英ガーディアンとウィキリークス 「メガリーク」報道の舞台裏―「Journalism」4月号より

ほかに最近の動きとして、5月11日付のガーディアンによると、米バージニア州で、ウィキリークスに国家機密を漏らしたことに関連して、大陪審が審理を開始したようだ。まずはボストンから召喚された男性が証言をすることになっている。この審理は非公開であるという。ガーディアンによれば、これは最終的にはスパイ罪違反として、ウィキリークスの代表者ジュリアン・アサンジを裁く方向に向かうことを狙っているという。
WikiLeaks: US opens grand jury hearinghttp://www.guardian.co.uk/media/2011/may/11/us-opens-wikileaks-grand-jury-hearing
もう1つは、ウィキリークスの元NO2のドイツ人活動家ダニエル・ドムシャイト=ベルグが、ウィキリークスを批判という話。これは、アサンジがウィキリークスのスタッフに対し、機密を守る文書に署名をするよう迫り、もし機密を漏らせば巨額の賠償金を支払うという項目が入っていたという。そこで、「これはおかしい」と発言している。まるで機密を隠す政府・当局のような動きではないか、と。
Ex-WikiLeaks spokesman criticises Assange's gagging order for staff
http://www.guardian.co.uk/media/2011/may/13/wikileaks-spokesman-assange-gagging-order
ちなみに、今、日本語でウィキリークスの関連本がいろいろ出ているが、このドムシャイクト=ベルグ氏の本はお勧めである。というのも、ウィキリークスの中から見た話で、知らなかったことがいろいろ入っている。最初の部分はアサンジの話があってちょっとゴシップめいているのだが、段々、新たな事実が出てくる。例えば、アフガン関連のメガリークで、ウィキリークスは、危険が及ぶような人物名などを十分に消さなかったとして人権団体などに大きく批判された。しかし、アサンジ側からの「消すように」という指示が、公開予定日の直前であったので、すべてを消せなかったという理由があったと分かる。
少し前になるが、朝日新聞の「Journalism」4月号に書いたウィキリークスの記事をいかに転載したい。ニューヨークタイムズとガーディアンの編集長がどうやって当局と距離を置いたのかと具体的な編集作業をどうしたのかを書いたもの。既にウィキリークス本などを読まれている方にとっては重複部分が多いとは思うが、結論あたりを見てくださると幸いである。(ちなみに、「Journalism」4月号には立花隆さんのインタビューなど、盛りだくさん。http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=12525)
また、ガーディアンの副編集長と調査報道のジャーナリズム機関CIJの代表者へのインタビューは、記事の中でも紹介されているが、いずれも全部は入っていないので、別の形で、この後出す予定。編集幹部のいろいろな見方が入るので、何らかのご参考になればと思う。
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英ガーディアンとウィキリークス 「メガリーク」報道の舞台裏
昨年後半から、内部告発サイト「ウィキリークス」が世界の話題をさらっている。数カ国の大手報道機関が、ウィキリークスが入手した米軍に関わる大量の漏洩機密情報と米外交公電を元に、大々的な報道(「メガリーク」報道)を展開したからだ。
このメガリーク報道に参画した主な報道機関は、米ニューヨーク・タイムズ紙、英ガーディアン紙、独シュピーゲル誌、仏ル・モンド紙、スペインのエル・パイス紙、英テレビ局チャンネル4、カタールの衛星テレビアルジャジーラなど。
本稿では、ニューヨーク・タイムズとガーディアンの例を中心に、機密情報の取り扱い方や公開時の編集判断を振り返る。
―調査報道記者がアサンジに接触
英国の左派高級紙ガーディアンの調査報道の現状については、「Journalism」誌2010年4月号で詳しく書いたが、同紙は専任記者を2人置き、調査報道に力を入れている。普通の取材ではなかなか手に入れることができない内部事情を明るみに出すリークと調査報道は、切っても切れない関係にある。
専任記者の一人デービッド・リー記者のあまたの情報源の中に、06年にウィキリークスを創設するジュリアン・アサンジがいた。ケニア元大統領の汚職疑惑報道(07年)や、多国籍石油取引企業トラフィギュラの産業廃棄物に高い毒性があることを示す報告書の公開(09年)など、複数の事例でガーディアンとウィキリークスは協力してきた。
