車椅子サッカーを楽しむグリニッチの仲間たち
サッカーは子供の頃、雪のグラウンドで、そして体育館の中で遊んだ以来、随分とやっていないが、スポーツが不得手の私でもそれなりに楽しんだ思い出がある。
時はパラリンピックである。グリニッチは、オリンピックとパラリンピック競技の開催場所を提供する特別区の1つだ。主催者によれば、「車椅子サッカーはもう少しで2016年からパラリンピックに入るはずだったのに、惜しいところで逃した」競技だという。
ウィキペディアによると、車椅子サッカーは、2007年に初のワールドカップが東京で開催された。昨年秋にはフランスで、日本を含む世界10カ国が集まり「第2回FIIPFAワールドカップ2011」が行われた。
先日、ロンドン南東部グリニッチに足を伸ばし、車椅子サッカーの根城のひとつ、ウールリッチにある「ウオーターフロント・レジャー・センター」に出かけてみた。
広いレジャー・センターの体育館の1つでは、既に数人が車椅子サッカーを始めていた。オリンピックとパラリンピック専用の赤茶色のユニフォームに身を包むレフリーは自閉症の女性だ。障害者用競技のレフリーとしての資格を持つ。回りでボールを追う選手のそれぞれも、視覚や足腰に障害を持つ。小学生から大人までと年齢は幅広く、男女の混成チームだ。
選手の家族が外で見守る中、ひときわ元気のよい掛け声をかけていた小柄な女性は、シャロン・ブロークンシャーさん。元小学校の障害者クラスの先生だ。学校が閉鎖されたことをきっかけに早期退職し、学習障害など障害を持つ子供たちを対象とするサッカーの選手権「サウス・ロンドン・スペシャル・リーグ」の創設に奔走した。「障害があるからといって、スポーツができないなんて、ナンセンス」と思ったからだ。
しかし、実は大人だってスポーツを楽しみたい、そして身体に障害があってもトライしてみたいーそんなフィードバックを得たシャロンさん。今度は米国で盛んな「パワー・サッカー」を広めようと活動を開始したのが数年前である。実際に障害者がグリニッチで車椅子サッカーを試すことができるようになったのは、3年前だ。
現在では全国レベルの車椅子サッカー選手権に選手を出すまでとなった。
―意外と、動きは早い
このサッカーで利用する車椅子は電気で動くようになっており、速度を選択できる。右手にある黄色い球の形のレバーを左右、上下にたくみに動かすことによって、さまざまなやり方でボールを「蹴る」ことができる。私も乗ってみた。最も遅い速度にしてもらったが、結構速く、思い切ってレバーを引いて壁に当たらないかとひやひやした。同時に、力いっぱい突進してボールを飛ばしたい思いにもかられた。競争心がぐっと出てくるのである。
「これは『障害者のためのスポーツ』じゃないんです。一義的にはスポーツなんです。やっているのが障害者であるだけです」とシャロンさん。
しばらく練習風景を見た後で、別室で参加者やシャロンさんに話を聞いた。
シーア・フレンチ=ギベンズ君(13歳)とお母さんのビビエンヌさん。歩行が困難なシーア君によると、車椅子サッカーを始める前にできた運動といえば、リハビリ用に軽く体を動かすことだけ。「競争のために体を動かすことは一切なかった」という。サッカーは「思い切りできるし、汗をかく。やった後もすっきりする。こんなに楽しいことはないよ」。一緒にやる仲間ができたこともうれしいという。
母親のビビエンヌさんは、2-3年前、息子が車椅子サッカーをやりたいと聞いて、「喜んで参加させた」という。「息子は随分と変わった。終わって帰ってくると、今日はどんな試合だったのか、誰が何をしたのかとか、たくさん話したがります。自分に自信もついたようです」。
エマ・ロジャーズさんも車椅子サッカーをとても楽しんでいるという。「週に2回の練習は、かかさず参加するの」。
グリニッチ特別区は障害者のスポーツ参加を推進するため、アーチェリー、スイミング、フィットネスクラブ、乗馬、バスケットボールなど複数のスポーツを楽しめるサービスを提供している。ロンドン全体を統括するグレーター・ロンドン・オーソリティー(東京都庁にあたる)やサッカー関係団体、慈善団体、そして特別区の予算が使われている。車椅子サッカー用の電気車椅子「パワー・チェア」を購入するための約4万ポンド(約500万円)もこうした複数の団体・組織がカバーしている。
「とても悔しいのは、2016年のリオデジャネイロのパラリンピックの種目に車椅子サッカーが入らなかったこと。あともう少しだったけれど、カヌーが選ばれてしまったのよ」とシャロンさん。シャロンさんは先のサッカー選手権の設立と地元コミュニティーへの貢献を評価され、大英勲章第5位(MBE)を授与されている。
車椅子サッカーをはじめとする、障害者用スポーツを支援する資金が大幅削減される可能性はないのだろうか?政府は現在、公的部門の予算の二ケタ台の削減を実行中である。
グリニッチ特別区の議員によると、「もしそうなったら、何とか資金をかき集めたい」―。
パラリンピックでの日本人選手の活躍を追っているというカーロ・サルバトーレさんは、歩行と視神経に障害がある。車椅子サッカーに参加するとともに、障害者を対象にしたドラマや音楽のワークショップでコーチ役としての経験も積んだ人物だ。
カーロさん自身に車椅子サッカーへの評価と今後を聞いて見た。
「リハビリ用の運動がいいとされてきたけど、これは上から押し付けられる形をとっています。与えられた動きを追うだけです。でも、若い人が特にこのサッカーを好むのは、自分で動きが決められるからです。自分で考えて、動ける。これがなんと言っても大きいのです」
「いろいろな能力を使います。例えばチームの中で、どう動くか、とか。これが大きな魅力です」。
―パラリンピックは障害者にとって、どんな影響があったと思うか?
「非常にポジティブです。ステレオタイプを崩してくれますし」
「私は、将来的にはオリンピックとパラリンピックが一緒に開催されるようになるのではないか、と思っています」
「パラリンピックの能力ごとの区分けにも大分力が入っていますし、ここまで来たのですから、統合するのでは、と。広い意味でのオリンピック精神が、そのほうが十分に伝わると思います」
「そして、ここではできる車椅子のサッカーは、英国中のどこでも気軽にできるようになるべきです。パリでは、少し前に車椅子のサッカーのワールドカップがあったんですよ。スポーツが知られるようになると、こんな風に発展します」
「そのためにも、車椅子サッカーの存在そのものがもっと知られるようになればと思います。ここに来てサッカーをする人は素晴らしいと思う。みんなでこのスポーツを支えようとしています」
「私は子供の障害者のための活動をやっていますが、さまざまな能力の人を社会の中に取り込んでいこうとするインクルーシブな運動には、大賛成ですね」
「つまるところ、人に力を与えることだと思うんです」。カーロさんによれば、原動力になるのは、グラスルーツの動きだという。
グリニッチがうらやましいなあと思いながら、レジャーセンターを出て、最寄り駅「ウールリッチ・アーセナル」まで商店街を通りながら、戻った。