小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

マードック帝国のほころび(上) -「新聞通信調査会報」より

 英大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」(7月廃刊)を中心とした、電話盗聴疑惑は、いまどうなったのか?また、同紙を発行するニューズ・インターナショナル社を傘下に置く米ニューズ・コーポレーションの経営への影響や、その会長兼CEOルパート・マードックの去就はどうなるのか?

 そんなことを、日本にいる複数のメディア関係者の人から聞かれた。
 
 「この問題はまだ終わってない」、「英メディア界で大きな位置を占める、マードックの将来を決めるのは、米ニューズ社の株主たちだろう」と答えてきた。
 
 株主たちの意向が明確になったのが、今月21日。この日開催されたニューズ社の株主総会で、マードックと2人の息子を含む取締役全員が議案どおり選任されたが、息子たちの取締役再選では、無視できない数の株主からの異議が唱えられたのだ。

 ウオールストリートジャーナル記事
 http://jp.wsj.com/Business-Companies/node_330873
 
 決して、順風満帆ではないことが分かる。

 この事件に関してはこれまでにも何度か書いてきたが、事件の概要と、ニューズ社の将来に目をやった原稿を「新聞通信調査会報」の9月号(上)と10月(下)に書いている。(上)は主に事件のあらましで、(下)はマードック帝国への影響である。事件発生から少々時間が経ったので、振り返る意味で、ここに載せてみようと思う。

***

組織ぐるみか、大規模盗聴
 英日曜紙廃刊とマードック帝国のほころび(上)

 
 数年前に発覚した、英日曜紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」(NOW)での電話盗聴事件が、英国でメディア界のみならず政界を揺るがせる事件に発展している。

 今年7月、殺害された少女の携帯電話を盗聴していたとする報道が出て、国民の大きな怒りを買った。発行元ニューズ・インターナショナル(NI)社を傘下に持つメディア大手ニューズ・コーポレーション(ニューズ社)は、168年の歴史を持つ同紙を廃刊とする決断を行った。新聞は廃刊になったが、盗聴行為が組織ぐるみであったのかなど、全容は解明されていない。
 
 ニューズ社の最高経営責任者(CEO)兼会長のルパート・マードックは、英メディア界のみならず、政界にも大きな影響力を持ってきたが、一連の盗聴疑惑で、「マードック帝国」のほころびが見えてきた。政界中枢部やロンドン警視庁との「癒着」も次第に明るみに出て、英国の支配層(エスタブリッシュメント)のマードックとの「親しすぎる関係」にメスが入る状態が続いている。 
 
 本稿では、電話盗聴事件の発端、経緯、その意味するところを2回に分けてつづってみたい。

―発端

 話は2005年秋にさかのぼる。王位継承権順位第2位のウィリアム王子のひざの怪我に関する記事が、日曜大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」に掲載された。記事には王子当人、あるいは王室関係者などごく限られた人物のみが知る内容が含まれていたため、不審に思った王室関係者がロンドン警視庁に捜査を依頼した。
 
 06年夏、同紙の王室報道担当記者クライブ・グッドマンと私立探偵グレン・マルケーが逮捕された。このとき、警視庁はマルケーの自宅から約1万1000点に上る書類などを押収した。大量の書類の中で、警察が調査したのはほんの一部、王室報道に関わると思われる情報のみであった。しかし、押収書類の中には約4000人ほどの人物の個人情報のリストがあり、ウィリアム王子や王室関係者以外に、電話を盗聴されていた可能性のある人物の名前がここに入っていた。
 
 後に、このリストの中にあった人物で、プロサッカー選手協会会長(当時、現在はCEO)ゴードン・テイラーが盗聴行為でNOW紙を訴えるのだが、テイラーの弁護士となったマーク・ルイスは警視庁から盗聴の証拠となる情報をもらったときに、担当者が「数千人規模の情報があるが、これだけあれば、十分だろう」と言われたと複数のテレビ番組で語っている。
 
 06年11月、グッドマンとマルケーは携帯電話への不正アクセスで有罪となり、翌年1月禁固刑(グッドマンは4ヶ月、マルケーは6ヶ月)が下った。このとき、「盗聴行為が行われていたことをまったく知らなかった」とアンディー・クールソン編集長は述べながらも、自分が編集長であったことの責任を取って、辞任した。
 
