新聞を読む理由 個人的見解
何故?が知りたい
(日本の)新聞が、読者が最も知りたい、「ある事件が何故起きたか?」という部分を十分に書いていないので、「中途半端」で、不満感が残る・・というようなこと(私が言い換えた文章だが)を、コメントに残された方がいた。
正直、どきっとした。
本当に日本の新聞がそうなのかどうか、海外の新聞と比べてもそうなのかどうか?は、私自身、じっくり分析してみないと分からない。日本にいるときに日本の新聞を読み、製作過程の一部で働いていたときには、「何故?という部分を十分に書いていない」とは、あまり感じなかった。何となく、新聞に書いてあること、スタイルなどを、ありのまま、そのままに受け取っていたという部分があった。
必要な情報が入っていないことを、時々感じたが、「日本の新聞は、既に起きたことをいちいち書かない。これまで報道されたことは、『読者が分かっているもの』として、はぶいて書いてある」と職場の先輩に説明され、その、「既に報道されたこと」を分かっていない自分の知識のなさを恥じるばかりだった。
そこで、私がコメントを残された方の発言にどきっとしたのは、読者の本音を言い当てていると思ったからだ。
つまり、「読者」として、あるいは仕事の一環として、自分が新聞に接するとき、「ある事件が何故起きたのか?」のみを知りたくて、実は頁をめくっていることに気づいたからだ。
私自身は、(これがいいことか悪いことかは別として)いくつか追っているテーマ、自分が関心があるテーマの記事を中心に新聞を読んでおり、もはや、あらゆる事象に関する日々の動きを知るためには新聞を読んではいない。刻々と入ってくるニュースはネットで、それに対する識者のコメントは、ラジオをつけていると、黙っていても入ってくる。
ある現象に関して、一つでも新しい見方、新しい「何故?」が説明されている新聞記事は心に残るし、こうした記事に出会うと、新聞を読んでいて良かった、と思う。いわば、雑誌と同じ読み方をしているのかもしれない。
こういう読み方は増えているのだろうか?
日本の新聞では、解説面が一番好きだったが、ある新聞の解説面担当者が、「特集面があると必ずつぶれるし、段々紙面が減ってゆく」とぼやいていたのを思い出す。(これが全体的傾向とは思わないが。)
イギリスに来てからは、中東事象を独自の視点で書く、インディペンデント紙のロバート・フィスク記者、外交問題のからくりがいっぺんで分かる、タイムズ紙のブロウエン・マドックス記者などの記事を楽しみに読んでいる。フィナンシャル・タイムズで、1面一杯を使って、その時々のトピックを解説する頁もよく切り取っている。月曜から金曜の週5日、毎日1面全面を使って解説記事を出すには、相当の人手と頭脳がかけられているように思う。
日本ではどうだろうか。
解説記事を書く方で、個人的に楽しんで読む記者の方たちがいるが、それぞれの記事が、どうも短いような気がする。例えば通常の解説面で一人が書くような文章の量を、3倍くらいにしてもいいように思うが。その時々のトピックを、1面全部を使って解説する、ということをやっている新聞社も多いようだが、どうも、紙面サイズは同じだが、情報量が少ないように感じてしまうことがある。個人的観測だが。
いずれにせよ、どんな新聞記事も、読者のほうは、必ず「何故そうなったのか?」が知りたくて読んでいるというのは、真実を突いているように思った。