今回のメガリーク報道につながるきっかけを作ったのは、ガーディアンの特約記者ニック・デービスである。専任記者ではなかったが、デービスも調査報道を長年手がけてきた。昨年6月、デービスは、ガーディアン紙上で、ブラッドリー・マニングという名前の米上等兵が大量の外交機密文書をウィキリークスに流した疑いで逮捕(5月)され、これに関し米当局がアサンジの居場所を探し出そうとしているという記事を読んだ。
デービスは、この機密文書を入手し報道できれば大きな注目を集めると直感、アラン・ラスブリジャー編集長に相談した。すぐに取材許可が出た。
デービスが住所不定のアサンジとベルギーのブリュッセルで会合を持ったのは、10年6月末であった。デービスは、アサンジに対し、ガーディアンと手を組まないかと持ちかけた。常日頃から、サイト上での情報公開だけでは注目度がいま一つと感じていたアサンジは、これに同意した。しかし、その情報量が巨大であったため他のメディアにも参画してもらうことにし、オバマ米政権があまり干渉をしないだろうと踏んだ、リベラル派の米ニューヨーク・タイムズに声をかけることにした。複数の国の報道機関が関与すれば、当局も一斉に報道を差し止めることは難しいだろうと両者は考えたのだ。
アサンジはデービスにリーク情報を引き出すためのパスワードを与えた。パスワードは、アサンジが立ち上げる仮のウェブサイトを閲読するために使うものだった。このウェブサイト自体はほんの1、2時間のみネット上に存在し、情報にはさらに暗号ソフトによって鍵がかけられていた。
―本社5階の一室で始まったアサンジとの共同作業
ロンドンに戻ったデービスは、ラスブリジャー編集長から、無事、企画進行の合意を得た。
その2、3日後、デービスの元にアサンジから仮のウェブサイトの存在を知らせるメールが届いた。デービスは自宅でパスワードを使って情報をダウンロードしたものの、暗号を解くことができなかった。
いったんメモリー・スティックに落とした情報を、ガーディアンの編集部に持ち込み、システム編集者に開けてもらう。この準備段階で、ガーディアンのベテランジャーナリストたちがてこずったのは、ネット時代の情報の取り扱い方であった。機密が漏れないよう、関連書類を維持するサイトを暗号化したり、メールアドレスや携帯電話を頻繁に変えたりするなどの方法が取られた。
ラスブリジャー編集長から共同作業の打診を受けたニューヨーク・タイムズのビル・ケラー統括編集長は、ウィキリークスの情報が本物の米軍の機密情報かどうかを確かめるため、ワシントン支局のエリック・シュミット記者をガーディアンに送った。シュミットは軍事の専門家だった。情報を閲読したシュミットは、ケラー統括編集長に「本物」であると報告し、ニューヨーク・タイムズの参加が本格化した。その後、ウィキリークス側からドイツの週刊誌シュピーゲルも加えてほしいという依頼があり、3媒体の共同作業が始まった。
ロンドンのキングス・クロス駅から歩いて数分の所にあるガーディアン本社5階の一室が共同作業の準備室になった。6台のアップル・コンピューターを前に、調査部長のデービッド・リー、デービスに加え、ニューヨーク・タイムズとシュピーゲルの記者、そして6月末からはアサンジが加わり、データの整理作業が始まった。
手元にあったのは、アフガン戦争に関する米軍の戦闘報告書(約9万点)である。専門用語が多く入っており、まずこれを解読する必要があった。同時に、情報量が巨大すぎて標準のデータ整理用ソフトでは扱いきれず、データバンクと独自の検索エンジンを作成する必要が出てきた。そこで、準備チームにはガーディアン社内からコンピューター技術やデータ分析を専門とするスタッフが参加した。戦闘機の種類やその他の軍事情報を解析するため、世界各地にいる特派員がロンドンに呼ばれた。
メガリーク報道がこれまでのリーク情報の編集作業と大きく異なるのは、データの整理、解析作業に時間と困難が伴うことだ。例えば、「データ・ビジュアライザー」という役目を担ったスタッフは、戦闘報告書が記録する数千の爆撃行為を視覚的に分かりやすくするために、アフガニスタンの地図の上にカーソルを合わせると攻撃の日時、犠牲者などの情報が現れるようにした。
こうした作業は関係者以外には極秘のプロジェクトとされ、ガーディアン内部でも関係者以外のスタッフにはその存在を知られないようにされた。
ニューヨーク・タイムズ、ガーディアン、シュピーゲルの3媒体は、ウィキリークスの生情報を事前に閲読・検証し、あらかじめ決めた日に一斉に報道することで合意した。情報の整理や検証の段階で協力できる部分は協力しても、どこを使ってどのような記事を作るかは、各媒体が決めることにした。この決まりは、メガリーク第2弾、3弾についても同様だった。
