ウィキリークスと英・米メディア ―「公益」理由に大手紙が機密情報公開 (新聞協会報より)
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ウィキリークスと英・米メディア
―大手紙がメガリーク参画、 「公益」理由に機密情報公開
内部告発サイト「ウィキリークス」が、昨年来注目を集めている。数十万点に上る米軍の機密情報や外交公電を、世界の複数の報道機関と協力し、あらかじめ決められた日に一斉に、かつ大々的に暴露したいわゆる「メガリーク」報道で、一躍その名を世界中にとどろかせた。こうした共同作業が一段落した今、「共闘」の中心となった英国と米国でのジャーナリズム議論を紹介したい。
―ジャーナリズムか?
ウィキリークスは、情報漏えい者から届いた機密情報(一次情報)を、10人程度の専従スタッフと800人ほどのボランティアたち(ジャーナリスト、弁護士、IT技術者など)が協力して信憑性などを検証し、サイトに掲載する。サイトの自己定義は「メディア組織」で、創設者のジュリアン・アサンジ氏は自分を「ジャーナリスト」と呼ぶ。サイトの目的は「真実を提供すること」で、伝統的報道機関の目的と合致する。
しかし、サイト上で一次情報を出すのみでは報道組織とはいえないとする考えが、当初から根強くあった。アサンジ氏が元ハッカーであることから、現在の同氏を「国家転覆を試みる」意図を持つハッカーとみなし、「ジャーナリストではない」、そして「ウィキリークスはジャーナリズム組織ではない」と述べたのは米「MITテクノロジー・レビュー」誌の編集長ジェイソン・ポインティン氏であった。
一方、いち早くウィキリークスを新たなメディア組織として定義づけたのはニューヨーク大のジェイ・ローゼン教授だ。ネット上に存在し、特定の本拠地や国を持たないウィキリークスを「世界で最初の無国籍のニュース組織」と呼んだ。
ウィキリークスと共同作業を行った英ガーディアン紙のイアン・カッツ編集長は、1月末、「ウィキリークスはジャーナリズムだ」と筆者に語った。これまで、ジャーナリズム機関は「情報を取得し、検証し、分析し、文脈を与えて記事の形にして読み手に公開する」という一連の作業の全過程に従事した。ウィキリークスは全過程には参画しない。ガーディアン自体ももはや全過程には参画しない。リーク情報のみに限らず、ネット上で大量の一次情報やさまざまな論評が出るようになった現在、「全過程に参画しないからといって、ジャーナリズムではないとはいえない。それぞれが『ジャーナリズム』と呼ばれる時代になった」という。
―国益との兼ね合いは
国家機密を暴いたメガリークをめぐるジャーナリズム議論の中で、頻繁に話題に上ったのが国益。例えば国家の安全保障と、国民に広く情報を公開することの意義、つまり公益との兼ね合いをどう取るかであった。
米政府がウィキリークスを批判したのも、まさにこの点であった。「(リークは)米国の安全保障に危害を及ぼす危険性がある」(ギブス米大統領補佐官、アフガン戦闘記録の公開後、2010年7月26日)、「情報を漏えいさせた者や流出情報をネットに公表したものは無責任極まりない」(ゲーツ米国防長官、同27日)、「米国や同盟国の兵士、民間人の命を危険にさらす」(クリントン米国務長官、同年10月22日、イラク戦争文書公開後)、「米国の外交政策や国際社会への攻撃だ」(同長官、11月29日、外交公電報道後)など。
これに対し、ウィキリークス側は「戦争の全体像を示す」(7月26日)、「戦争犯罪を示す説得力のある証拠を提供している」(10月23日)、「(情報公開は)世界をよりよくする」(12月3日)、「ウィキリークスにより人命や安全保障が脅かされている主張はでたらめだ」(12月8日)と反論している。
2月上旬時点で、一連のメガリークによって大きな安全保障上の危害がもたらされた形跡はないが、既に危害が出ていても表面化していない場合がありえる。メガリークの影響の全貌が判明するのは何十年も先という声もある。
