小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


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ウィキリークス、いまだ死なず ―2011年末時点での概観

 今年も、あと数日で終わることになった。メディ界では今年を振り返り、来年を予測する企画が目白押しだ。「週刊東洋経済」(12月19日発売号)にウィキリークスについて書いたが、題名は「ウィキリークス『消滅』?」である。しかし、原稿を準備していたときはやや悲観ムードだったのだが、年末になってみると、「いやいや、まだまだ」という要素が見えてきた。

 これまでの経緯なども入れて、「2011年末時点で、ウィキリークスや創始者ジュリアン・アサンジをどう評価するか?」という観点から、まとめてみたのが以下である。

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 ウィキリークス、いまだ死なず

 オーストラリア出身のジャーナリストでインターネット活動家ジュリアン・アサンジが立ち上げた内部告発用のウェブサイト「ウィキリークス」は、2006年、世界の権力者や大企業が隠したがる情報を公益のために外に出す仕組みとしてスタートを切った。

 ケニアの元大統領一家による汚職情報の暴露(07年)、高速増殖炉「もんじゅ」の火災事故に関わる非公開動画の公開(08年)、アイスランド・カウプシング銀行の内部資料公開(09年)などを通じて、着々とその認知度を広めてきたが、大きな注目を浴びるようになったのは、昨年夏から秋にかけて行った、米英独の大手報道機関との共同作業による、大量の米軍の機密情報(昨年7月、10月)や米外交公電(同年11月)の公開であった。

 政府や企業などの内部事情を知る人物が公益目的で行う内部告発には長い歴史があるが、その人物の素性が明るみに出た場合、雇用先からの解雇あるいは何らかの社会的制裁を受けがちだ。

 ウィキリークスではウェブサイトを通じて情報を受け取るが、暗号ソフトを通して情報が渡るため、ウィキリークス側にも告発者の素性が分からないようになっている。告発者を守りながら、外に出るべき情報を出せる。これこそネット時代の内部告発のあり方であると新鮮さを持って受け止められ、世界の最強国米国の機密情報を暴露して泡を吹かせたという意味からも、創設者アサンジは一躍時代の寵児としてもてはやされた。ウィキリークスの活動資金となる募金は世界中からやってきた。

 果たしてウィキリークスは新しい形のジャーナリズム媒体と言えるのか、また、「公益」のために国家機密を暴露することは正当化されるのかどうかなど、公益・国益に関する熱っぽい論争も発生した。

―「自滅」?

 しかし、カリスマ性を漂わせたアサンジ個人がウィキリークスの活動に影を落しだす。

 昨年8月、アサンジは滞在中の英国からスウェーデンに出張し、女性2人と性的関係を持った。アサンジが英国に戻った後に、女性たちはアサンジが性的暴行を働いたと主張し(アサンジ側は否定)、スウェーデン検察局は「欧州逮捕状」(施行03年から)を用いて、アサンジが同国に戻るよう要求した。

 4ヵ月後(2010年12月)、アサンジはロンドンの警察に出頭し、その場で逮捕され、数日間を刑務所で過ごした。著名人らが巨額保釈金を積み、刑務所から出たアサンジだが、足元には電子タッグをつけられ、毎日、地元の警察署に出頭する不自由な生活を送っている。

 アサンジはスウェーデンへの移送を拒んでいる。もし身柄がスウェーデンから米国に移送されれば、機密情報を暴露したサイトを運営する自分がスパイ罪(もし有罪となれば死刑もあり得る)に問われることを恐れる。

 移送問題は裁判にまで発展した。既に、英裁判所は第1審、2審でスウェーデンへの移送を支持する判決を出したが、今月5日、英高等法院がアサンジの最高裁への上訴を容認する判断を出した。そして、22日、最高裁が来年2月から審理を行うとする報道が出た。移送問題の解決は長丁場になりそうだ。

 話をウィキリークス自体に戻すと、今年9月上旬、ウィキリークスの信憑性に疑問符がつく事件が起きた。

 昨年11月末、ウィキリークスは米国の外交公電を複数の大手報道機関との共同作業を通じて編集し、公開した。公電内容を精査し、暴露しては人命に危険が生じるなどの箇所を出さないようにした後、一部を公開していたのである。

