反戦運動家ブライアン・ホーさん、亡くなる
英議会の建物前にある、「パーラメント広場」で、2001年から反戦ストを行ってきたブライアン・ホー(Brian Haw)さんが、肺ガンで亡くなった。家族が19日、明らかにした。
英米の外交政策に対する抗議運動は、ホーさん自身が広場に居座って(寝泊りして)反戦を訴えるという独自のものだった。次第にホーさんの周りには反戦のポスターやメッセージなどが陳列されるようになり、ホーさんは様々な取材に応じた。英国の反戦の、そして抗議行為やデモを行うためのシンボルと見なされるようになった。
この広場は反戦に限らず、さまざまな抗議運動が行われる場所でもあり、議会の真向かいにあるので、議員らがメディアの取材を受けるときにも、よく使われてきた。
ロンドン市当局や政府側にとっては、実に目障りな存在で、ロンドン警察は何度もホーさんを広場から立ち退かせようとしてきた。時には展示物を撤去する行為を行うこともあった。ホーさん側は、これにまでに何度も、裁判所を通じて抗議行為を続けられるよう戦ってきたが、今年3月、ロンドン市長が高等法院(第2審にあたる)からホーさんの立ち退き判決を獲得。ホーさんは広場内から歩道に抗議行動を移さざるを得なくなった。
ホーさんの家族によると、18日、ホーさんはガンの治療を受けていたドイツで亡くなったという。62歳。
ホーさんが広場に反戦キャンプを作ったのは、2001年6月2日。サダム・フセイン大統領下のイラクに対する経済制裁が発動されてからだ。その後アフガン戦争(同年10月)、イラク戦争の勃発(2003年3月)を通じて、抗議運動は支援者をどんどん増やした。
2002年4月、議会があるロンドン・ウェストミンスター区は、道路法を使ってホーさんのキャンプを撤去させようと裁判に訴える姿勢を見せた。撤去理由は道路の「妨害」となっていること。しかし、実際に裁判所がこの件を取り扱うところまではなかなか行かず、ホーさんが拡声器を使う時間に対し、法的縛りをかけるところまでは行ったものの、ホーさんの展示物の中のプラカードが「邪魔」、「非合法の広告」という理由からの撤去は認められなかった。
2005年、議会から1マイル四方での非認可の抗議行為が禁止された。しかし、当初、ホーさんの運動はこれに入らないとされた。ホーさんがこの法律の施行前から抗議活動を続けていたからだ。
2006年5月、控訴院は、ホーさんが抗議運動を続けたいなら、警察から許可を得る必要がある、という判定を出した。ロンドン警視庁はホーさんに抗議の許可を与えたものの、展示物の大きさを限定させた(最大でも横3メートル、高さ3メートルなど)。また、この「限定基準を破った」、「テロの攻撃対象になりやすい」などの理由から、当局はホーさんのプラカードなどすべてを撤去しようとした(2007年、別の裁判官がこれを却下)。
2010年5月、ホーさんは、警察による、広場に設置された複数のテント(当時、総選挙が行われ、様々な抗議活動をする人のテントが点在していた)の捜査作業を妨害したという理由で起訴された。
裁判所に出廷後、ホーさんは報道陣に対し、「一生涯、広場にい続けるつもりだ」と語った。「私たちがここにいるのは、祖国が幼児殺害、殺りく、他国の略奪行為を行っているからだ。殺されるまでここにいる。後どれだけの時間があるだろう?」(BBC報道)
今年3月、ロンドンのジョンソン市長はロンドン市庁が管轄するパーラメント広場から、ホーさんやほかの運動参加者たちの追い出し令を裁判所から勝ち取った。
このため、ホーさんとほかの参加者たちは、歩道に抗議場所を移動させた。歩道はウェストミンスター区の管轄である。同区は、キャンプが公道の邪魔になっているという理由で撤去令を求めた。
ホーさんは1949年、英南部エセックス州のバーキングで生まれた。商船員、引越し業、大工などの仕事に従事した。熱心なキリスト教徒でもあるホーさんは、プロテスタント系とカトリック系の住民同士の争いが続く英領北アイルランドや、大量の殺りくが行われたことで「キリング・フィールド」(殺人の野原)と呼ばれたカンボジアなどを訪れた。
パーラメント広場で抗議運動を始める前は、ウースターシャーのレディッチで、妻ケイトさんと7人の子供と生活していた。
ホーさんは、イラクのやほかの国の子供たちは、「私の妻や子供たちと同じぐらい、大切で、愛情の対象となるべき存在だ」と語っていたという(BBC).
「自分の子供のところに戻って、イラクやほかの国の子供たちのために、自分ができうる限りのことをやったと思って、子供たちの顔をじっくり見たい。(イラクやほかの国の)子供たちが死にそうになっているのは、わが英国の政府が不正で、道徳に反し、お金目当ての政策を実行した結果なんだよ」。
ホーさんに関する過去記事(ブログ)
http://ukmedia.exblog.jp/10220797
日刊ベリタの記事
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200606180912040