マードック氏、新聞とネットに関して語る
「消費者が受け取りたいような方法で、ニュースを配信するにはどうするか」
メディア王と呼ばれるルパート・マードック氏が4月13日、アメリカの新聞業界団体American Society of Newspaper Editorsで講演を行った。マードック氏はタイムズ、サンなど英紙の所有者であり、衛星放送のスカイテレビ、アメリカのフォックス・ニュースなども傘下に置いている。
マードック氏は新聞・メディアの将来に関してどう見ているのだろうか?
おもしろいと思ったのは、新聞業界では(ここでは米国を指すが、米国に限らないと見て良いだろう)記者や編集担当者が何がニュースかを決めてそれを読者に提供するというパターンがあるが、ネットに慣れた若者たちは、自分たちで何が重要なニュースであるかを判断したい、つまりニュースの管理を自分たち自身で行いたいと思っている、とする分析だ。他のこれまでの報道でも同様の点が指摘されているが、マードック氏がこれに気づいている点に新鮮な感銘を覚えた。というのも、これは、ある意味では、既存の新聞の報道体制、ニュースの提供の仕方を根本から否定する、あるいは覆すような事態が起きている・起きつつあることを認識している、ということを意味すると思ったからだ。ブログの存在にも言及しているが、ニュースを紙の媒体からでなくネットから得る若者が増える現状に対して、かなり強い危機感を持っているようだ。
以下は、英文の中からの一部抜粋。(オリジナル英文スピーチ原稿
http://media.guardian.co.uk/city/story/0,7497,1459456,00.html)
「米カーネギー・コーポレーションの調査によれば、現在、ニュース産業の中で劇的な革命が起きている。ニュース報道の将来の方向を、テクノロジーに長けた若者たちが変えている。若者たちは伝統的な方法でニュースにアクセスしていない。
18歳から34歳の消費者の多くが、伝統的ニュース媒体からではなく、ネットからニュースを得ている。新聞に対する態度も驚くほど変わっている。たった9%が新聞に書かれてあることは信頼に足るとしており、8%が役に立つ、4%がおもしろいと答えている。
若者たちは朝刊から最新の情報を得ようとはしない。神様のような存在が、何が重要かを自分たちに教えてくれることを必要としていない。新聞にゴスペルの役目を果たして欲しいとは思っていない。代わりに、自分たちが必要なときにだけ情報を得たいと思っている。自分がアクセスするメディアの管理を自分たちでしたいと思っている。メディアにコントロールされたくないと思っている。
こうした変化に対し、我々(既存メディア)の反応は遅かった。新聞の発行部数が段々減っていくのを黙ってみていた。
「消える新聞」The Vanishing Newspaperという本を書いたフィリップ・マイヤー氏 Philip Meyerによれば、最後の紙の新聞が出るのは2040年の4月だと予測している。
こうした事態が続いたのは、理由があった。まず、新聞は印刷機の誕生からラジオ放送の開始まで、何世紀もの間、実質的には情報を独占するメディアとして存在してきた。第2に、テレビが出現後の読者数の減少は、人口増によって隠されてしまった。第3に、1990年代から発行部数自体は減少の一歩をたどったのにも関わらず、利益は伸びていた。
しかし、もはやこのような時代は終わった。読者は、スピードのあるサーチ・エンジン、ターゲット化された広告や編集内容にアクセスできる。毎年、少なくとも40億ドルがこうしたプロセスをさらに前進させるための開発費として使われている。
5-6年前と比べて状況は変わっている。ジャーナリズムを改善させ、我々のリーチを拡大する機会にもなり得る。
テレビはニュースを見る1つの方法であり、新聞の一部になることはない。しかし、ネットは違う。この部屋にいる人が代表する新聞の中で、独自のウエブサイトを持たないものはないだろう。しかし、読者に奉仕し、ビジネスを強くし、読者が自分たちにとって重要だと思うニュースを提供できているかどうかといった面から、新聞各紙が自社のウエブサイトを最大限に活用していると言えるだろうか?
