Japan pioneered the model of consolidated ownership and cosy government-media ties that shaped the dissemination of information. In the 1930s, more than 3,000 independent Japanese media outlets were closed, leaving just six - staunchly pro-war - companies.

This pre-war media system remains largely unreformed in Japan today. Perhaps the worst aspect is the system of so-called "press clubs" - roughly 1,300 press pools housed inside the government and corporate entities they cover. Press-club reporters work closely with public relations officers, regurgitating press releases and quoting official sources, often without cross-checking. They enjoy exclusive access to official sources and usually free rent and telephones, meals, entertainment, even small gifts, all regularly provided by sources. In exchange, they "police" themselves. Any journalist straying from the approved line is punished by the club.

The large-circulation weekly news magazines, shukanshi, are outside the clubs looking in. But their journalistic standards are even lower, somewhere between supermarket tabloids and soft pornography. Few of Japan's 20,000 reporters have a university training in journalism and most get just two weeks of corporate "training". Journalists typically view their job as company work, with their obligation to the employer. The result is one of the least independent news media in the democratic world. For example NHK, Japan's and the world's largest broadcast company, was recently exposed for censoring a programme about "comfort women", Japan's second world war sex slaves. Two days before the programme was broadcast, top brass of Japan's ruling Liberal Democratic Party expressed displeasure. According to a producer-turned-whistleblower, NHK scrambled to cut the survivors' wrenching testi mony, splicing in a preposterous academic describing the victims as prostitutes. Media denials of war atrocities, the use of "comfort women", the Nanjing massacre, and sometimes even the Holocaust are politically useful because key LDP founders were in the imperial government. The party inherited its mantle and has almost continuously held power for five decades. Media whitewashing of the war legacy thus helps bolster LDP legitimacy, while friendly reporting on current issues furthers LDP policy objectives. These include a permanent seat on the UN Security Council and rewriting Japan's pacifist constitution.

Abroad, the propaganda tactics can backfire. In China, the Japanese media's nationalistic tone and denials of war crimes helped incite massive protests, with 22m Chinese petitioning against Japan's Security Council bid and mobs attacking Japanese-owned businesses. At home, the tactics are effective at chilling public debate and defusing opposition. If a broad segment of Japanese oppose the deployment of Japanese soldiers in Iraq, the overwhelming majority of media outlets reiterate dubious official assertions that the military, known as the Self-Defence Force, is constitutionally deployed in a "non-combat zone". Amid last year's escalating violence in Iraq, however, mainstream Japanese outlets withdrew their reporters and now simply take news from official military sources. If public sympathy for Japanese taken hostage in Iraq risks embarrassing the government, the media keep repeating the official line condeming them as unpatriotic for being there against the government's will.

In short, Japan's fourth estate has a giant pro-government sign on the lawn. Its lack of independence weakens democracy in the world's second largest economy and the impunity with which Japan's government manipulates it undermines press freedom globally. Indeed, the west's recent reporting scandals suggest its media are drifting more towards the Japanese model than the other way round. While the European Union protests against Japan's press club system and Asian countries decry Japan's nationalist propaganda and historical amnesia, the Bush administration lauds Japan as a success story of democratic nation building. But Japanese propagandising will continue and spread unless the US demonstrates its commitment to promoting democracy, and press freedom applies not just in Lebanon, Iraq or Russia but everywhere else, including Japan.

The writers are co-authors of A Public Betrayed: An Inside Look at Japanese Media Atrocities and their Warnings to the West (Regnery); Mr Watanabe is professor of media ethics at Doshisha University in Kyoto; Mr Gamble is a US-based writer and researcher

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by polimediauk | 2005-04-06 21:23 | 日本関連