岐路に立つBBC -受信料削減、規模の縮小化の先は何か?(「メディア展望」10月号より)
まず、視聴者を代表としてBBCの活動内容を監視するBBCトラストの委員長が、来年5月、4年間の就任が任期切れとなった時点で委員長職を辞めたい、と申し出た。トラストの委員長職はパートタイム勤務だが、実際の仕事量がパートタイムの仕事の限界を超えている、というのが理由だ。
http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-11296324
BBC批判の矢面に立って、BBCを常に弁護してきたが、重圧に耐えられなくなった、という面もあるかもしれない。
これに続き、BBCトラストは、BBCの国内活動の主な収入源であるテレビ・ライセンス料の2011年分と2012年分の値上げを辞退する、とも述べた。
http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-11325325
ライセンス料は毎年2-3%程度上がるように設定されていた。これに対し、ジェレミー・ハント文化・スポーツ・メディア大臣は、2011年度の現状凍結については歓迎したものの、2012年分は未定とした。2012年分に関しては、政府は削減を計画しているといわれている。
BBCは、緊縮財政ムードを汲んで行動を起こしている、そして、ライバルメディアがいうところの「際限ない拡大」はしない、というメッセージを内外に伝えているのかもしれない。
以下は「メディア展望」掲載分である(9月上旬時点の話)
岐路に立つBBC
-受信料削減、規模の縮小化の先は何か?
BBC(英国放送教会)の規模の大きさに対する批判が、英国内で年を追う毎に熾烈化している。巨大さ批判は以前から存在していたが、メディア環境の変化や不景気のために広告収入が減少した結果、民放他局が地盤沈下状態になり、BBCの「一人勝ち」状態が目立つことになった。
BBCには景気の動向に左右されないテレビ・ライセンス料(NHKのテレビ受信料に相当)収入があり、これを原資にしながら、テレビ,ラジオ、ネット、オンデマンド・サービスとさまざまな分野に進出できる。BBCは放送業界の方向性を決めてゆく場所にいる。
しかし、巨大さ批判はライバル他局からのみではもうなくなった。BBCが使う著名タレントへの高額報酬の提供や経営幹部の高額経費使いが明るみに出たことで、国民の中に、「自分が支払うライセンス料が無駄遣いされている」という思いが強く出てきた。
不景気で緊縮財政ムードが高まり、BBCが規模の拡大やライセンス料値上げを容易にはできない情勢となった。
一方、デジタル化の進展で、人々の番組視聴行動は大きく変化している。多チャンネル化が定着し、BBCも含めた各放送局のチャンネル視聴率は低下傾向にある。
現在のように、視聴者から強制的にライセンス料を徴収し、これをBBCという一つの放送局が独占するやり方は、次第に合法性を失っているのである。BBCは今、岐路にあるといえよう。
本稿では、来年から始まるBBCと政府との間のライセンス料体制の交渉を前に、BBCの置かれている現況と将来像の可能性を考えてみる。
―「公共サービス放送」が中心に
1920年代に誕生したBBCは、1950年代半ばで民間放送ITVが参入するまで、放送市場を独占していた。
1982年にはチャンネル4(政府保有だが広告で運営費を捻出)、89年に衛星放送スカイテレビ(翌年衛星放送BスカイBと合併)、97年に民放ファイブ、と新規放送局の発足が進行した。放送・通信監督団体「オフコム」の計算によれば、地上波・衛星を含めたデジタル放送も入れると、チャンネル数は490に上る(2009年)。
BBCの初代会長リース卿はBBCの役割を国民に「情報を与え、教育し、楽しませる」ものとして定義したが、放送業を公共の利という観点からとらえる伝統が今でも続いている。
そこで、公共放送局BBCだけでなく、商業放送としてくくられるチャンネル4(ただし非営利法人が運営という独特のしみ)、株式会社が運営するITV、ファイブなどを、英国では「公共サービス放送」(PSB=Public Service Broadcasting)と分類している。PSBとしての各放送局は、一定の時間数のニュース、時事、事実に基づいた番組、児童番組、ドキュメンタリーを放送するよう義務付けられている。
この枠の外に、米メディア大手ニューズ・コーポレーションが主要株主となる有料衛星放送BスカイB、ケーブルテレビサービスのバージン・メディアなどがある。
放送業、通信業の監督・規制団体が先のオフコムで、放送・通信市場の現況についての報告書を定期的に発表しているほか、不祥事があった場合、業者に処罰を課す権限も持つ。
