小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


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聡明な二人の結婚―ウィリアムとケイトさんが挙式

 ウイリアム王子とケイト・ミドルトンさんが、29日、ロンドンのウェストミンスター寺院で結婚した。王子はチャールズ皇太子の長男で、王位継承権順位は2番目になる。

 私はこの日、諸処の事情で外に出ることができなかったので、主にBBCテレビとウェブサイトで結婚式の様子を見た。

 その様子はすでに日本のメディアでもだいぶ紹介されているが、二人を画面で追っていて私が思ったのは、なんと落ち着いて、聡明な新郎・新婦かということだった。

 スコットランドのセントアンドリューズ大学で知り合い、友人同士から恋人になった二人は、足掛け8-9年ほどの交際を続けてきた。誕生日が早く来たミドルトンさんは、現在29歳だが、ウィリアム王子は28歳である。早い年での結婚ではない。一旦は破局に至ったものの、縁が復活し、今日に至った。一時は一緒に暮らしていたこともあるというし、十分に知り合った仲だ。

 ケイトさんのウェディング・ドレスは、最後の最後まで公表されなかった。前の晩に宿泊先のロンドン市内のホテルから、結婚式が行われたウェストミンスター寺院までの車に乗り込む姿さえ、囲いを作って報道陣が写真を十分に撮れないようにしたほどである。ケイトさんの全身は、寺院の前に立って初めて、他の人が見ることができた。
 
 このウェディング・ドレスは、英ブランド「アレクサンドル・マックイーン」のデザイナー、セーラ・バートンが考え出したものだった。私は、ファッションには詳しくないが、一目見て、感心してしまった。ウィリアム王子のお母さんにあたる、ダイアナ元妃のドレスとはずいぶん違う。もちろん、当時ダイアナは20歳で、スタイルが違うのは当たり前だろうけれど。

 ダイアナ元妃のドレスは、首の部分が大きくあいていた。フリル使いの襟で、大きなちょうちん袖がつき、ドレスにつく長いトレイン部分(後ろに引きずる部分)は、7メートル以上あった。まさに「御伽噺のような結婚」のドレスだった。

 ケイトさんのドレスは、上半身がレースになっていて、首の両側や長い腕をレースがぴっちりとつつんでいた。そして、お尻の部分に大きな詰め物をして、後ろがふっくらするようになっていたーこれはビクトリア朝時代のスタイルだという。トレイン部分は2メートル70センチとずいぶん短くなった。なんとも見事なレースはケイトさんの身体をつつみながらも、肌をレースの隙間から見せていた。なんと奥ゆかしくかつセクシーなのだろう。大きく肌を露出することでは競わず、むしろ隠すーしかもレースなので透けているのだ。

 結婚式が始まって、ウィリアム王子とケイトさんが誓いの言葉を述べる場面になった。二人は互いに向かい合った。誓いの言葉の文句を、カンタベリー大主教が言うので、これをウィリアムあるいはケイトさんは繰り返すだけでよい。この時、二人の表情に、やや緊張した感じが出たが、それは大きな儀式なので緊張しているというよりも、真面目な顔をしなければ、ついつい笑ってしまいそうなのをこらえているようにも見えた。―何年も交際してきた二人が、真面目に改まって誓いの言葉を言うなんて、ちょっと笑ってしまうーそんな印象を受けた。

 カメラが映し出すケイトさんの顔の表情は、やや疲れているようにも見えたが、決して有頂天にも、夢見心地のようにも見えなかった。自分がどこにいて、何をしているのか、次には何をするのか、全てを知っているような、ある意味では醒めたような顔をしていた。私はこれを非常に頼もしく思った。ウェディングドレスの選定も、式の進め具合も、自分の頭でちゃんと理解し、了解し、了解できなければ何故そうかを相手に説明することができる人物の顔に見えた。自分の頭で考え、ものごとを判断し、権威があるものや人に気おされないーそんな、きちんとした自分を持つ人のように見えた。

 結婚式の後、二人はバッキンガム宮殿に向かい、バルコニーの上から、集まった約50万人の国民に向かって、手を振った。恒例のバルコニー上のキスを、なぜか二人は2回行った。

 その後、二人は600人ほどのゲストを呼んでの昼食会を開いた。数時間後、夜の晩餐会のために、一旦宮殿を出て、皇太子の公邸クラレンス・ハウスに二人は戻ることになった。

 午後3時ごろ、今か今かと報道陣と集まった国民が待つ中、バッキンガム宮殿から、1台の車が出てきた。オースチン・マーティンの車の運転席に座っていたのは、なんとウィリアム王子だった。隣にはケイトさん。二人は民衆に向かって手を振り、ウィリアム王子はクラレンス・ハウスまでの道を運転していった。「自分の人生を自分で切り開きたい」「自分が納得して公務をこなしたい」-そんな二人の思いが強く出た。スタントとしても珍しく、度肝を抜かせる動きだったが、深い意味がこめられているのだろうと思った。

 周知のように、王子の母ダイアナはメディアに追いかけられた人生を送った。最後には、パリでパパラッチたちに追跡された後で、交通事故で命を落とした。ウィリアムは母のようにケイトさんをパパラッチに追わせる生活を送らせたくはないと、当然思っているはずだ。

 大学で友人として知り合い、後に恋人なったウィリアム王子とケイトさんのことを考えるとき、日本の皇太子妃雅子さんのことを思い浮かべざるを得ない。雅子妃は今、すっかり元気になられたのだろうか?英国留学経験のある聡明な雅子妃とケイトさんが良い友人になれる可能性があるのではないか?そんなことなどを考える、ウィリアムとケイトさんの結婚式の日だった。

 結婚後、ウィリアム王子とケイトさんはケンブリッジ公爵、公爵夫人という爵位を得た。
by polimediauk | 2011-04-30 02:17 | 英国事情