小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

「フロントライン・クラブでのディスカッション」に解説補足+情報の集積ジャーナリズム

 英国のニュースを詳しくウオッチングする「メモ魔」さんが、前回のこのブログのエントリー「フロントライン・クラブで議論」について、解説と分析を書かれている。

 このトピックに関心のある方(と記者クラブ制度にも関心のある方)は、ぜひご覧になっていただきたい。
 
ウィキリークスと今のジャーナリズム(フロントライン・クラブでのディスカッション)
http://nofrills.seesaa.net/article/180415003.html

 若干、解説への補足のようなことをしてみたい。

 *メモ魔さんによるフロントライン・クラブの解説は、以下のような感じだ。そう、たしかに「社交クラブ」なのである。この点を書くのをすっかり忘れていた。頭に上らなかったのであるが、たしかに、いわゆる日本流の(大手マスコミが加入する)「記者クラブ」ではない。

(引用)「フ ロントライン・クラブ」は、現在ジュリアン・アサンジに住居を提供しているヴォーン・スミス氏が運営する、ジャーナリストのためのクラブ(この「クラブ」 は、英国の伝統的な、「会員制の社交場」という意味。かっちりした「組織」ではない)。ロンドンのパディントン駅の近くにあるこのクラブは、ウィキリーク スが何か大きなこと(アフガン戦争ログ公開など)をするたびに、ジュリアン・アサンジの記者会見の場として利用されてきた。普段は、会員のための講演会・ 討論会やドキュメンタリーの上映などを行なっている。また季刊でBroadsheetという機関紙も出している(今出ている号の表紙が長崎原爆だ)。http://frontlineclub.com/(引用終わり)

*タイムズのコラムニスト、アーロノヴィッチについて

 メモ魔さんの解説:

 (引用)――私はこの人の「自身の考えの言語化の結果のテクスト」(≒書いてることとその中身)が好きではないのだが、このディスカッションでは「ヒール」の役 (WLとアサンジを「ヨイショ」しない役)でかなり効果的な仕事をしていたようだ。(@federicacoccoとかは "troll" って言ってたけどw)実際、テクストより喋りのほうがしっくりくるロジックを持った人かも(元々テレビの人)。(引用終わり)

 私自身、彼の書いたものを読んだときは、あまり好きではなかったのだけれど、実際、喋りがうまいー。いろいろ見聞きして、「知っている人」の感じがした。何が起きているかの真実らしきものへの嗅覚がすごい。まさにジャーナリスト。話し言葉でものごとを要約するのがうまい。放送ジャーナリズム育ちの人だなという感じがする。

*「海底ケーブル」の話―ここも、興味のある方は探求してみていただきたい。

*本の話とガーディアンのモスクワ支局のルーク・ハーディングの話--私もハーディング氏には注目している。本は、講談社が日本語翻訳権を買ったとのこと(ガーディアンブックスとランダムハウスに電話して聞きました)。いつ翻訳が出るのかは分からない。このガーディアンのウィキリークス本について、私はガーディアンのデービッド・リー記者に問い合わせをしていて、返事がないなあと思ったら、10日の週明けにリリースが出て、驚いた。

*アナリストとキューレーションのこと

 私のメモにアー ロノビッチ(コラムニスト)が、「分析屋(アナリスト)の位置が大きく変わった。例えば、経済の問題なら、特定のシンクタンクに意見を聞く。今は情報が大量に 出ている。これを分析する人が必要になった。何が重要で何が重要でないのか。アナリストに聞かないと分からないのだ」という部分があったのだけれど、それに関して、メモ魔さんは、こう書く。

 (引用)「これは本当にそうだと思う。ウィキリークス云々より長いスパンの話で、「IT革命」で一般人が触れる情報の量が激増して、で結局何が何なのかわからない状態が生じていて、その中で個人は結局、「自分にわかる話」にしか接さないというか、幅が狭くなってると思う」
 「卑近なところでは、必要なニュースはネットで読むので、新聞を取らなくなった=別に積極的に知ろうとしていなくても何となく目に入ってくる情報、というもの に接さなくなった(例えば、私はラグビーには興味がないのだが、新聞をめくっていれば何か大きな大会があれば、「東芝の誰某」とかいった感じで語られるス ター選手の名前くらいは自然と目に入るので、「知ってる名前」にはなる。ネットで興味のあることしか見ていないと、そういう形で知る情報というのがなくな る)。その結果、これは個人の体感だが、情報に対する嗅覚がすごく鈍くなったように思う」
「そういう状態で、「自分の興味」云々とは関係な く、絶対的に何が重要で何が重要でないのか、ということについて、旧来の「新聞」の役割――知っておくべき情報を、重み付けして整理して並べてくれるとい う役割――を果たす存在はやっぱり必要だよなあ、とすごく思っている。最近よく言われるけど「優れたキュレーター」の存在。「編集者」じゃなくて「キュ レーター」。(引用終わり)


 この「キューレーター」「キューレーション」っていうのは、近く出る、佐々木俊尚さんの新刊のタイトルの一部にもなっているようだ。

 ウィキリークスの話で、事態の流れがあまりにも速いので、なんかもう、本が出る前に、すでにキューレーションが現実化しつつある。

 それと、今回のウィキリークスで私たちが体験しているのは、もしかしたら、新しい現象(だと思うのだけど)、つまり、「ツイッターを主な媒体として、どんどんと情報が加速・倍速で出されていって、お互いに情報を補足したり、新しい情報を教えあったり、反論しあったり、同意したり・・・ものすごいスピードで、国境を越えて情報が集積され、共有されてゆく」-。

 そういうことを、私たちは、今、刻々とやっている。

 ネタはもちろん、ウィキリークスでなくてもいいのだけれどーすでに日本では、小沢さんや検察の話など、ほかにもいろいろ、どんどん進んでいるのだろうしーー私にとっては、今回初めて、本格的にこういう情報集積の流れを実体験している。

 これは「ジャーナリズム」だろうか?こういった情報の集積がー?私は、これはジャーナリズム以外の何ものでもない感じがする。


***補足①
ご関心のある方は、吉田秀さんのブログもご覧ください。
「気まぐれ翻訳帖・メディアと政府の癒着」
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-b975.html

***補足②
アーロノビッチの話で思い出したのですが、多分、動画で見れると思いますけど、質問のコーナーで、若い人が、「ウィキリークスの外交公電などは、もうみんな知っていることばかりで、新しいことはほとんどないとあなたは言いますが、私は知りませんでしたよ」と、議論をふっかけるようなことを聞いたのです。それに対して、アーロノビッチは、「情報があふれている」「僕が書いても、君が読んでないだけじゃないか」ーのようなことを言っておりました。これまた、一つのヒントがありました。「ものすごく、情報量が多いので、全部見切れないー全部見れる人はない」-まさにネット時代だなあと思った次第です。

by polimediauk | 2011-01-14 07:46 | ウィキリークス