メガリーク報道に参画した米ニューヨーク・タイムズ紙は、アフガン戦闘記録公開の前に、「国益と公益をはかりにかけ」今回は情報公開が公益にかなうと判断して情報を出したと説明した(7月25日付)。11月末の外交公電公開前には、大統領官邸にどの公電を報道するかを知らせ、「国家の利害に損害を与える箇所があれば指摘してほしい」と協力を呼びかけた。官邸の異議申し立てを「時には受け入れて」報道した(11月28日「読者へのお知らせ」)。
一方のガーディアン紙は同様の説明の中で「国益」という言葉は使っておらず(米国の機密情報であったことが一義的理由と推測される)、「公益」を公開の理由として挙げている。
先のガーディアンのカッツ副編集長は「情報を隠すよりも、掲載して間違いを犯す」方を選ぶという。原則として「編集部が知っていることは読者も知るべきだ」というのが同紙の基本方針である、と。
ウィキリークスからメガリークの生情報を提供された組織の一つ、ロンドンの調査報道センター(CIJ)のギャビン・マクフェイデン所長は、「政府が『国益』を理由に情報を公開しないと主張するとき、何かを隠そうとしている場合が多い」と述べる。「民主主義社会では、国民は全ての公的事柄に関して知る権利がある」「政治家は国民が選んだ人たちだ。もし情報の公開で政治家が困惑する思いをしたら、それまでだ」と話す。「例外は情報の公開によって人命が失われるなど、ごくまれな場合のみだ」。
また、報道機関の主要な役目が国民のために真実を明らかにすることだとすれば、「国益を考慮するのは政府の役目であって報道機関の役目ではない」と続ける。
―ネットの落とし子
為政者や大企業が外に出したがらない情報を明るみに出す「無国籍ニュース組織」ウィキリークスは、どの国の法律にも縛られない、ネットの落とし子として存在する。その評価の決定にはまだ時間がかかるであろうが、ともすれば国内の法規やしがらみに縛られて権力に対する監視を十分に行使できなくなっている既存の大手報道機関への一種のカンフル剤ともいえるかもしれない。(終)
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補足:公益について若干付け加えると、英国の論壇の中では、メディア側がこの「公益」という言葉を過度に使いすぎている、または自分たちの行動を正当化しすぎているのではないか、という批判がある。例えば、犯罪の容疑者として捕まった人物(容疑者)の過去の経歴を報道したり、犯人視した報道をすれば、法廷侮辱罪に抵触することになる。陪審員裁判に影響を与える(と思われる)ので、司法審理に介入した=侮辱罪、と。それでも、新聞は部数を売りたいので、例えば容疑者の家族や恋人の話などを大きく出したりする。これに限らず、何でも、「公益のため」という理由で、様々な報道をする。
こうした傾向は大いに批判されるべきだろうけれど、また一方では、政治家や政府が自分たちにとって都合の悪い事実を明るみに出したくないために、報道差止め令を裁判所に申請したり、金持ちの個人であれば名誉毀損として裁判所に訴えることがある。
どこまで何を報道するかは、2つの勢力のせめぎあいで決まる。つまり、「機密情報だ」など、いろいろな理由を挙げて情報を出させまいとする政府や大企業側と、ニュース価値があると思ったものを何でも出そうとするメディア側との戦いの結果である。
こうして、どこまでを「公益」として正当化できるかは人(=どこに自分を置くか)によって変わって来るが、公益を理由として報道するとき、そのココロは、「国民が主権を持つ民主主義社会の中で、この社会が機能するために、社会の構成員である国民が知っておくべきと思われる事柄」を報道するべき、と考えるからであろう。
・・・とした場合、「公的事象に関わる(ほぼ)すべての事柄」=「公益として報道の価値がある」ーという解釈(マクフェイデンさんのような)が成り立つ。
公的情報はいったい誰のものかー?答えは国民であるに違いない。もし国民にある情報を出さないのであれば、十分な理由付けが必要となろう。
―というようなことを、今の私は考えている。