 このときから、今年の春頃まで、NI社経営陣や編集幹部らは、違法行為に手を染めていたのは「グッドマン記者一人のみ」と主張し続けた。
 
 NI社の法律事務所ハーボトル&ルイス社はNI社の依頼で編集幹部らの電子メールを調査した結果、編集幹部がグッドマンの盗聴行為を知っていた形跡はなかった、とNI社に報告した。ここまでが、電話盗聴事件の第1幕であった。

―「数千人規模」の盗聴疑惑

 左派高級紙「ガーディアン」の特約記者ニック・デービスが、NOW紙による盗聴の犠牲者は「数千人に上る」、不正行為は「組織ぐるみであった」とする報道を開始したのは2009年夏。第2幕が始まった。
 
 前年にはプロサッカー選手協会のテイラーが不正アクセスに対する賠償を求めてNI社を提訴していた。これは一般にはあまり知られてはいなかったものの、「グッドマン記者のみが盗聴行為に関与していた」とするNI社の説明が揺らぎだしていた。グッドマンは王室報道担当だったが、テイラーは王室とは無関係だった。デービスはまた、盗聴の犠牲者である複数の人物にNI社が巨額の賠償金を払っていたと報道し、お金で沈黙を買ったことを示唆した。
 
 下院の文化・メディア・スポーツ委員会がデービス、クールソン元編集長、NI社の法律顧問などを召喚し、盗聴行為に関して質疑を行うまでに発展した。
 
 このときまでに、盗聴事件は政治問題にもなっていた。というのも、2007年1月、クールソンがNOW紙を引責辞任したが、その数ヵ月後には野党保守党党首(当時。現首相)デービッド・キャメロンがクールソンを広報責任者として起用した。2010年5月、保守党と自由民主党による連立政権が発足すると、キャメロンはクールソンを官邸の報道局長にしていた。
 
 クールソンは大衆紙「サン」やNOWで経験を積んだ、根っからの大衆紙ジャーナリスト。2007年、NOW紙を引責辞任したときから、「編集長が部内の違法行為にまったく関知していなかったはずがない」という声がメディア界や政界に強く存在していたが、キャメロンはこうした声を無視し、政界の中枢部にクールソンを入れた。
 
 2009年、盗聴問題が再燃したので、クールソンの起用を決めたキャメロン首相の判断に大きな疑問符がついた。しかし、批判の声に対し、キャメロンはクールソンが編集長職を辞任したことで責任を既に取っていること、(人生の)「第2の機会を与えたい」として、クールソン支持の姿勢を崩さなかった。
 
 下院委員会に召喚されたクールソン、NI社の法律顧問、NOW紙の当時の編集幹部らは、「グッドマン1人の不正行為」とする立場を繰り返した。
 
 「ガーディアン」は粘り強く盗聴の被害者が多数いるとする報道を続けたが、孤軍奮闘の感があった。新聞業界の自主規制監督団体・英苦情報道委員会(PCC)は2009年までに2つの報告書を出し、「ガーディアン」の報道には「十分な実体がない」と結論付けた。ロンドン警視庁のポール・スティーブンソン警視総監(当時)は、警視監の一人ジョン・イエーツに対し、盗聴事件を再捜査する必要はないかを調査させた。イエーツは数時間で結論を出し、報道陣の前で「新しい証拠がないので、再捜査はしない」と言い切った。
 
 翌年2010年2月、文化・メディア・スポーツ委員会の報告書は、「知らない」「関知していない」を繰り返したNI社幹部らが「集団健忘症にかかっている」とし、「グッドマン一人が盗聴行為を行った」とは「考えられない」と結論付けた。
 
―「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」とは

 事態が急展開する「第3幕」に入る前に、英国の新聞市場とNOW紙について少々説明したい。
 
 日本同様、発行部数の下落がなかなか止まらない英国の新聞界だが、市場で支配的な位置にあるのは、大衆紙(タブロイド紙)である。英国の新聞は大雑把に言って、高級紙と大衆紙に分かれる。両者ともに原則朝刊紙だ。高級紙は、内容的には日本の朝刊全国紙に似ており、英国では中流(あるいはそれより上の)階級が読む。大衆紙は主に労働者階級を対象とし、感情がかきたてられるような記事(例えば欧州連合の官僚制度や移民人口に対する怒り、驚くような人生を体験した市民への共感、同情を引き起こすような記事)、有名人に関わるゴシップ記事、スポーツ記事が中心となる。1つ1つの記事が高級紙の記事よりは短く、より平易な文章で書かれている。
 
