小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

朝日「Journalism」(09年8月号)より「英国の陪審員も黙っていられない」(上)

 英国で新たな政権がようやく誕生した。昨日(11日)は、ブラウン(元)首相の辞任から、新首相キャメロン氏の官邸入りというドラマチックな日となった。ブラウン氏が官邸の前でマイクの前に立ち、「首相と労働党党首を辞任します」と宣言。その場で「辞任」となってしまうのだから、驚きだ。エリザベス女王のところに行って辞任を伝え、その後、少しして、キャメロン氏が女王のところに出かけて、政権担当の任命を受けた。キャメロン氏は官邸にやってきて、新任のスピーチ。この間、1時間あるかないか。ものすごく早い。そして、やや情けないことに、連立を組む自由民主党が連立案を承認するかどうかで集会を開いたのはその1時間後。全員一致で連立案を承認したのが夜中過ぎ。正当な手続きを踏むのは理解できるが、「政府は待ってくれない」とあるコメンテーターがラジオで言っていた。

 労働党の党首が誰になるか?だが、左派週刊誌「ニューステーツマン」の元編集長John KampfnerがBBCラジオで言っていたのは、「ある強力なリーダーがトップに長く居続けると、後輩が育たなくなるので、不毛の時期が続く」。具体例として、保守党のサッチャー元首相の例を挙げた。そして、今回、ゴードン・ブラウン氏が党首を辞任し、次の大物指導者はすぐには出てこないのではないか、と。確かに、ブレア―ブラウンの2大政治家に頼ってきた労働党。誰が党首になるだろうか?

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 日本で裁判員制度が始まって1年余が経った。始まる前には、裁判員制度そのもの、および裁判報道・事件報道に関する議論が百出した。現在では、裁判後に裁判員が記者会見に応じるケースもあり、制度が始まる前に心配したほどには、報道の自由の面からは支障がなかったように見ているが、どうであろうか。

 陪審員制度が長く続いている英国で、裁判報道はどうなっているかに関し、複数の記事を昨年書いた。その中で、朝日新聞の月刊誌「Journalism」2009年8月号の「海外メディア報告」というコーナーに掲載された記事について、ブログ再掲載の許可が出たので、以下に貼り付けたい。

 「Journalism」には毎月、あっと驚くような記事が載っているので、ご関心のある方はご覧いただきたい。
 
  http://www.asahi.com/shimbun/jschool/

 ブログは文章が長すぎると読みにくいので、上下に分けたい。今はアイフォーンなどで読む方も多いと思うが、読みにくい表現などがあったらお許し願いたい(あるいはすっ飛ばしていただきたい)。これまで、自分自身がネットで情報を探した時、非常に多くの人の情報に助けられた。この記事も誰かの何らかの参考になることを願っている。数字は掲載時(09年8月)のものである。

「海外メディア報告」
陪審員も黙っていられない -英国・法廷侮辱罪を巡る2つの事件報道


 日本の裁判員制度と英国の陪審員制度の共通点の一つは、審理に参加する市民(裁判員、あるいは陪審員)に課せられる厳しい守秘義務である。評決にいたる話し合いの内容や裁判で知りえた秘密などを、家族を含めた他者に漏らすことはできない。この守秘義務は生涯続く。

 この制約はまた、取材をする側にとっては大きな壁となっている。しかし、この壁に、風穴を開ける報道が起きている。BBCの調査報道番組「パノラマ」と高級紙「タイムズ」、テレビと新聞の事件報道である。陪審制の長い歴史をもつ英国で起きた、2つの殺人事件報道をもとに、どのような時に、どこまで踏み込んだ陪審員取材が可能となったかについて、報告したい。

 英国では、法廷侮辱法(1981年)第8条によって、陪審員が評議内容を明かすことを裁判終了後も禁じている。陪審団の人数、男女構成をメディアが報道することは認められているが、個人を特定できるような情報(人種、職業など)の報道はできない。また法廷内でのスケッチや写真撮影もできない。侮辱法に違反すると、無制限の罰金か最長で2年の禁固刑が科される。
 
 陪審員に、裁判参加について感想を聞くことには規定がない。しかし、メディア側は陪審員情報を(実際に裁判所で姿を目視する以外は)もっておらず、陪審員に対する取材は事実上、閉じられた状態になっている。