―情報をそのまま出すか、出さないか
3媒体は、人命が危険にさらされると考えた箇所など、情報の一部について掲載しないことにしたが、「文脈を丸ごと出す」ことを方針とするアサンジは、「修正はいらない」と当初言い続けた。後に、リー記者はメディアの取材に対し、「考え方の違いの大きさに愕然とした」と述べている。人命に損害を与える箇所を事前に修正する「損害最少化方針」が合意事項となっていることをウィキリークス側全体が知ったのは、アフガン文書公開予定日の数日前であった。
フルタイムで働くスタッフが大急ぎで修正作業に取り掛かったが、時間が足りず、3媒体からの提案で、アフガン人からの警告をもとに治安リスクを査定する「脅威報告書」約1万4千点を公開しないことにした。それでも、一部に実名が出てしまい、ウィキリークスは人権団体から抗議を受けた。
その後、ウィキリークスは情報の一部を修正する方針に変わっていき、第3弾の米外交公電の公開では、原則として、主要報道機関が編集・掲載したものを自らのウェブサイト上に載せるようになった。
メガリーク報道の第1弾となる7月25日のアフガン文書報道の数日前、ニューヨーク・タイムズはホワイトハウスと国防総省にコメントを求めた。ケラー統括編集長によると、「オンレコ・コメント」を他の参加媒体に伝え、「人命に損害を与える情報は出さないでほしい」というホワイトハウスからの要望をウィキリークス側にも伝えた。
公開後、ガーディアンとシュピーゲルはそれぞれの記事に、ウィキリークスのサイトへのリンクを貼ったが、ニューヨーク・タイムズは貼らなかった。後に、この点について、ガーディアンのラスブリジャー編集長はウィキリークスとガーディアンの関係を「相互補完」と説明しているが、ニューヨーク・タイムズのケラー統括編集長はウィキリークスを「パートナーとは考えていない」「あくまでも一つの情報源」(『オープン・シークレッツ』より)と述べている
10月22日にはイラク戦争関連の米軍の機密書類約40万点を元にした報道が第2弾として開始され、新たに英テレビ局チャンネル4と衛星テレビ局アルジャジーラが報道に参加した。
―「外交公電」報道数日前に米側がガーディアンに接触
第3弾の11月28日の米外交公電(約25万点)報道までに、3媒体のほかに、仏ル・モンド紙、スペインのエル・パイス紙が加わった。
報道の数日前、ロンドンの米大使館から2人の官僚がガーディアン本社を訪れた。その内容は明らかにされていないが、ラスブリジャー編集長は、26日に、米政府中枢部に電話するよう言われた。
26日、編集長はワシントンの電話番号を回した。電話口に出てきたのはクローリー米国務次官補(当時、広報担当。3月に辞任)であった。クローリーはクリントン国務長官の秘書、国防総省代表者、諜報関係者、国家保安委員会の代表者に囲まれていた。クローリーは、外交公電は「盗まれた書類」で、「慎重に扱うべき軍事機密を明るみに出し、人命を危うくする」と述べた。もし、ガーディアンが「書類を共有する」なら、米政府は「助ける意思がある」と続けた。この謎めいた言葉は、掲載する公電が何かを教えてほしい、という意味だと編集長は察した。
ラスブリジャー編集長がこれに直接答えないでいると、クリントン国務長官の秘書が「どの公電かを教えるのか、教えないのか」と重ねて聞いた。しかし、編集長は情報を「渡さない」と答えた。それでも、1日目はイラン、2日目は北朝鮮、3日目はパキスタンに関する公電だと大まかな予定を教えた。会話はこれで終了した(ガーディアン、2011年1月31日付)。
同日、英政府は、ガーディアンを含む複数のメディアに対し、慎重に扱うべき外交情報があれば通知してほしいという「国防通知」を出している。この通知に応じる法的義務はないが、報道機関は国防に配慮した報道を行うよう要請される。英首相官邸は「この通知によって報道差止め令を裁判所に求める意図はない」と説明した。
一方米国では、クローリー国務次官補が公電報道は米国と外国政府との信頼関係を壊す、と述べた。
ニューヨーク・タイムズは報道前に、米政府と何度か交渉の機会を持った。11月19日、ニューヨーク・タイムズはホワイトハウスに外交公電報道の予定を知らせたところ、その2日後、ワシントン支局長と他の2人の記者がホワイトハウスに呼ばれた(『オープン・シークレッツ』以下同)。ホワイトハウス、国務省、CIA、FBIなど政府関係者とニューヨーク・タイムズ記者たちとの会合内容はオフレコのため、公開されていないが、ニューヨーク・タイムズ側の一人によれば、政府側からは「抑制された怒りと不満感が伝わってきた」という。