 高級紙と大衆紙の発行部数を比較すると、後者が圧倒的に多い。例えば、日刊大衆紙市場のトップ「サン」の部数は約280万部、日曜大衆紙市場のトップは、廃刊前の時点ではNOW紙で約260万部だった。一方の高級紙では、日刊紙の「デイリー・テレグラフ」が約60万部、「タイムズ」が約45万部、「ガーディアン」が約28万部。日曜高級紙では「サンデー・タイムズ」が100万部を超えるが、「サンデー・テレグラフ」は約47万部、「オブザーバー」が約29部である。英国は大衆紙の国と言ってよいだろう。
 
 NOW紙は1843年創刊。1950年代には約850万部まで部数を伸ばしたことがある。その後は熾烈な競争や新聞離れ傾向を反映して、次第に部数を落としていったが、政治家や有名人の個人生活を暴くスクープの数々でその名をはせた。
 
 例えば、1986年、元保守党議員で作家のジェフリー・アー チャーの不倫を暴露し、1995年には映画俳優ヒュー・グラントと一夜を伴にした娼婦の告白話を掲載している。児童性愛主義者退治を目的 とした「ネームド・アンド・シェイムド」 (名前を出すことで、恥をかかせた見出しをつけた、2000年)もよく知られている。8歳の少女が児童性愛主義者に殺害されたことをきっかけに、大量の性犯罪者の名前を紙面上で公開した。
 
 昨年はメイザー・マームード記者がクリケット競技のやらせ疑惑を報道し、新聞業界が選ぶ2011年最優秀記者賞を受賞している。
 
 NOW紙はマードックが英国で最初に買収した新聞でもある。1969年、まずNOW紙を、そしてサン紙を買収したマードックは、英国で新聞王国を築く基礎を作った。
 
 セックス、スポーツ、スキャンダル、スクープを主眼とする2つの新聞の発行者となったマー ドックに「ダーティー・ディガー(いやらしいオーストラリア人)」という不名誉なニック・ネームがついた。1981年、マードックは高級紙「タイムズ」と「サンデー・タイムズ」を買収した。
 
 1970年代から80年代前半まで、労使関係の悪化で新聞の発行が恒常的に遅れる状況が生じた。マードックは、1980年代半ば、ロンドン東部のワッピングに編集室と印刷工場を一晩で移動させ、非労組員を主に使って、新聞の制作を行った(「ワッピング革命」と呼ばれている)。1980年代後半には英国で衛星放送市場に参入し、1990年、英星放送BスカイBの大株主となった。現在、マードックのニューズ社はBスカイBの約39%の株を持つ。
 
 「サン」、NOW,「タイムズ」、「サンデー・タイムズ」は「マードック・プレス」とも呼ばれ、その総発行部数は英国の新聞市場の40%を占めるようになった。世論を支配する力を持つーそんな神話ができあがった。時の政権は、マードックと好関係を保つことに心を砕くようになった。
 
―「盗聴」とは?

 NOW紙での電話盗聴事件での「盗聴」とは、主として、情報を得たい相手の携帯電話の伝言メッセージを無断で聞くことを指す。
 
 元NOWの特集面編集者だったポール・マクマレンが複数のインタビューの中で語ったところによると、携帯電話を購入すると、留守電を聞くためのデフォルトの番号(あくまで仮定だが0000、1234など)が設定されている。このデフォルトの数値を変更する人は多くないという。そこで、記者がこの番号を押すことで、伝言メッセージを聞く、というわけである。
 
 本人が電話に出てしまうことを想定し、記者が2人組みで電話をする場合もあった。1人が最初に電話し、もし本人が出たら、「通信業者からの電話であるふりをする」(マクマレン)。安売りサービスがあるなどとでまかせを言いながら話す間に、もう1人の記者がその番号に電話すると、通話中になるので、伝言メッセージが聞けたという。
 
 また、「ブラギング」という手法も常套手段であった。「ブラグ」とは「巧みな話術で人をだます」などの意味がある。例えば、本人であるふりをして、社会保険やそのほかの個人の身元情報を当局などから取得するやり方である。
 
