小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

マードック帝国の激震 ④ -盗聴事件を通して見える、パワーエリートたちの傲慢さ

 マードック父子(ルパートとジェームズ)が、廃刊となった日曜大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールド(NOW)をめぐるいわゆる「電話盗聴事件」について、下院の文化・メディア・スポーツ委員会で証言を行ってから、2-3日が過ぎた。

 「メディア王」の父ルパートが米国に帰国してしたこともあって、ここ2-3週間続いてきた、盗聴事件に関する過熱報道は一つの山を越えた感がある。今日21日付の高級紙各紙は、まだこの事件をトップにしたが、明日からは、1面から消えるかあるいは小さく出ることになる感じがする。ユーロの危機やソマリアの餓死する子供たちの話など、大きく扱うべきトピックはまだたくさんあるのだ。

 警視庁やNOWの幹部がどこまで何を知っていたのか、誰が本当に責任を取るべきなのか、どうして英国のメディアがこんな手法を使ってまで紙面を作らなければならないのかなど、これからも捜査・調査・議論は続くだろう。

 19日、マードック父子が下院で証言を行っていたとき、日本の放送メディアから取材を受けたのだけれども、NOW紙をはじめとする英国の大衆紙の、違法行為すれすれの取材手法の具体例を話していたら、驚かれてしまったようだ。ツイッターでもそういう感想を残した方が複数いらした。

 しかし、実はこの一連の盗聴事件の最も重要な部分は、盗聴という不正行為を行ったことにももちろんあるが、それと同じかそれ以上に見逃してはならないのが、「パワー・エリートたちの傲慢さ」であろう。

―「嘘をついてもいい」という態度

 NOW紙記者らによる盗聴事件をずっと追ってきたのが、ガーディアン紙の特約記者ニック・デービスである。BBCラジオが制作した、デービスのプロフィール番組を聞いていたら、デービス自身が今回のスキャンダルの根幹にあるものは何かについて語っていた。

 デービスによれば、重要なことは、盗聴問題の是非、あるいは政治とプレスの(悪しき)関係や、捜査を十分に行わなかったロンドン警視庁の失態というよりも、プレス(=メディア)の経営・編集幹部、警察、政治家といった、英社会の支配層(エスタブリッシュメント)である人たち、つまりは「パワー・エリート(権力を持つエリートたち)が、国民に嘘を言い続けてもいい、と思っていたこと」「自分たちは法律を守らなくても良い、と思っていたこと」であるという。「パワーエリートの傲慢さ」こそが、今回の一連のスキャンダルの中心にある、と。

 例えば、国民を「リトル・ピープル」(小さな、取るに足らない人々)と見て、様々な嘘を言い続けてきたこと。下院の委員会の前に座らされ、議員たちから質問ぜめを受けても、「知らない」「記憶にない」などと繰り返してきた経営や編集幹部、顧問弁護士たち。自分たちの手できちんと調査もしていないのに、「新しい証拠はない」と言い切って、事件の再捜査を拒絶してきたロンドン警視庁。すべてが、本当に傲慢としか言いようがないー私は、こんなデービスの論調を聞いて、目が覚める思いがした。

―不快感の由来

 盗聴事件を英国民が本当に自分に関わる問題として感じるようになったのは、7月4日、誘拐・殺害された13歳の少女の携帯電話に、NOW紙の記者や私立探偵が不正アクセスしたことが発覚したからだが、私自身は、個人的にはこれを衝撃的には思わなかった。少女にしろ、著名人にしろ、不正アクセスという点は同じと思っていたからだ。誰にとってもプライバシーは重要で、他人が侵害してよいわけがない。

 しかし、それよりももっと気になったのは、当時の編集幹部の態度であった。例えば、ある新聞の編集長が記者(複数)が盗聴行為を行っていたことを、「まったく知らなかった」と本当に言い切れるものか、もしそうなら、この編集長は蚊帳の外に置かれていたのであり、管理する側としては失敗である。また、その後、元記者が何人も「編集長の了解済みだった」と公に証言をしても、それでも何故「知らない」と言い切れるのか¬¬¬と不思議であり、不快に思った。

 さらに、常識的に見て、「どうも疑わしいな」「嘘を言っているな」と思わせる人を、一国の首相が官邸報道局長にしてしまう、というのも、よく言えば不思議であり、悪く言えば不快だった。例えばキャメロン首相は、NOWの元編集長アンディー・クールソンを報道局長に起用した理由を聞かれ、「相手が潔白だというので、それを信じた」、編集長職を辞職しているクールソンに「第2の機会を与えたかった」などと、答えている。どうみても、「少々疑わしい人物であったが、戦略的に必要なので起用した」のが真実に近いはずで、「国民には本当のことを言わなくてもいい」と思っているようなのが、不快だった。

 この「不快感」がどういうことなのか、自分自身、うまい表現が見つからないでいた。

 そこで、デービスの言葉を聞いて、はっとした。国民や読者に対して、「堂々と嘘をついて、あるいは真実を言わなくても、それでよいと思っている」ということなのだ。この言い訳、欺瞞、ごうまんさが問題だった。

―「ずーっと言い続けていると、それで通ってしまうものさ」

 アイルランド半島の北部は英領北アイルランドとなっているが、南北アイルランドの統一を目指す人たちが、北アイルランドや英国本土でテロ活動を活発に行った時代があった。1974年、英中部の都市バーミンガムで、私兵組織IRAのメンバーによる爆弾テロが発生し、21人が亡くなった。

 このとき、容疑者としてつかまった6人の男性は、テロ犯として有罪になり、実刑判決が下った。ところが、この6人は無実だった。76年には控訴が認められたが、無実を証明する十分な証拠がなく、有罪判決は崩れなかった。

