「ジャーナリスト」の意味:佐々木俊尚さんのレポートから
レポートの内容は全文でなければコピー・引用可とのことであるので、引用させていただく。(ご関心のある方はこのウェブサイトをご参照。http://www.pressa.jp/)
(引用)
日本ではなぜかジャーナリストという言葉がひとり歩きして、「命を省みずに正義を実現する人」「権力に歯向かう人」「ヘリに乗って国際紛争の舞台を飛び回る人」というようなイメージになってしまっています。……まあ最後のは冗談ですが、落合信彦氏が出演したアサヒビールのテレビCMのせいで、一時そういうジャーナリスト像が流布していたことがあったのも事実です。私もフリーランスになったばかりのころ、名刺交換した初対面の人に「ジャーナリストなんですか! やっぱりイラクとかの戦地に行かれるんですか?」と聞かれたことがあります。まあ一般的にはそういうイメージなのです。
だからなぜか日本では、ジャーナリストに過度の期待が生じ、異様なほどの道徳的規範と高邁な理想を求められたりします。これは前にも本メールマガジンで書きましたが、私はしょっちゅういろんな人から批判されていて、良くある非難文句のひとつに「自称ジャーナリストの佐々木某」というような言い方があります(笑)。これは「ジャーナリストほどの高尚な仕事もしてないくせに、勝手にジャーナリストを名乗りやがって」という気持ちが込められているわけで、それはすなわちジャーナリストへの過度な期待感の裏返しでもあるわけです。
さらには新聞記者や雑誌記者、あるいは古いタイプのフリージャーナリストの側も、そうした 正義の味方的イメージを意図的にふくらませてきたということもあります。幻想としての正義の味方的ジャーナリズムを提示することで、自分たちの価値を過剰に高めて見せようという広告的意図があったように思われます。
私の先輩記者で団塊の世代に属するある人は、「ジャーナリズムってのは志なんだよ!」と良く言ってました。これなど無意識のうちに自分を正義の味方に仮託し、情緒的に気持ちを高揚させているケースでしょうね。
しかしながら本来英語圏で使われてきたジャーナリストという言葉は、そのような「正義の味方」ではありません。メディアを使い、情報を伝達する人のことを指しているだけなのです。
(引用終わり)
読んでいて、溜飲が下がる思いだった。長く付け加えることはないが、英国に住んでいると、「journalist」は本当に以上のような意味(メディアを使い、情報を伝達する人)である。日記のことを「ジャーナル」と呼ぶが、日々のあれこれを自分なりの解釈で伝える人なのである。ものすごく範囲が広く、気負いが少ない。(ただし、大手新聞などに勤めるプロのジャーナリストに対し、国民の多くはあまりよい感情を抱いていないので、自分がジャーナリストだと宣言するのも時と場合を考慮したほうがよいかもしれない。)
ジャーナリストの定義から話がやや飛ぶが、私が佐々木さんのことを知ったのは、CNETのブログ。結構コメント欄には否定的なことも書かれていたのだが、CNETのブログ以外でも、いつも「半歩(あるいは一歩)先を行く、洞察力」が楽しみで読んできた。今は「電子書籍の衝撃」の本がベストセラーと聞く。
私が初めて携帯にダウンロードした書籍が「電子書籍の衝撃」だった。今では他の数冊の本も読了し、大変遅まきながら、グーグルリーダーやevernoteを使うようになった。仕事の上でも非常に学ぶことが多かった。
今日の取材で使ったテープレコーダー(ソニー)。取材相手に驚かれるほど、古い代物となった(買ったのは2-3年間なのだが、見た目が古い)。そろそろ、ICレコーダーにしたほうが良さそうである・・・・(佐々木さんはアイフォーンで録音することを勧めているが。)
****
補足:ジャーナリストの定義でひとつ付け加えると、といっても「定義」からははずれるのだけれど、いわゆる、「肩書きから外れた生き方」、例えば、「xxさんの奥さん」(古い?)、「xxさんのお母さん」とか、「松下に勤めているだんなさん」とか、そういう定義にとらわれない生き方がしやすいのが英国かもしれない。大雑把な言い方ですが。例えば私だったら、「ぎんこ」は「ぎんこ」として生きる、と。「xx」という属性があるからじゃなくて。この点が、呼吸しやすい感じがする。