 ところが、無修正の公電情報がネット上に出回っていることが判明し、アサンジは自暴自棄ともいえそうな行動に出る。もう既に出てしまった情報だから隠してもしょうがないと思ったのか、ウィキリークスのサイト上に無修正の公電情報全てを掲載したのである。この無修正公開は、人権保護団体、大手メディ機関から「無責任だ」と大きな批判を浴びた。

 アサンジは協力した報道機関の1つ英ガーディアン紙の記者が書いたウィキリークスに関する書籍の中に、公電ファイルを読むための暗号が記載されていたから、ネット上に無修正のファイルが流れたのだと主張し、ガーディアン記者らに対し激怒したが、ウィキリークスの内部あるいは以前に内部にいた人物が外に出した、という説もある。

 同じく今年9月のこと。アサンジの個人的な事情がまたウィキリークスの足を引っ張る。

 スウェーデンへの移送に関わる裁判費用を工面しようと、アサンジは自伝の出版を準備してきた。ドラフト原稿が出きあがった後、これを著作権保持者である自分が最後の承認を与える前に、出版社が9月末、出版してしまったのである。出版社側は、既にアサンジに前金を支払っている、本人から連絡が来ないなどの理由から、しびれを切らした末に行動を起こしたという。出版社もアサンジもウェブ上でそれぞれの主張を公表した。どちらの主張が正しいのかは第3者には判別しがたいが、アサンジといえば「自己管理を上手にできない人物」というイメージが増幅されてしまった。

 10月末、資金難のためにウィキリークスは一時的に活動を停止せざるを得なくなった(11月末、復活)。ビザ、マスターカード、ペイパル、ウェスタン・ユニオンなど、送金に関わる米企業が、米政府の機密情報を暴露したウィキリークスへのサービスを停止してしまったからだ。資金難による活動停止というリスクを抱きながらの活動が続く。

 目が離せないのが、ウィキリークスに対し、機密扱いの米外交公電を漏えいし、機密情報不正入手などの罪などで訴追されているブラッドリー・マニング米陸軍上等兵の処遇だ。

 マニング兵は、昨年5月イラクで拘束された後、長い間、独房に監禁されてきた。複数の容疑をかけられているが、その1つが敵のほう助罪。これも有罪になれば、最悪で死刑もあり得るという。

 今年12月16日、軍法会議を開くかどうかの予備審問が米メリーランド州のフォートミード陸軍基地の法廷で始まり、22日には弁護側の最終弁論が終了した。軍法会議にかけるかどうかの決定は、来月以降になる予定だ。

 米外交公電の暴露からほぼ一年を経た現在、ウィキリークスについて、当時のようなばら色のイメージはない。一時は「消滅」の危機も噂されたが、もし「消滅」するとすれば、その原因には①アサンジの自己管理能力(自己の振る舞いについての配慮不足及び管理する組織内部の情報保持に落ち度)や②敵の巨大さ(米国)が挙げられるだろう。

―ジャーナリズムの賞を得る

 しかし、内部告発サイトのパイオニアとしてのウィキリークスの存在意義は今でも不変だ。個人や数人の仲間でも技術と覚悟さえあれば、世界に挑む戦いができることを証明した。世界各国の政府、特に米国を敵に回しての情報暴露は、並外れたずぶとさと覚悟、「事実を外に出す」という意味でのジャーナリズム精神がなければ、実現できなかった。ジュリアン・アサンジという人物がいなければ、ウィキリークスも存在しなかっただろう。

 2011年を通じてごたごたに見舞われたウィキリークスだが、12月2日には、私たちの日々の生活を監視する企業の情報を「スパイ・ファイルズ」と名付けて公開し、「いまだ死なず」というスピリットを見せた。

 ウィキリークスの存在理由の根幹が、不当な権力の行使に挑戦し、権力者側が隠そうとする情報や事実を広く市民に公開すること、つまりはジャーナリズムであったとすれば、ウィキリークス的なものはこれからも続く。ネットを使うか否かに関わらず、世界中のジャーナリストや世の中を良くしたい人、もっと情報が出るべきと思う人によってウィキリークスの次が続々と生まれている。

 11月27日、ウィキリークスは、オーストラリアのピューリッツアー賞と言われるウォークリー賞の「ジャーナリズムへの最優秀貢献賞」を受賞した。アサンジにとって、今年、最もうれしい出来事の1つだったかもしれない。(「週刊東洋経済」12月19日発売号の筆者記事に補足。)
by polimediauk | 2011-12-27 02:17 | ウィキリークス