小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

新しいメディアの時代① ネットとリアルは切れ目なし

 尖閣諸島のビデオ流失問題(しつこい!!?)が発生してから、ウィキリークスのことを良く考えるようになった。

 東京新聞の18日付けぐらいに、ウィキリークスのことについて、取材を受けた記事が掲載されたはずである。

 これを機会にまた考えたり、主にネット(日本語)で意見を拾っているうちに、自分が当たり前と思っているいくつかのことが、必ずしも日本の主流メディアでは常識になっていないようであることに気づいた。

 その中の1つが、ブログを読まれている方にはあまりにも当たり前のことで、ここに書くのも恥ずかしいぐらいのことだが、私は、ネットとリアルの議論・報道を分けて考えていない。

 これは空気のようなものかもしれない。英国では(英国が進んでいるとか、英国のほうがいいという意味では全くないことにご留意願いたいが)、ネット上の言論(ツイッターやブログ、ネットコラム)とリアルの言論(例えば「紙」の新聞、ラジオ、テレビから発される言論、集会所での議論など)を分けないようになってきたと思う。

 もちろん、それぞれのカテゴリーがあるし、どのメディアに良く接するか、あるいは言論に関わるかを人口分布や社会的背景(どの階級か)で分けることはできる。だから違いがないわけではない。それでも、「分けない」というか、つながっているのである。

 一種の「空気」だというのは、一見したところ気づかないかもしれないからだ。外から見れば、別々のように見えるかもしれないが、しかし、ネットとリアルは実は同じなのである。例えば、民放チャンネル4のあるキャスターがいる。この人はテレビカメラの前で番組の司会をするが、その前後にツイッターで視聴者あるいは他のツイッター仲間と情報をしょっちゅう交換している。またはチャンネル4のブログに自分の思うところを書く。この人にとって、全てがつながっている。ツイッターか、ブログか、テレビでしゃべるかの間で、プラットフォームが違うという意識はあるものの、同じ一人の人間が、時と状況によってさまざまなツールを使い分けて情報を発信している。どのツールを使っていても、同じ人間の書くこと・しゃべることだし、主張が変わるわけではない。
 
 新聞社でもウェブサイトと紙用原稿の制作作業が一体化している。テレビ番組は、テレビの前に決まった時間に座って番組を見るだけでなく、時間をずらしてオンデマンドで無料で呼び出して見れるし、コンテンスト(誰か当選者を選ぶなど)の場合は、リモコンを使って「投票」できる。PCで記者会見の様子やインタビュー、見逃したテレビ番組を見ることも日常茶飯事である。いろいろなメディア・プラットフォームが切れ目なくつながっている。すると「リアルとネット」という感覚がなくなってくる。

 そうすると、かつて日本で耳にした「ネットの情報は(リアルより)いい加減である」という見方がなくなってくる。切れ目がないのだから。「リアルが上でネットが下」という判断感覚もない。

 あえて2者対立で比較をすれば、真偽の判断が非常にしやすいのがネットだろう。常に他の情報との比較にさらされているし、比較が非常に簡単だからだ。誰がどのような形でその情報を発したかで、すでに情報の真偽の判断がある程度はできる。

 ・・というようなことを考えていたら、ITジャーナリスト、佐々木俊尚さんの有料メルマガに、先週と今週の2回に渡り、将来のジャーナリズムに関しての論考があり、思わず、ひざを打つほど感心してしまった。

 佐々木さんのメルマガの内容は、全文を出さない範囲で引用自由という太っ腹の仕組みになっているので、次回、その一部を紹介したい。
by polimediauk | 2010-11-23 07:17 | ネット業界