―「身震いするほど恐ろしい」と巨大さ批判
昨年夏、英スコットランドの首都エディンバラで開催された国際テレビ祭で、ニューズ・コーポレーションの欧州・アジア部門の会長兼最高経営責任者で、BスカイB会長のジェームズ・マードック氏による基調講演が話題を集めた。
同氏はニューズ・コーポレーション最高経営責任者ルパート・マードック氏の二男である。同社の子会社ニューズ・インターナショナルは英国で高級紙タイムズ、サンデー・タイムズ、大衆紙サン、ニューズ・オブ・ザ・ワールドを発行し、マードック両氏(父及び息子)の発言は市場の動向に大きな影響力を持つ。
ジェームズ・マードック氏はテレビ祭の基調講演で、「英国の放送市場を支配するBBCが独立したジャーナリズムの存在を脅かしている」と述べ、広告収入の減少で厳しい状態にある民放各局と比較して、その巨大さが目立つBBCを批判した。
テレビからネットまで、複数の領域に手を広げる「巨大なBBC」の存在は「身震いするほど恐ろしい」とマードック氏は表現した。
「規制を撤廃し、BBCを縮小させ、『顧客』に選択の自由を与えるべき」と提唱した同氏は、独立したジャーナリズムを保証する唯一のものとして「利益」を挙げて、壇上を降りた。公益を重視する英国の放送業界の常識に、真っ向から挑戦する講演となった。
BBCの規模に改めて注目すると、従業員は世界で約2万2000人、国内では約1万7000人が働く。BBCのテレビ番組のコンテンツは、スポーツを除く国内の全テレビ番組の3分の2にあたる。
毎週2900万人がアクセスするウェブサイトへの年間投資額は約1億9900億ポンド(約257億円)。テレビ(約23億ポンド)、ラジオ(約5億ポンド)に比べればはるかに少ないが、全国紙の年間制作経費(紙媒体とウェブ)は1億ポンドと言われており、BBCのウェブ制作経費はその2倍である。
主要財源はテレビ受信機を所有する者に課すテレビ・ライセンス料だ。現在、カラーテレビで年に145・50ポンドである。今年3月決算のライセンス料収入総額は約34億4000万ポンド。これにラジオ国際放送の「ワールドサービス」(政府交付金で運営、2億9300万ポンド)、商業部門BBCワールドワイドの収入(約10億7400万ポンド)などを加えると、BBCの事業収入は47億9000万ポンドに上る。
一方、民放最大手ITVの従業員数は約4200人(09年、以下同じ)。BBCの国内の人員の4分の1である。昨年12月決算で総収入は18億7900万ポンド(前年20億3000万ポンド)、利益は2億5000万ポンド(前年は27億ポンドの損失)となった。
規模で他を圧するBBCの動向が業界の方向性を決めていく構図が出来上がる。具体例が、「いつでも、どこでも、好きな時に視聴できる」をキャッチフレーズとして広がった、番組視聴のオンデマンド・サービス、BBC iPlayer(アイプレイヤー)の人気である。
番組再視聴サービスは2006年以降、チャンネル4が先陣を切って提供し、他局もこれに続いた。しかし、07年末、BBCが本格的に市場参入した後で、広く利用されるようになった。
08年、収入の大部分を広告に依存していた地方紙業界がリーマン・ショック以降の広告収入減で大きな苦境に陥ると、BBCは地方支局の拡充を計画。地方ニュースを掲載するウェブサイトに動画を増やし、地方紙がまかないきれない市場のギャップを埋めようとした。地方紙のウェブサイトにとっては大きなライバルができることになる。明らかな民業圧迫であるとして、地方紙の業界団体がBBCの計画の反対運動を展開した。最終的に、BBCは地方サイトの大幅拡充をあきらめざるを得なくなった。
動画が豊富で充実したBBCのニュースサイトは、新聞各社にとっては大きな競争相手となる。タイムズとサンデー・タイムズが7月以降、ウェブサイトの閲読を有料化したが、ライセンス料を元手に無料でネット・ニュースを提供するBBCは「ニュースは無料」という感覚を利用者に植え付けていく。
海外でBBCの番組販売や出版を行うBBCワールドワイドに対するほかのメディアからの批判も、毎年、強くなる一方だ。
ワールドワイドの収入は、今年3月期決算で前年比7%増の10億7400万ポンド。利益は1億4500万ポンドで、前年比36・5%増。民放や新聞各社からすれば、なんともうらやましい数字だ。
ライセンス料は運営の原資として使われていないが、ライセンス料を使って制作した番組や他のコンテンツを利用してビジネスを行っているのは事実だ。非営利目的のはずの公共放送であるBBCが商業活動に従事する事態が生じている。
BBCはワールドワイドで得た収入の一部(株主配当金他)をBBC本体に還元しており、これを番組の制作費に投入しているが、商業部門がBBC本体をさらに大きくするためという自己目的化しているという疑念が根強い。