「おとり取材」も1つの手法である。これは大衆紙に限らず、高級紙やBBCなど公共放送でも使われる。例えば警官の1人として警察に勤務し、人種差別の実態を暴露したり、養護施設に勤務しながら、不十分なケアが行われていたことを明るみに出したりなど、通常の取材方法では真実を探りだせない場合に実行される。公益のためのおとり取材は、1つのジャーナリズムの手法として確立している。

ーミリーちゃん事件の衝撃

 2010年9月、米「ニューヨーク・タイムズ」がNOW紙での盗聴事件を詳しく報じた。一人の記者の単独行為ではなく、盗聴は常態化していたとする、元NOW記者ショーン・ホーアのコメントが入っていた。
 
 同月、「ガーディアン」が、PR会社代表マックス・クリフォードが盗聴行為の賠償金として約100万ポンドの支払いをニューズ会社から受けていた、と報道。中旬には、元副首相ジョン・プレスコットを含む数人が、ロンドン警視庁による盗聴事件の初期捜査が十分であったかどうかを吟味する司法審理を求める、法的手続きを開始した。

 NOW紙やNI社側は「たった1人の記者の不正行為」と主張し続けていたが、ロンドン警視庁が2006年、初期捜査時に探偵マルケー宅から押収した書類の中に、自分の個人情報も入っていたのではないか、自分も盗聴犠牲者の1人ではないかと、政治家、有名人、一部市民らが懸念し、警視庁に問い合わせをしたり、NI社を提訴する動きが出てきた。もはやNI社側の「組織ぐるみではない」という説明は不十分になっていた。
 
 今年1月、NOW紙のニュース・デスクの一人イアン・エドモンドソンが、NI社の内部調査の結果、停職措置となった。まもなくして、官邸報道局長クールソンが「疑惑報道が続く中、通常の業務に支障が出ている」ことを理由に、辞職した。
 
 電話盗聴事件が国民的に大きな話題に発展してゆくのは7月上旬である。現在まで続く、第3幕の始まりとなる。
 
 きっかけは、2002年に失踪・殺害されたミリー・ダウラーちゃん(失踪当時13歳)事件だ。今年6月末、ある男性に殺人罪で有罪の判決が判決が下った。
 
 7月4日、「ガーディアン」は、NOW紙の記者らがミリーちゃんの携帯電話の伝言メッセージを盗み聞きしていたと報道した。伝言の容量が一杯になり、新しい伝言が入らなくなるのを危惧した記者らは、録音されていたメッセージを随時、消していた。ミリーちゃんの家族や警察は、メッセージが消されていたので、ミリーちゃんが生きているものと思い、望みをかけていた。これが捜査の行方に影響していたとすれば、刑事犯罪にもなり得る。
 
 殺害された少女の携帯電話にまで盗聴行為を行っていたと知った国民は衝撃を受けた。捜査を妨害していた可能性が出て、政治家も警察も改めて盗聴事件に向き合わざるを得なくなった。

 「ガーディアン」は、その後も、潜在的な犠牲者となった市民の例を続々と報道しだした。特に大きな注目を集めたのは、NOW紙や同紙に雇われた私立探偵が英南部ソーハムで殺害された、小学生の女子2人の家族の携帯電話や、アフガンやイラクに派遣された英兵の携帯電話や電子メールに不正アクセスしていた疑念であった。米国の9・11同時テロ(2001年)や英国の7・7ロンドン・テロ(2005年)の犠牲者の携帯電話にもNOW紙が盗聴行為を行っていた可能性が出てきた。
 
 大きな衝撃と怒りが国内で広がり、NOW紙への広告を取りやめる企業が相次いだ。ニューズ社の株価も下がり、汚名がついたNOW紙を同社は廃刊することを決断した。ミリーちゃんの携帯電話盗聴報道が7月4日。その3日後、NI社のCEOレベッカ・ブルックスは、NOW紙編集部を訪れ、10日付で同紙が廃刊となるというニュースを直接伝えた。この発表があった7日以降、NOW紙スタッフが最終号に向けて作業を行ったのは8日、9日の2日のみ。電光石火の急展開であった。(つづく)
by polimediauk | 2011-10-25 22:29 | 新聞業界