 「パノラマ」の場合は、テレビ司会者殺人事件を扱い、陪審員が画面に登場したが、侮辱罪は適用されなかった。一方、「タイムズ」の乳幼児傷害致死事件を巡る報道では侮辱法違反とする判決が出て、罰金の支払いを命じられた。両者ともに、陪審員から接触があって報道が実現した。

ー2人の陪審員が生の声、BBCの事件検証番組

 1999年4月26日朝、BBCの人気女性司会者ジル・ダンドーさん(当時37歳)は、西ロンドンの自宅前で、何者かに頭部を撃たれ、まもなく死亡した。目撃者、指紋、犯人のDNA情報、殺害に使われた銃などが見つからない中、事件発生の翌年、ダンドーさんの自宅近くに住んでいた男性バリー・ジョージが容疑者として逮捕され、2001年、殺人罪で有罪・終身刑となった。

 有罪判定の決め手となったのは容疑者のコートのポケットから発見された、火薬残留物の一片だった。ダンドーさんの頭髪や現場に残された薬きょうの中にあった残留物と同一である可能性が法廷で指摘された。弁護側は証拠が「脆弱」として控訴したが、02年7月、控訴院は高等法院判決を支持し、同年末、英国の事実上の最高裁である貴族院が弁護側による再度の上訴を棄却した。

 06年9月、BBC「パノラマ」は「新たな証拠」と題して、ジョージ容疑者の有罪確定の決め手となった火薬残留物が「犯行に使われた銃から発射されたものではない可能性がある」とする専門家の発言に加え、有罪評決に大きな疑問を感じたという2人の陪審員(1人は実名、1人は匿名)の生の声を放映した。これまでに陪審員が実名でテレビ画面に登場した先例はない。600万もの人々がテレビの前に釘付けにされ、時事番組としてその年最大の視聴者数を獲得した。

 翌年6月、誤審の可能性の高い刑事事件を調査する「刑事事件再審委員会」が、2年前から行っていたダンドー事件見直し作業の結果、火薬残留物の一片に裁判の重点が置かれすぎていたとする結論を出し、弁護側に控訴の権利を認めた。
 
 さらに07年10月29日、パノラマは「まだ結論は出ていない」と題する新たなダンドー事件の番組を放映した。翌月に予定されていた控訴院の判断を前に、刑事事件再考委員会が控訴院に提出した、残留物の証拠の信憑性の低さを指摘した報告書を紹介すると共に、なぜ、この不確実な証拠が有罪判決につながったのかを検証した。前回の番組に出演した女性陪審員が再度実名で登場した。陪審団長だった男性が、匿名で、顔が分からないように口元や目元の一部や後ろ姿を映すという形でインタビューに応じた。

 11月15日、控訴院が判断を示し、有罪が無効化され、再審へ。そして翌年8月、無罪釈放となった。

ー真相解明に努力したBBC記者の執念

 筆者は、「パノラマ」の二つの番組「新たな証拠」「まだ結論は出ていない」を企画・リポートしたラファエル・ロウ記者にロンドン市内で話を聞いた

 番組制作の目的は「たった一つ─真実を探し当てることだった」という。

 ロウ記者は一風変わった経歴の持ち主だ。1988年に英国南部で起きた殺人・暴行罪で有罪・終身刑を受け、12年間刑務所生活を送った。数人が虚偽の証言をしたため、無実の罪での受刑だった。2000年、無罪釈放となったが、ロウ記者は「法廷で提出される証拠や証言が事実ではない」場合があることを身をもって体験した。

 ダンドー事件について、ロウ記者は04年から独自に調査を開始。06年、容疑者の弁護士や裁判の証言者への取材を行う中で、パノラマの番組の話を知った陪審員の一人が、容疑者の弁護士を通して記者に接触してきた。

 法廷侮辱法により、陪審員への取材には厳しい規制がつくことを承知していたロウ記者は、顧問弁護士のアドバイスを受けながら、何をどのように聞くべきかに非常に注意を払った。

 「評議の内容については、聞かない。他の陪審員が、どんな発言をしたのかについても聞かない。聞くのは、その陪審員の感想のみ」という制約の中で、接触ができた陪審員との間で、「絶対にこの制約を踏み外さない、相手も、そして自分も侮辱罪に問われない取材をすること」を事前に確認した。また、「どのような内容の番組で、どのような視点で制作するのか、詳しく説明し、信頼してもらうと同時に、相手が自信をもって話せるように」心を砕いた。さらに注目度の高い事件であったため、陪審員が取材を受諾した理由に、その後、メディアに体験談を売って書籍化するなど私的利益を計る意図はないかについても確認したという。

 カメラが回っていない、陪審員と2人きりの時でも、侮辱罪に問われるような話はしなかったのだろうか?

