小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


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マードック傘下の英大衆紙  -消えぬ巨大電話盗聴事件②

―大衆紙の人気は衰えず

 本題に入る前に、英国での大衆紙の位置をおさらいしておきたい。

 2010年10月、平日(月曜から土曜)発行の日刊紙のトップを占めたのは大衆紙サンで約290万部。これに同じく大衆紙のデイリー・メール(213万部)、デイリー・ミラー(122万部)が続く。(補足:ここでの数字は10月のものだが、現在でもあまり変わらないので、とりあえず、このままにしておきたい。)

 高級紙のトップ、デイリー・テレグラフは約66万部で、サンの部数の4分の1以下である。ガーディアンは28万部で、10分の1以下だ。

 日曜紙市場では、サンの日曜版に相当するニューズ・オブ・ザ・ワールド(NOW)紙がトップで約281万部。日曜高級紙として最大の部数を誇るサンデー・タイムズは106万部で、NOW紙の部数の3分の1だ。

 (補足:英国は、新聞といえば大衆紙の国なのである。ジャーナリズムについて書くとき、私自身、ガーディアンやタイムズなど高級紙を話題にすることが多いが、圧倒的に多くの人が、ゴシップ満載で、記事は短く読みやすい大衆紙を読んでいることを頭の片隅に入れておきたい。)

 日本の人口の約半分弱の英国で、100万部を超える大衆紙がそれぞれ競争する。この発行部数の大きさが、時には世論を動かし、時には権力者の名声を破壊する力として働く。

 平日版の大衆紙は一部が20ペンス(約27円)から40ペンス。一般高級紙(経済紙フィナンシャル・タイムズをのぞく)の価格の5分の1だ。低価格は熾烈な部数競争が招いたものでもある。
 
―ニューズ・オブ・ザ・ワールドとは

 ニューズ・オブ・ザ・ワールド(NOW)紙は1843年創刊。著名人のゴシップ記事や性に関わる不祥事の暴露で知られ、おとり取材(記者が別の人物に成りすますなど)の手法も良く使う。

 2010年5月には、ビジネスマンを装った記者がエリザベス女王の次男アンドルー王子の元妻セーラ・ファーガソンさんに近づき、王子を紹介する口利き料としてファーガソンさんが、50万ポンド(約6500万円)を要求する姿を隠し撮りし、この動画を同紙のサイト上で公開した。

 08年には、当時国際自動車連盟の会長だったマックス・モズレー氏が数人の娼婦を相手に、「ナチス政権下の強制収容所、拷問室にいるという設定で乱交プレーを行った」という記事を掲載した。NOWは娼婦の一人にビデオカメラで乱交プレーの様子を撮影させており、この動画をサイトに出した。後にモズレー氏はNOW紙をプライバシー侵害で訴え、勝訴。NOWは賠償金の支払いと裁判費用の負担を命じられている。(補足:モズレーは今でもNOWへの怒りが消えていないようだ。なぜ、この報道に関わった記者が解雇されないのかといきまいているという記事を読んだ。)

―最初の盗聴事件は英王子のけが報道で発覚

 盗聴事件の発端は、2005年11月にさかのぼる。ウィリアム王子のひざの怪我に関する記事がNOW紙に出たことがきっかけだった。ごく内輪の人間のみが知る情報が新聞記事となったことで、王室スタッフが、携帯電話への不正アクセスを懸念しだした。

 06年1月、王室から調査以来を受けたロンドン警視庁は、NOW紙の王室報道記者クライブ・グッドマンと同紙に雇われた私立探偵グレン・マルケーの関与の可能性を突き止めた。
 
 マルケーの自宅から押収した書類などから、盗聴被害にあっていた可能性のある数千に上る携帯電話の番号と、留守電の伝言を聞くために必要な暗証番号91件分をマルケーが保管していたことが判明した。押収物の中には、マルケーが、サッカー界の幹部の電話をいかに盗聴するかについて、ある記者に説明する会話を録音したテープも含まれていた。

 しかし、警視庁は王室関係者への盗聴だけに捜査を絞ってしまう。また、NOWの中でグッドマンやマルケー以外に携帯電話の留守電盗聴に関与していたかどうかも捜査の対象から外してしまった。

―「知らぬ」「記憶にない」に「集団健忘症」と報告
 
 ところが、決着したはずのこの事件を、09年7月、ガーディアンが蒸し返した。グッドマンやマルケーの盗聴裁判で明らかになった情報と独自の取材を通して、NOWの複数の記者が広範囲な電話盗聴を行っていたと報道したからだ。

 盗聴対象者は有名人、スポーツ選手、政治家など約3千人に上るとした。また、盗聴対象者の一人に入っていた英プロサッカー選手協会ゴードン・テイラー会長が、08年、NOWから70万ポンド(約9千万円)の和解金を受け取る代わりに、和解内容を極秘とする示談に応じていた、とも報じた。NOWによる盗聴が王室関係者のみではなかったことを示す、動かぬ証拠となるはずであった。

 ガーディアンの報道を受けて、下院の文化・メディア・スポーツ委員会が盗聴事件に関する公聴会を開いた。

 公聴会の焦点は、盗聴行為がグッドマン、マルケーだけに限らずNOWの中で常態化していたかどうか、元編集長クールソン氏の関与がなかったのかどうか、であった。

 召喚されたクールソン氏及び現NOW関係者、ニューズ・インターナショナル幹部は、「盗聴行為関与はグッドマンとマルケーのみ」とする返答を繰り返した。マルケーがNOWの別の記者に送った、盗聴内容を書き取ったメモの詳細など細かい点に関して聞かれると、「記憶にない」「分からない」とする返答に徹した。

 クールソン氏は「編集長として、部下が何をやっているのかを関知してないのは、おかしいとは思わないか」と委員に詰め寄られたが、「すべてを関知できない」と一蹴した。

 2010年2月、委員会は報告書を発表し、NOWは電話盗聴事件に関し「集団的健忘症にかかっている」という皮肉とともに、盗聴行為に関し、編集室の中で誰も関知していなかったのは「理解できない」と指摘した。しかし、結局、クールソン氏が盗聴を承認したのかどうかは確認できずに終わった。

 また、後にグッドマンとマルケーがNOWから「不当解雇」であったとして賠償金の支払いを受けていたとの指摘もある。違法行為を働いた上での解雇であったにも関わらず、賠償金とは奇妙な話である。金額や条件は公開されていないが、同委員会は、両氏が金銭を受け取る代わりに、NOWとの取り決め内容を口外しない約束を交わしたことを示唆している。 

 新聞業界の自主規制団体、英報道苦情委員会も独自の調査を行ったが、09年11月現在でも盗聴行為が行われている証拠がない」と結論付けている。(つづくー最後の③は「しかし、である。そんな曖昧な決着を突く報道が2010年9月、現れた」ー。)

 補足:英報道苦情委員会はガーディアンに対し、あまり同情をよせない姿勢をとっている。09年秋、ガーディアンのNOW報道の証拠の1つをけなし、これに抗議して、ガーディアン編集長が報道苦情委員会の「倫理規定小委員会」を辞めたのである。

「Journalism」2010年12月号より転載 
―朝日新聞社ジャーナリスト学校 
http://www.asahi.com/shimbun/jschool/ 
―富士山マガジンサービス 
http://www.fujisan.co.jp/journalism/ 
by polimediauk | 2011-01-10 02:38 | 新聞業界