―縮小化、さらなる削減への圧力
2004年にBBCの会長(=ディレクター・ジェネラル、経営陣トップ)職に就任したマーク・トンプソン氏は、前職のチャンネル4の経営陣であった時から、思い切った経費削減には定評があった。「バリュー・フォー・マニー」(金額に見合う価値)を合言葉に、ライセンス料を払った視聴者が納得するようなサービスや番組の提供に力を入れてきた。トンプソン会長の主導で実現した成功例がBBCアイプレイヤーである。
BBCの運営は、存立、目的、企業統治を定める特許状と、これに沿った業務の具体的な内容を定める協定書(BBCと所管の文化・メディア・スポーツ相との間で交わされる)が基本になる。
特許状、協定書ともに10年ごとに更新されるのだが、前回、07年からの10年を対象とする政府との交渉の際に、トンプソン会長からすれば、不服の結果が生じた。
まず、一時は廃止されるという噂も出たライセンス制度は維持されたものの、インフレ率に数パーセントを上乗せする従来の値上げ方式は停止となった。例えば、インフレ率が2%の時、値上げ率が同率であると実質ゼロの伸びになる。これを避けるために、上乗せする方式が導入された。新たな取り決めでは、前年比2-3%増となったのだが、実質は現状維持か目減りする可能性ができたため、経営陣は活動計画の大幅変更を迫られた。景気の動向に左右されないはずのライセンス料収入が、もはやそうではなくなった。
さらに、当時の労働党政権は「放送業界の変化の予想は困難」として、具体的な値上げ率が設定されたのは最初の6年間のみ(07年から12年)で、2013年以降は未定となった。ライセンス制度がこれ以降、続くのかどうかさえ、定かではなくなった。
昨年6月、政府白書「デジタル・ブリテン」が発表された。この中で、政府は、BBCのライセンス料収入の中で、テレビの完全デジタル化(2012年予定)移行準備のために使うためにとっておいた資金を、移行が終了した時点で、地方ニュースの制作費として他局が使う案を提唱した。
この案は政権交代(今年5月、保守党・自由民主党による連立政権が発足)で廃止されたが、BBCはこれまでにも、チャンネル4がライセンス料の一部を共有したいとする旨の案を退けてきた過去がある。BBCにとっては、ライセンス料は聖域であり、他の公共サービス放送の制作にまわすのは論外だった。
しかし、「デジタル・ブリテン」は「ライセンス料はBBCだけが独占するものではない」と明記し、BBCのライセンス料=聖域説を脅かした。
多チャンネル化により、BBCが提供するチャンネルの視聴シェアは相対的に低下している。視聴行動の変遷を記録する団体BARBによると、BBCの主力チャンネルBBC1(NHK1チャンネルに相当)の視聴シェアは、ITVとの二大巨頭体制の最後の年1981年には39%だった(ITV1は49%)が、その後年々減少し、09年には約21%にまで下落した。12年からのテレビの完全デジタル化で、各チャンネルの視聴シェアはさらに分散化する見込みだ。徴収した受信料をすべてBBCが使う、という方式がますます正当化できなくなる。
視聴率シェアでは最大のライバルとなるITVが広告収入減で経営が苦しくなり、チャンネル4も同様の窮状を訴える中、BBCの人気出演者への高額報酬(推定額)の報道や、経営陣の高額経費使いが情報公開法の請求によって、ここ2年ほどの間に明るみに出た。不景気感が募り、「金遣いがあらい」ように見えるBBCへの批判が国民の中からも強く発せられるようになった。
国民感情や市場動向の変化を察知した「BBCトラスト」(視聴者の代表としてBBCの業務全般を監督する)は、経営陣に対し、戦略見直し策の提出を求めた。
今年3月、経営陣がトラストに提出した見直し策には「質を優先する」という題名がついていた。「より少ないことをより良くやる」ことを主眼にし、際限のない拡大にストップをかけることを宣言した(ライバル局はこれでも「不十分」とするが)。
7月、トラストは、見直し策に対する中間報告を発表した。英国が緊縮財政下にあり、ライセンス料を払う視聴者も不景気悪化の影響を受けているとして、さらなる経費削減、節約分野を見つけるように経営陣に注文した。
また、今後3年間で経営幹部の給与を25%削減するというBBCの経営陣による計画に対し、トラストは3年ではなく1年半で実行するよう要求し、15人の経営幹部は年に一カ月分の給与削減、トラストのメンバー(全12人)も、給与を8・3%削減することになった。
トラストによる最終評価は今秋までに発表され、年内にはBBCの2016年までの活動計画の大枠が決定される見込みだ。
―将来像は?