若い人が新聞を読まなくなっているからと言って、ニュースがいらないといっているわけではない。たくさんニュースを欲しがっているが、もっと早く、違うタイプのニュースを違う方法で入手したいと思っているのだ。
新聞業界には経験、ブランド力、リソースがあり、私たちはどうやってニュースを報道するかを知っている。そんな新聞業界が新しいタイプの消費者に到達する際のパートナーになるのがインターネットだ。
消費者が受け取りたいような方法でニュースを配信するにはどうするか?これまで、私たちは自分たちの(報道機関としての)競争力を使ってニュース配信を行ってきたが、これからは偏見から頭を解放し、新しい消費者に自分たちもなったつもりで考える必要がある。
あるニュースの報道のされ方、調査の仕方などに関して新聞記者や編集者と議論するための場所として、読者にウエブサイトを紹介するべきだ。同時に、ブログによって、私達が毎日提供する報道を補強する実験を始める。こうした方法にはもちろん危険もある。正確さや信頼度の基準をいかに維持するか、だ。
(新聞と言う)製品に対する私たち自身の考えを変革しなければならない。不幸なことに、私達編集者や記者達は読者から離れてしまった。非常に頻繁に、私たちは、「どんなニュースがあるか?」というが、「だれかこのニュースを欲しい人はいるか?」という観点から考えない。
(アメリカの)記者や編集者達は読者が馬鹿だと思っている。どんなビジネスでも、自分達の商品を買ってくれる消費者に対するこうした考え方は健康的ではない。新聞業界は毎日私達(新聞)のところに戻ってくる人々に依存するビジネスであり、この点(読者を馬鹿にしない、読者の立場にたって考える)を何とかしないと破滅的な事態になる。
オンラインの世界での成功は紙媒体でも大きな成功につながると思う。組織を簡素化し、より敏速になり、原稿を書き編集する方法を変え、読者の声にもっと耳を傾けることだ。
新聞業界は真のデジタル・ネイティブ(生粋のデジタル人間)にはなれないかもしれない。しかし、デジタル文化、考え方に同化することはできるし、そうしなければならない。画期的な、1世代に一度の機会だ。成功すれば、新聞業界は改変できるし、これまでにないほど健康になれる。
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マードック氏のスピーチと直接関係は全くないのだが、毎日新聞に「ネット時代のジャーナリズムとは何か」という記事が4月26日付で出ている。読んでいて、暗い気持ちになった。どことなく、ネット以外の既存メディアに関しての安泰感が漂っているように思えた。これでいいのだろうか。現在は良くても、これからどうなるのだろう。
将来の予測は正確にはできないが、「紙媒体の新聞は消えない」と信じている考え方の一方で、「2040年にはなくなってしまうかもしれない」とする見かたがある。毎日新聞の記事は前者の考えの方に属する。
個人的には、1つの想像力のオプションとして、後者の可能性も頭の片隅に入れるのが自然のような気がしてならない。
新聞の将来に関して、危機感を感じるのか、まだまだ安泰と思うのか?意見は分かれるのだろうが。
http://www.mainichi-msn.co.jp/it/net/news/20050426org00m300090000c.html
毎日新聞: 理想の実現、まだ先か
堀江貴文ライブドア社長とフジ・サンケイグループが和解したことにより、「ネット時代のジャーナリズム」はあいまいな結末に終わった。しかし、堀江社長の挑発的ともいえる言動により、この問題にメディア関係者を中心として大きな関心を呼んだのも事実だ。
MSN毎日インタラクティブは特集「ネット時代のジャーナリズムとは何か」を設置し、メディアへの造詣が深い11人の論客に語ってもらった。さらに、毎日新聞の記者がこの問題を取り上げた原稿も収録した。立場が異なる論客たちが共通して抱いていたのは、現在のジャーナリズム、マスメディアのあり方への強い危機感と、市民参加型への道を開くネットを活用したジャーナリズムへの期待だった。
取材を通じて、既存のマスメディアの補完的立場であるべき、ネットジャーナリズムは萌芽が出始めているもののまだまだ育つには時間がかかりそうだと感じた。ライブドアのパブリック・ジャーナリスト(PJ)を始め、市民参加型のネットメディアが出始めているが、メディア批判を受けてもまだ新聞を購読し、テレビを視聴する人の方が圧倒的に多い。これはネットメディアの弱点と、既存メディアの長所双方が理由として考えられる。
ネットメディアの弱点は(1)経験(2)信頼(3)コスト面で既存メディアの領域まで至っていないことに集約されるだろう。現在、主要ポータルサイトはニュースを新聞社など既存メディアからの提供に頼っている。これはコストを掛けて自前でニュースを書くよりは、購入したほうが安上がりであるし、質的にも既存メディアに至らないということである。
原寿雄・元共同通信編集主幹の「調査報道はプロでないとできない。日常ニュースも今でも多くの人が大メディアのニュースで見ているが、信用、確実性があるからだ」との分析は正鵠を射ている。既存メディアより深い分析をしているブログ、サイトも存在するが、数多くのサイトのなかで、非常に優れているということを多くの人に認識させるだけの信頼性は得ていない。
既存メディア、なかんずく新聞の長所は、新聞社が判断したニュース価値に応じて情報が整理されており、見やすくなっている点、どこでも簡単によめ、記録として保存できる点が上げられる。さらに、数千年に及ぶ歴史を持つ紙になれてしまった人間にとり、モニター画面はまだ追いつかない。
将来、ネットが読者数でも影響力でも新聞を追い越す時代が来るかもしれない。ただ、それにはネットメディアを育てることを既存メディアも読者もしなければならないだろうし、ネットに追い抜かれたとしても新聞が無くなることは当面ないだろう。ネットと新聞が補完関係であると同時に、お互いに育みあう関係である。新聞とネットどちらか片方でなく、両方を見て、それぞれの長所と短所を理解する必要があろう。それが現段階のネット時代のジャーナリズムに対する正しい接し方であると信じている。【柴沼 均】
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同様の連載で、4月25日に、「良質のジャーナリズム 桂敬一の視点」というのが出ているが、非常に現実に即した見方が紹介されていると思う。