 「なかった」とロウ記者はきっぱり答える。理由は「この事件の重要度はあまりにも高い。私の一挙一動を司法当局や関係者が見ているし、番組には数百万人単位の視聴者もいる。取材後、司法関係者が陪審員に聞くこともあるかもしれない。侮辱罪に抵触するようなリスクはとても取れなかった」。

―説明上手な専門家の意見を信じたと陪審員

 2007年10月29日放映の「まだ結論は出ていない」では、女性陪審員が「火薬残留物一片だけが決め手となって殺人罪になるなんておかしいと強く思っていた」と感想を語った。法廷で提出された複数の専門家による証拠は「それぞれが相反しており、どれが正しいのか判別がつかなかった。結局、説明が上手な専門家の意見を信じた」。
 
 番組内で提示された、検察側が用意した図には、容疑者のコートから出た火薬残留物の一片が殺されたダンドーさんの髪から見つかった残留物、及び殺害に使われた銃から出た残留物と同一であるかのように描かれていた。法医学調査機関「フォレンジック・サイエンス・サービス」の科学者による、コートから見つかった残留物は「殺害に使われた銃から発射されたものである可能性がある」という説明を図式化したものだった。

 コートの残留物は「証拠として実証性がない」と法廷で主張した専門家もいたが、これは取材に応じた2人の陪審員の心には強い印象を残さなかった(先の科学者自身は刑事事件再審委員会の調査の中で、証拠の脆弱性を後に認めた)。陪審団長(男性)は、番組の中で、「残留物の証拠が不十分なものであったことが当時分かっていたら、自分は有罪にはしなかった」と語っている。

 ロウ記者は、侮辱法による陪審員取材への厳しい制約を「公正な司法審理を維持するためには必要」という。「感想だけなら聞いてもよいという条件だったが、自分は十分な取材ができた。侮辱法は決して邪魔にならなかった」。(「下」に続く)
(ロウ記者のインタビュー記事を折を見て出したいと思っています。)

ージル・ダンドー殺人事件の経緯
(資料はBBCの情報を元に作成)
1999年4月26日:BBC のテレビ司会者ジル・ダンドーさんが自宅前で射殺される 同年5月18日:BBC 番組「クライム・ウォッチ」が射殺事件を再構成した番組を放映。コンピュータを使った容疑者のモンタージュ写真が紹介される
2000年5月25日:ダンドーさんの自宅近くに住んでいたバリー・ジョージが容疑者として逮捕される
同年:5月29日殺人罪で起訴
2001年2月26日:中央刑事裁判所で公判開始。ジョージ容疑者は殺害を否定
同年7月2日:ジョージ容疑者が殺人罪で有罪に。容疑者のコートのポケット内で見つかった火薬残留物の一片が有罪の決め手となった。
2002年7月29日控訴院が控訴を棄却。弁護側は、有罪の決め手となった証拠の正当性を「脆弱」と主張したが、却下される
同年12月16日:貴族院(最高裁)が再度の上訴を認めず
2004年:刑事事件再審委員会がダンドー事件の見直しを決定
2006年3月25日:ジョージ容疑者の弁護士、有罪確定を覆す新たな証拠があると発表
同年9月5日:BBC 番組「パノラマ」がジル・ダンドー事件を扱った「新たな証拠」と題する番組を放映。事件に関わった陪審員らが番組に登場
2007年6月20日:刑事事件再審委員会が、火薬残留物に裁判の重点が置かれすぎていたと結論。弁護士側、控訴の権利を得る
同年10月29日:BBC 番組「パノラマ」がジル・ダンドー事件は「まだ結論が出ていない」を放映。ここでも、陪審員らが登場
同年11月15日:控訴院が先の裁判での証拠が妥当でなかったと判断を示し、有罪が無効化される。再審へ
2008年6月9日:中央刑事裁判所で新たに公判開始
8月1日:バリー・ジョージ氏、無罪釈放となる。
2009年7月10日現在、真犯人はわかっていない

関連サイト 
Dando murder evidence questioned
(2006年9月4日、BBCニュース)
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/5305694.stm
Jill Dando: The Juryʼs Out(2007年10月29日、BBCニュース)
http://news.bbc.co.uk/1/hi/programmes/panorama/7067290.stm
 
by polimediauk | 2010-05-12 18:57 | 英国事情