今年のエディンバラ・テレビ祭で、基調講演を行ったトンプソンBBC会長は、前年のジェームズ・マードック氏によるBBC及び伝統的な公共放送体制に対する批判への反論を行った。
英国の放送界は「公共放送と商業放送の組み合わせで構成されているがゆえに、質の高い番組を制作するための競争が働き、同時に、利益のみでは正当化できない企画に投資できる」。
また、BBCの年間テレビライセンス料収入34億ポンドをはるかに超える59億ポンドの売上げを持つBスカイBが今後も巨大化すれば、「BBCばかりか、商業放送も含めた英国の放送業全体を取るに足らないほど小さな存在にしてしまう」、と警告した。
この警告には真実味があった。BスカイBの株を39%所有する米ニューズ・コーポレーションが、最近になって、残りの株の取得の意向を示したからだ。
トンプソン会長はまた、有料テレビ市場最大手のBスカイBに対してオリジナル番組の制作の投資を増やすべきと注文をつけ、民放ITVなど他局の番組をスカイのサービスの中で放映する場合、「再放映料を払うべきだ」と提案した。
放送業界関係者一千人近くが集うテレビ祭でのマードック氏、あるいはトンプソン会長の発言は、メディアで大々的に報道される。お互いに自局に好意的な世論を喚起することが基調講演の大きな目的の一つである。
トンプソン会長は、12年度で終了する現行のライセンス料体制の取り決めに関しては、「BBCの予算の一ポンドの削減は、英国のクリエーティブ産業が一ポンドを失うことを意味する」と述べて、将来の大幅削減が起きないよう、ライセンス料交渉の相手である政府をけん制した。
さて、今後のテレビ・ライセンス料体制の行方やBBCの規模はどうなるだろう?
現在のところ、視聴者からライセンス料を徴収し、これを公共サービス放送が使用する方法自体がすぐになくなると見る人は少ない。また、BBCがその規模を自ら大幅削減する可能性も低い。
したがって、①視聴者から徴収したライセンス料で番組制作などの活動資金に使う仕組み自体は今後も続く、②しかし、BBCがすべてを独占するのではなく、一部は他の公共サービス放送に回る、③ライセンス料の金額の値下げや削減は名目的にはないが、「現状維持」という形での削減はあり得る(注:最初の補足で書いたように、すでに、来年4月からの2%値上げ分をBBC側は辞退)-が、今後2年ほどの動きになろう。
一方、ライバル局から特に批判の高いBBCワールドサービスについて、ヘイグ外相は、9月上旬、その活動資金となっている政府交付金を削減する意向を表明した。連立政権は財政赤字解消のため、さまざまな分野で平均25%の政府支出削減を目指している。交付金削減もこの一環だが、BBCにとっては、厳しい将来を予測させた。
英放送業界はBBCが主導役となって発展してきた歴史がある。しかし、旗振り役がいなくなったら、あるいは力を失ったら、放送業界を束ねる役をどこが担うのか?「市場競争=利益を原動力とすればいい」というマードック氏のようには割り切れないように思う。
まずは今秋以降発表される、BBCの戦略見直し策を注視したい。(終)