小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

朝日「Journalism」(4月号)より:「調査報道こそジャーナリズム、英紙ガーディアンの流儀」(下)

―組織的盗聴事件ではマードック軍団とも戦う

 話は前後するが、07年に、日曜大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールド(NOW)紙の王室担当記者と私立探偵が著名人の留守番電話を盗聴していたとして有罪判決を受けた事件があった。これを調査したガーディアン紙は、09年7月、NOW紙や大衆紙サンが組織的に電話の盗聴を行っていると報道し、読者を驚かせた。盗聴の対象は政治家も含む著名人「2000人から3000人」というからすごい数である。

 NOWといえば、「メディア王」ルパート・マードック氏が経営する米メディア大手ニューズ社の傘下にあるニューズ・インターナショナル社が発行元である。大衆紙サン、高級紙タイムズ、日曜紙サンデー・タイムズも同社の発行で、発行総数は延べ800万部。盗聴などの違法行為が「組織的に行われていた」とする一連のガーディアン紙の記事は、英国新聞市場で巨大な存在であるマードック勢力への挑戦状となった。 

 しかも、先の盗聴事件の発生時にNOW紙の編集長だったアンディ・コールソン氏は、現在、野党保守党(注:原稿作成当時。今年5月より首相)のコミュニケーション戦略責任者で次期首相候補デービッド・キャメロン保守党党首の側近だ。ガーディアンの記事は、当時のコールソン編集長の関与も暗示していた。

 一連の報道で先の盗聴事件に関わる警察の捜査のやり方や苦情報道委員会(PCC)の調査の公正さにも疑問が呈されるようになり、数日後には、下院の文化・メディア・スポーツ委員会が調査のための公聴会を召喚した。ここまではガーディアンの勝利と言えよう。

 ところが、召喚されたNOWの現編集長とコールソン元編集長、ニューズ・インターナショナルの法律顧問らはそろって疑惑を否定。ロンドン警視庁も「改めて組織ぐるみの盗聴行為を調査するには至らない」と結論付けた。

 11月には、報道苦情委員会も、ガーディアン紙の疑惑報道の根拠は薄いとする判断を示した。情報源を守る一方で、報道の信憑性を明示しなければならないガーディアン紙は板挟みとなった。

 ところが、援護射撃が思わぬところからやってきた。今年2月末、プライバシー保護や名誉棄損に関する調査を終えた文化、メディア、スポーツ委員会がその報告書の中で、公聴会に召喚されたニューズ・インターナショナル社の経営陣が盗聴活動に関して真実を隠していたことを明らかにしたからだ。盗聴は「警察、軍隊、王室、政府閣僚を対象にした広範な範囲で、産業的規模で」行われていた、と書かれていた。

 こうして、ガーディアン紙の報道にはお墨付きがつく形になったが、批判相手が巨大メディア・グループである場合、傘下のメディアによるバッシング報道も起きる。また、今回のように、メディア団体からその信憑性を疑う判断が出ることもある。調査報道には、前からも後ろからも弾が飛んでくるのだ。(注:若干補足すると、戦いはまだ続いていて、ガーディアンの報道がすべて正しいのかどうかには疑問符も。証明されるまでには時間がかかるかもしれません。)

 ガーディアン紙は調査報道のために専属担当記者を2人置いている。他にこうした担当者を、あるいは番組枠を設けている英メディアは、サンデー・タイムズ紙、BBC(「パノラマ」、「ニューズナイト」など)、「もう一つの視点」を提供する放送局チャンネル4(「ディスパッチ」)などがある。

―調査報道を支えるのは、「面の皮の厚さ」

 こうした調査報道を可能にする要因は何か?

 現状を見る限り、真っ先に挙げなければならないのは、資金力と規模だろう。

 記者を調査報道のために配置し、さらに社内弁護士チームを雇い、裁判費用を負担する。そのためには、一定の資金が継続して必要となる。

 英国ではいま、高額な名誉棄損裁判が問題視されている。相当の資金力がないと提訴を受けて戦ってゆくことができない。

 オックスフォード大学による08年の調査によれば、イングランド・ウェールズ地方の名誉棄損訴訟費用の高さは欧州一だという。2番目に高い国アイルランドの4倍、3番目のイタリアの40倍にもなる。

 メディア弁護士協会のマーカス・パーティントン氏が先の下院委員会に報告したところによれば、法廷弁護士の時給は500ポンド(約6万8000円)から650ポンド。勝訴後、負けた側から裁判費用の倍額を受け取る仕組みを利用した場合、時給は1000ポンドを超える。

 08年、科学作家サイモン・シン氏がガーディアン紙上に英国カイロプラクティック協会に関わる記事を書いた。これを巡る名誉棄損訴訟では、09年の協会側による提訴から現在までに、シン氏の裁判費用は10万ポンド(約1360万円)に上っている。

 次にリスクに対する相当の覚悟も必要になろう。調査報道は時間がかかり、すぐにはその正当性が立証されない。先の盗聴疑惑報道の場合のように、四面楚歌状態になることもある。また、記者、編集長、経営陣などの引責辞任という大きな代償を払わざるを得ない場合もある。

 後者のケースが、03年のイラク開戦に関わる、英政府の情報操作を指摘したBBCの報道だ。

 開戦前夜、政府はイラクの脅威に関わる文書を作成した。BBCの記者は、この文書に「誇張がある」と報道し、後に、嘘をついたのは官邸報道官であると、大衆紙のコラムの中で名指しした。BBCはこれによって、官邸を敵に回してしまった。

 「誇張疑惑」を問題視したブレア首相(当時)は独立調査委員会を発足させ、04年2月、委員会報告書は「誇張はなかった」と発表した。記者は辞職、当時のBBC会長、経営委員長は引責辞任した。しかし、後の複数の調査で、文書に掲載された諜報情報の信頼性が薄いことが実証された。

 三番目は支援体制だろう。報道機関が組織として調査報道を始める場合、編集長をはじめ経営陣による強い支援がなくては不可能だ。

 08年、ガーディアン紙は、英国最大のスーパーのテスコがオフショア(海外)にある不動産を使って法人税の支払い逃れをしていると報じた。テスコは同紙と編集長を「悪意ある嘘」をついたとして、名誉棄損で訴えた。

 最終的には租税回避という点では報道は正しかったが、正確には法人税ではなく、土地売買を巡る印紙税の節税で、その額は報道分よりも少なかった。ガーディアン紙は謝罪記事を出すとともに、裁判費用の負担を強いられた。

 この後、編集長が記者に言った言葉がガーディアンらしい。「次回から気を付けてくれ」ではなく、「ほかに税金逃れをしてる会社があるはずだ。どんどんやろう」。

 最後は、実行力だろう。つまり、やろうとするかどうか。巨額訴訟に追い込まれ、政治家や大企業を敵に回す調査報道は、「面の皮が厚くないとやっていけない」。先の盗聴事件をガーディアンに書いた、ニック・デービス記者の言葉である。(終)

「Journalism」4月号掲載分より(若干補足あり)
http://www.asahi.com/shimbun/jschool/

 (BAE疑惑などを担当した、ガーディアンの調査報道の記者デービッド・リー氏へのインタビュー記事に紙面に出なかった部分を補足したものを折を見て出します。)
by polimediauk | 2010-05-21 23:24 | 新聞業界