その後は、連日、電話での交渉が続く。ワシントン支局が掲載予定の公電をホワイトハウスに送ると、この公電は該当地域の担当者に回された。後日、政府関係者が「修正すべき項目やその理由」を電話でニューヨーク・タイムズに伝えた。その内容はニューヨーク・タイムズから他の媒体にも伝えられた。
政府側が「修正すべき項目」としてあげたのは、①人命に損害をもたらすと思われる部分、②諜報活動の秘密を暴露すると思われる部分、③外国の政治家に関わる率直な感想を述べた部分であった。ニューヨーク・タイムズは①に関しては理解を示したものの、②と③については政府の懸念に同意しないとする場合もあったという。最終的に、「一部は修正し、一部は修正せず」という方針をとった(「読者へのお知らせ」11月28日付)。
―機密情報と報道の基準「きちんとした方式はない」
国家機密を手にした報道機関は何を基準にして掲載に踏み切ったのか。
アフガン文書公開時、ニューヨーク・タイムズはこの文書は「実際に戦闘行為や再建を行っている兵士や官僚という重要な、有利な視点から語られたリアルタイムの戦争の歴史」と呼んだ(7月25日付)。「機密情報を掲載するかどうかの決定は困難で、リスクと公益をはかりにかけて、掲載しないことを選択する時がある」。しかし、情報に大きな公益性がある時があり、「今回がその時だった」と。
ケラー統括編集長は、メガリーク報道の経緯をまとめた書籍『オープン・シークレッツ』の中で、報道機関の役目である「政府が持つ秘密の暴露」と「国民に情報を与えること」とのバランスについて、きちんとした方式はないと書いた。情報を出そうとするメディアと情報を守ろうとする政府との間には常に緊張が生じるからだ、と。
ガーディアンの場合は、今回のメガリークは米軍あるいは米外交公電であったため、英国の国益を特には問題視せず、「公益」を理由に掲載したと説明してきた。
ガーディアンのイアン・カッツ副編集長は筆者の取材に対し、同紙では「編集部が入手した情報は、読者にも伝える」ことを原則としているという。機密情報であっても、「これを掲載しないことで間違いを犯すよりも、情報を掲載して間違いを犯すほうを選ぶ」とも語った。
もし今回の外交公電が英国のものであったとしても、カッツ副編集長は「編集部の判断(=公益と見なして報道する)は変わらないだろう」という。そして公務員機密法、名誉毀損法、法廷侮辱法などを使って、政府側が報道差止め令を裁判所に申請する可能性が高いと予測した。
ニューヨーク・タイムズは、アサンジとマニング上等兵について否定的な視点で書いた記事を掲載したことでウィキリークスと仲違い状態となり、外交公電はガーディアンから迂回して入手した。そのせいもあってか、ケラー統括編集長はウィキリークスを「一つの情報源」であり、共同作業の相手とは認めていない。ウィキリークスをジャーナリズムと呼ぶことにも抵抗があるという。
一方、ガーディアンのカッツ副編集長は、報道機関がジャーナリズムの編集の全過程をもはや担当しえなくなっている、と指摘する。伝統メディアのガーディアンと、ブログやウィキリークスのような内部告発サイトなどが編集過程のそれぞれの部分を担う時代になった、と。
シュピーゲルの記者マルセル・ローゼンバッハとホルガー・シュタルクは共著『全貌ウィキリークス』(早川書房刊)の中で、ウィキリークスのようなサイトの将来像に思いをはせる。「機密文書公開のための、検閲が不可能なウェブサイトは」、その国の法律に時に縛られ、為政者との緊張関係に身をおく大手報道機関の外に位置する「国家の枠を超えた第5の権力になりうる」と。
一方、ウィキリークスの元ナンバー2、ダニエル・ドムシャイト=ベルクは、著書『ウィキリークスの内幕』(文藝春秋刊)の中で、ウィキリークスに送られたリーク情報を、特定の報道機関が独占的に報道することに疑問の声をあげている。
「機密情報の所有者が政府から大手報道機関に移動しただけという側面はなかったのか」と問いかける。実際に、アフガン文書公開時、ウィキリークスが未公開とした1万4千点余の文書の閲読をワシントン・ポスト紙がウィキリークスに申請したところ、「3媒体と約束をしたから」という理由でアサンジに断られた経緯があった。ウィキリークスは自分たちが受け取った情報の使用権を特定の報道機関に譲り渡す形となった。
内部告発情報を広く世に出すことがウィキリークスの目的とすれば、「独占契約」は正しい選択だったのか、とドムシャイト=ベルクは問う。
国家機密の報道のあり方、内部告発の情報の取扱方法など、様々な論点を喚起したメガリーク報道であった。〔終)
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