マードック帝国の激震 ② -BスカイB完全子会社化断念の舞台劇
ニューズ社がBスカイBの完全子会社化(現在は39%の株を所有)のために動き出
しのたのは、ほぼ1年ほど前である。
昨年6月、買収への動きが報道された頃、BスカイBの時価総額は99億ポンド(約1兆2000億円)相当に達していた。同月末、BスカイBは年間利益が11億7000万ポンドに達したと発表した。前年と比較して大きな伸びであった。
9月、ビジネス・改革・技術相のビンス・ケーブルが、メディアの調査会社エンダース・アナリシスから、もし完全子会社化が実現すれば、メディアの多様性が失われると警告する内密の調査書をケーブルに渡した。この書類の内容は後にガーディアンなどが報道した。
エンダース・アナリシスの計算による、英国内のメディアの規模の比較で、トップに来たのはBTリテール(総収入84億ポンド、以下数字はほとんどが2009年時)、これに続いたのが、BスカイBが54億ポンド、バージンメディア(38億ポンド)、BBC(36億ポンド)、デイリー・メール&GT(21億ポンド)、ITV(19億ポンド)、ニューズ・インターナショナル(10億ポンド)、チャンネル4(8億ポンド)、トリニティーミラー(8億ポンド)、ジョンストン・プレス(8億ポンド)、ガーディアン・メディア・グループ(3億ポンド)、テレグラフ・メディア・グループ(3億ポンド)であった。
この比較では、BスカイBが2番目に大きいことになる。しかし、もしニューズ社がBスカイBを完全子会社化すれば、BスカイBの54億ポンドとニューズ・インターナショナル社の10億ポンドが合計され、「BスカイB+ニューズ・インターナショナル」社としては、64億ポンドに上ってしまう。
ケーブルは、この分析に強く印象付けられたのか、11月4日、完全子会社化が「メディアの多様性」を侵害することがないかどうかを、情報通信庁オフコムに審査させるべきだ、と発言した。
2週間後の11月18日、父ルパートの息子でニューズ・インターナショナル社の会長ジェームズは、政府がBスカイB完全買収の道を阻めば、ニューズ社は海外市場に投資するだろう、長い審査機関を設定することで「英国への巨額投資を無駄にするのか」と述べた。
―おとり捜査に引っかかった大臣
ケーブル・ビジネス大臣によって、BスカイBの完全子会社化への道は長いものになりそうだった。しかし、12月、事態は急展開を見せる。ケーブル議員の選挙区民であると称した、デイリー・テレグラフ記者によるおとり取材に捕まり、ケーブルは買収計画に言及して「マードックとの戦争も辞さない」と発言してしまった。この会話は録音され、テレグラフ紙上に掲載された。
キャメロン政府は、ケーブルは中立的な判断ができないとして、BスカイBの件を、文化・メディア・スポーツ大臣ジェレミー・ハントに委任することにした。
今年3月に入り、ニューズ社は「メディアの多様性」問題をクリアするための解決策を出した。当時、4つの全国紙を発行していたニューズ・インターナショナルに加えて、テレビ局BスカイBを所有するとなれば、「多様性」に問題があると見られることから、BスカイBのニュース部門を別会社として設置すると、政府に確約したのである。
これで、多様性の面から厳しい判断を下したかもしれない、競争委員会(独占防止委員会に相当)に、BスカイB買収を審査してもらわなくてよくなった。
後は政府、つまりはハント文化相のほぼ一任であった。
7月1日、政府は買収に承諾を与えることをほぼ決定していたものの、それでも「きちんとすべての面をカバーした」と見えるように、買収に対する反論を一般公募した。しかし、意見を募る期間はほんの1週間だった。8日に締め切り、19日には買収計画承認というゴーサインを政府が出すはずであった。BスカイBの時価総額は148億ポンドにも膨らんでいた。
しかし、4日頃から出始めた、NOWでの電話盗聴事件の深刻化が、政治問題にまで発展し、13日、ニューズ社は買収計画の断念を発表した。
―ジャームズ・マードックの去就は?
一連の電話盗聴事件で、ニューズ社の経営への不信感が生まれた。フィナンシャル・タイムズのジョン・ガッパーは14日付で、ニューズ社が「家族経営」となっていることへの不満感が高まっていると書いた。
デイリー・テレグラフ14日付によると、BスカイBの残りの株の買収計画を停止したことで、ニューズ社はBスカイBに3850万ポンドの取り消し金(ブレイク・フィー)や巨額の法律費用を払う必要があるという。
同紙は、あてにしていた取引が実現しなかったことで、同社の株主が経営陣を訴えるだろうと書いている。今春、ニューズ社の副最高執行責任者になったジェームズ・マードックの地位も危ないという厳しい見方もある。ただし、ニューズ社の大株主はマードック一家で、それほど簡単にはジェームズが引きずり落とされる可能性は低いかもしれないのだが。
―BスカイBの始まりから関与したマードック
マードックとBスカイBの付き合いは古い。
まず、英国の衛星放送の歴史を振り返ると、政府は、1980年、衛星放送が産業界に与える影響について内務省に調査を命じている。
しかし、行政の動きよりも一足早く動いたのが、欧州全域向けに放送する衛星テレビUK(SATV)であった。これは、ロンドン近辺の平日に番組を放送するテームズ・テレビの元職員ブライアン・ヘインズが立ち上げたサービスだ。
1978年3月、実験用衛星を打ち上げ、主にオランダや米国で制作された番組を放送し始めた。英国内の放送免許を持っていなかったので、海賊放送である。
しかし、資金難に苦しみ、1980年代前半、SATVの株80%をたったの1ポンドで売却した。買ったのはマードックのニューズ・インターナショナル社であった。
翌年、名称はスカイ・チャンネルに変更された。
一方、放送業の監視団体IBAは、1980年代末、衛星放送の免許をコンソーシウム「英国衛星放送」(BSB)に与えた。
BSBが技術上の調整に手間取ってサービス開始ができない状態でいた1989年2月、マードックが一歩先に動いた。それまで欧州向け放送を提供していたスカイ・チャンネルを、今度は英国向け放送局として放送を開始したのである。
BSBが衛星放送を開始したのはその1年以上後の1990年4月。BSBはマードックのスカイ同様、業績が伸び悩み、同年11月、2社は合併した。新会社の名称はBスカイB(ブリティッシュ・スカイ・ブロードキャスティング)であった。出資比率は50%ずつであったが、事実上はマードックの乗っ取りで、旧BSBの経営陣は一掃された。
BスカイBは1992年ごろから次第に利益を上げるようになって、そのビジネスは拡大していった。いまや、マードック一家が「金のなる木」として、メディアの将来を託すのがデジタルコンテンツの配信、放送が可能な放送業だ。BスカイBは、加入者1000万人を誇る、英国最大の有料テレビの放送局となった。
一旦はBスカイBの売却から徹底せざるを得なかったマードックだが、半年後や1年後には又戻ってくるとみる人は英国では多い。一方、投資の割には利益が少ない英国の新聞業から全面撤退する、という見方もある。新聞っ子のマードックには苦しい選択かもしれないが、もしそうなった場合、新聞を見限ってまでBスカイBがほしいということの証拠にもなる。
噂の噂だが、マードックが所有するのはタイムズ、サンデータイムズ、サンの3つの新聞。この中のどれかの買収に、アレクサンドル・レベジェフ(元KBG職員で、ロンドンのイブニング・スタンダードやインディペンデント紙を所有)が「興味がある」と表明したと伝えられている。(つづく)