英総選挙と政治報道
政治家とジャーナリストの丁々発止のインタビューのやりとりがイギリスで広まっていったのは、1960年代のBBCのジャーナリスト、ロビン・デイ氏からと言われている。
しかし、政治家を目の前にしたジャーナリスト側が、「どうしてこのばか者が私に嘘をついているんだろう?」という前提でインタビューを行うという政治報道のスタイルが、国民の政治に対する無関心やシニシズムを招き、ひいてはこうした国民が、「どうせ投票しても無駄」となって、最終的には民主主義の危機を招いているのではないか?――そんな思いを抱く人々も存在している。
「犠牲者」となった政治家たちの一部がそう感じているのと、一般視聴者やジャーナリストたち自身がそう思うようにもなった。
イギリスの前回の総選挙は2001年だったが、投票率は59%。日本からすると決して低い数字とは思えないが、これまでは70%ほどだったので、大きな下落として受け止められた。
今年3月にはBBCの会長と経営委員長が上院の委員会(BBCの2007年から10年間の活動計画に関する政府案を議論している)に呼ばれ、こうした報道スタイルが果たして政治不信に結びついているのか?と聞かれている。マーク・トンプソン会長は取材する側とされる側が対立関係を保ちながらインタビューが進むと言うスタイルは「うまくいっていると思う」と答えている。バランスが崩れれば否定的、無礼さにつながるが、「バランスは大体とれていると思う」。
こうしたスタイルの典型的な例がBBCのラジオのニュース番組「TODAY」のジョン・ハンフリーズ氏とBBCのテレビのニュース解説番組「ニューズナイト」のジェレミー・パックスマン氏だ。
具体例としては紹介しきれないほどあるが、一例として、ハンフリーズ氏は昨年6月、閣僚のヘイゼル・ブリアーズ氏へのインタビューで、相手に答える時間を殆ど与えず発言をさえぎってばかりだったので、「弱いものいじめをしている」と批判された。
パックスマン氏の方は保健大臣ジョン・リード氏を、最近「攻撃する犬」と呼んでいる。
パックスマン氏のネガティブ・インタビューが顕著に出た例として、18日の夜の野党自由民主党のチャールズ・ケネディー氏のインタビューがある。(BBCオンラインのサイトでは、インタビューのビデオが見れるようになっている。)http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/vote_2005/frontpage/4457519.stm
30分間の単独インタビューだったが、殆どの質問がネガティブなトーンだ。自由民主党がイラク戦争に反対していたという事実を選挙戦に生かしていない点を批判するのはいいとしても、「リーダーとしてひきつけるものがあなたに無いんじゃないですか?」、「あなたの個人的な失敗のせいで(政党が)こうなっているわけですよね」など、答えを聞く前から完全にネガティブだ。典型的な、「この政治家は馬鹿で、嘘を言っている」という姿勢で、相手に向かうパターンだ。
翌日のガーディアンでは、ケネディー氏が「今にも泣きそうだった」と論評。「しかし、ケネディー氏には悪いが、おもしろかった」とも。
取材するジャーナリスト側が、懐疑心を持って政治家や権力を持つ人々質問をする、というのは正当な方法にしても、これが過度になったとき、本当に人々の政治に対する無関心などに結びつくのだろうか?
政治評論家、視聴者、選挙民、ジャーナリストたちの意見は二手に分かれる。1つは「政治的無関心、アパシー、シニシズムに結びつく」というもの。フィナンシャルタイムズの雑誌FTマガジンの編集長ジョン・ロイド氏もその一人。「メディアが政治に何をしているのか」What the Media are Doing to Our Politics という本を昨年出版しているが、これもそういう主旨に沿っている。もう1つは、「政治家だって本心を言わないで、国民の側をだまそうとしているのだから、お互い様だ」という意見だ。
BBCのウエブに寄せられた意見も大体2者を代弁している。
私の個人的体験では、イギリスにいて、メディア関係、政治関係には全くかかわりの無い人たちと何らかのきっかけで話をするときーそれは友人だったり、親戚だったり、あるいは取材を通じて知り合った人だったり、あるいはテレビでインタビューされている市民だったりするがーハンフリーズ氏やパックスマン氏そっくりの言い方で、政治や政治家のことに言及する人が結構多いことに衝撃を受ける。
つまり、「あいつら(政治家)、嘘ばっかり言っているよね」「どうせあんなこと言っても、うそだろ」、「全く信用ならないんだから」・・・。分析の仕方や文句が、いかにもハンフリーズ氏やパックスマン氏の政治・政治家に対する態度をほうふつとさせる。これでいいのだろうか、と不安になる。真実を照らし出すはずのジャーナリズムが、逆に人々の目を曇らせることになっているのではないか。政治家を馬鹿にするせりふ、「どうせxxしても、無駄だ」という言葉がイギリス人の口から漏れる度に、どきっとしてしまう。