 1980年代に入って、グラナダ・テレビというテレビ局が、この6人=「バーミンガム・シックス」をテーマにした番組「正義のために」を制作・放送した。この制作に関わったジャーナリストが「判断の間違い」と題する著作を出し、粘り強い支援活動を行った。本当のテロ犯が番組制作者側に連絡をとったことが突破口になり、6人は最終的には無罪釈放された。警察が証拠を捏造していたり、嘘をついていたことも明るみに出た。釈放は1991年である。無実になるまで、長い、長い時間がかかったのである。

 グラナダ・テレビでバーミンガム・シックスに関わる番組を作った、プロデューサー、レイ・フィッツウオーターに、ロンドンのメディアのイベントで会ったことがある。どうしてこれほどの長い間、この6人が有罪のままであったのか、警察は何故無実だと知りながら、有罪のままにさせておいたのだろうか、と聞いてみた。

 フィッツウオーターは、しばらく答えを探していたが、「英国では、エスタブリッシュメントに属する人が、『私は悪くない』といい続ければ、それが通ってしまう」「だから、有罪の状態がずっと続いていたのだと思う」。もし有罪でないとしたら、警察、司法界が嘘をついていたことが分かってしまう。すべてが暴露されてしまう、「だから6人を無罪にできなかった」。

 私は答えを聞いて、少々ショックを覚えた。そんなことがあるのかな、と。「たとえ嘘でも、それを言い続けたら、それで通ってしまう」なんていうことがあるのかな、と。

―イラク戦争の嘘

 2003年開戦のイラク戦争の是非に関しては、英国でも活発に議論が交わされてきたが、多くの国民が、当時のブレア首相が自分たちに「嘘をついて」開戦した、裏切られたと感じたものだ。

 私には特別な諜報情報はもちろんなかったが、それでも、「イラクに大量破壊兵器がある」「英国も危ない」という政府側のあおりの言葉の数々は、どうも論理のつじつまがあわないことが一杯で、「変だなあ」と思うことばかりだった。注意深く政府の言動を見ていれば、特に国際情勢に詳しくなくても、「戦争したくてたまらない」「理由付けは後で考えればよい」という態度がみえみえだった。

 今思えば、ここでも、「国民には本当のことを言わなくていい」「適当なことを言っておけばいい」「最初の主張を繰り返せばいい」という本音が透けて見えていた。

 後に、ブレア首相は何度も何度も、「何故イラク戦争を開戦したのか」「国際法違反ではなかったのか」と聞かれるようになった。そのたびに、ブレアは合法であるという理由を繰り返し、最後の最後には「自分には、それが正しいことだと思った」と述べた。「政治的判断だった」と。「自分には」それが正しいと思った、というのは、いかにも、説明責任に欠く答えだ。でも、そういわれてしまったら、こちらは何もいえなくなってしまう。

 2011年現在でも、ブレアは「自分は正しいことをしたと思っている」という姿勢を崩していない。国民の間には、「嘘をつかれて開戦した」という思いは消えていない。

―知っていることが判明したときに、驚く国民

 メディア大手の経営・編集幹部、政治家、警察上層部などのパワー・エリートたちが、互いに利便が良いように行動し、交友も頻繁にあることを、国民の多くは以前から知っていた。

 今回の盗聴事件で、これが改めて明るみにでたことで、驚き、衝撃を受けたわけだが、タイムズのコラムニスト、マシュー・パリスは、「英国民は、もう既に知っていることが本当であると判明したとき、衝撃を受けて驚く国民だ」とする見方をコラム(7月16日付)で紹介している。そして、コラムの中で、国民が驚くべき事項を20個あげている。最後が、8月の天候である。「この8月は記録的に天気がよいーまたは、記録的に雨が多いーだろう」。

 パワー・エリートたちの傲慢さに怒り、頭に血が上ったときに、パリスのコラムを読んで、思わず、笑ってしまった。それもそうだよな、と。まあ、少しは冷静になろう。ユーロだって、ソマリアだって、大変なのだから。

 それでも、やっぱり、不快である。

 168年続いた、ニューズ・オブ・ザ・ワールド紙。よっぽど何か必要に迫られたとき以外は読まない新聞だったから、個人的には好きな新聞とは言いがたかったけれど、毎週、日曜紙市場ではトップだった、つまりたくさんの読者に愛されてきた新聞だった。同紙の経営・編集幹部は、数年前に起きた盗聴事件をしっかりと解決できず、今月になって、あっという間に廃刊を決めた。果たしてこれでいいんだろうか。

 自分たちの失策の結果、多くの人たちに愛読されている新聞を、突如、斬る。168年の歴史とか、読者の気持ちとか、そんなことは考えられないんだろうな。過去 の歴史に必ずしもとらわれることはもちろんないけど、一つのブランドになった新聞は、生き物と同じだ。発行元ニューズ・インターナショナル社のほかの新聞、例えばあのタイムズでさえ、場合によっては「あっという間に廃刊」とすることもあるのかな、と思うと、ひやりとする。読者がいなくなって廃刊なら分かるけどー。歴史とか、血と汗と涙とか、時間をかけて育て上げてきた、愛されている生き物への考慮がないように見えるのが、怖いな、と。この新聞の廃刊こそが、ある意味、傲慢さの象徴だったのかもしれない。「毎週毎週、お金を出して買ってくれた読者のことなんか、知っちゃいないよ」という声が聞こえてくる感じがする。(つづく)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
by polimediauk | 2011-07-22 07:53 | 政治とメディア