小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

日本のメディア関係者との会話で見えてきたもの -本気の議論をするには?

 先日、日本でメディアを研究する若手の人と、会話をする機会があった。

 この方はベースは日本だが、他国のトレンドも研究対象としており、今回は米国や欧州への出張中であるという。

 メディア利用者の生の声を取材しながら、メディアの役割、日本のメディアの現状、そして日本の将来などについて深く考察している方で、自分にとっても大いに知的刺激になった。

 メディアの現状や未来について、普段から考えてきたことと一致する部分があったので、メモ代わりに記してみたい。

 まず、

①同じトピックばかりが上に来る状況をどうするか?

 今、さまざまなニュース媒体、情報ポータルがネット上に存在している。

 この中で、例えば著名検索サイトのニュース・ポータルに注目すると、ヒット数によってランキングが決まってくる。昨年1年間で何が上位に来たかを見ると、研究者によると、ある芸能人の話題だったそうだ。

 芸能トピック自体が悪いというのではないのだが、大手ニュースポータルのランキングに注目すれば、「不特定多数の人=みんな=が興味のあること」が上に来る。これは構成上そうなっているので、これ自体が悪いわけではもちろんない。

 問題は、「ヒット数のランキング」=「最も重要」という視点でずっとサイトを作っている、あるいは読み手となっていると、「重要なことが抜け落ちるのではないか」という点だ。あるいは、多様性が減じるのでは、と。

 もちろん、この点をカバーするために、「ちょっと変わった話題」、「編集部お勧めトピック」などを、ポータルの中に入れるという試みが続いているわけだけれどもー。

 ポータルの作り手が、「今、これがおもしろい!」、「重要!」と思うものを目立つ所に置いて、読者をグングン引き込むーそんなサイトを(もっと)見てみたい。

 マイナーなトピックだけれども、一定の価値観で拾ったテーマをずっと追うというのもおもしろいだろう。作り手(チームでやっているにしても)の広く深い関心・興味・知識が物を言う。

 放送業の話になるが、例えば英民放チャンネル4が「Unreported World」(報道されない世界)と題するドキュメンタリー番組を放映している。

http://www.channel4.com/programmes/unreported-world/

 世界のさまざまな地域で起きている状況をリポーターが取材する。毎回、目からウロコ状態の内容が放送されている。

②似たようなトピックが上に並んだら、なぜ駄目なのか?

 似たようなトピックが上に並んだポータルサイトがたくさんあるとき、一体、「だから、どうなの?」と思われる方もいらっしゃるだろう。

 それ自体が悪いというのではないのだけれども、「言論の厚みが薄くなる」ことが一つの懸念だ。

 「言論」は、ここではネット空間の言論だ。

 言論の厚みを保障するには、いろいろな人が、「本気で書いた論考が、どんどんネット空間に出ていること」が必要だと思う。

 もちろん今でも、本気で書いている人はたくさんいるのだけれども、私が感じているのは、例えば新聞・雑誌の論考・意見が、ネット空間にもっと出てもいいのではないかと思う。具体的に言うと、例えば新聞の解説記事が、多くの人が読めるように=つまりは、無料か廉価で=どんどん出ればどうかと思う。

 経営上の理由があることは承知しているのだけれども、ネット空間の言論の更なる充実化、厚みを出す1つの方法として、解説面に出ているような記事が、どんどんネットに出て、これが一定の量になることが必要ではないかと思う。(ネット上では新聞報道への批判があることは承知しているけれども。)いろいろなやり方があるだろうから、これは1つの案だ。

③ソーシャルメディア上の言論はどうやったら、充実するか?

 (ソーシャルメディアを使うことの是非問題がまずあり、また、SNS上の言論が充実する必要があるかどうかも、一つの問題だがー。)

 具体的に私が頭に描いたのは、ツイッターだ。必ずしも日本が英米のまねをする必要はないのだが、ジャーナリズムの話をすれば、英国ではジャーナリストがツイッターを使うのはほぼ常識になっている。情報発信や収集などで、欠かせない。

 ツイッターがジャーナリズムの1手法になったのは、ツイッター利用者がたくさんいて、実際にジャーナリストたちが使ったから。

 ツイッターにしろ、そのほかのネット言論にしろ、さまざまな意見を本気で出してゆく人がたくさんいて、紙で言論を作ってきた新聞などがネットにも充実した記事をどんどん放っていって、一つの、厚みがある生態圏ができてゆくのではないかと思う。

 若手研究者と話していたときに、日本語空間では、「厚み」の面で、もっと充実してもいいのでは、と思った次第だーー主観的な見方になるかもしれないが。

 議論の厚みがない言論空間を持つ国では、例えばだが、強烈な意見を持った政治家が、選挙で圧倒的な票を得て当選する・・・といった事態が起きるのではないか。

④本気の議論を阻むものは何か?

 時々、ネット言論を見ていると(主に各種ニュースサイト、ブログなど)、議論がぐるぐる回っているような思いにかられることがある。本当の議論を迂回しているようなー。

 本当の議論とは何か?これはあまりにもドデカイ問いだが、あくまで主観的な話をすれば、日本のいろいろな難しい問題(原発の行方、沖縄基地問題、生活苦などなど)を根本的に解決しようとすると、どうも日米問題に行き着いてしまう気がしてならない(議論があまりにも唐突だと思う方がいらっしゃるだろうが、そんな風に感じている人は、私だけではないと思う)。つまるところ、日本はどうやってやっていくのか、その戦略というか、方針が定まっているのかどうか。(あえて戦略を表には出していない可能性もあるが。)

 「最後の最後には、米国が解決してくれる」―そんな「空気」を感じてしまう。

 これ自体がいいことか悪いことか、戦後に日本で生まれた私にとって、ストレートな答えは出ない。しかし、「誰かほかの人が、最終的には責任を取ってくれる」という生き方、国のあり方は、一体、どうだろうか?今、大きなひずみが出ている感じがする。

 自分の行動に自分で責任を取る状態になっていないと、本気での議論ができていかないのではないか。

 本当に、自分の頭を使って、自分の責任で、自分の手と足で物事を決められるーそんな事態が発生したのが、3・11の大震災だったのだと思う。避難するのかしないのか、被災地からの農産物を自分の子供に食べさせるのか、食べさせないのか。

 その後、外から見ているだけだが、(原発を推進してきた)自民党が先月の総選挙で圧勝し、「自分の責任で、自分で物事を決められる」機会は、一体どうなったのかなと思う。

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 そのほかにも、ソーシャルメディアの多用によって、じっくりと物事を考える時間が失われているのではないか(トレードオフとして)、「ツイッターの言論は、信用しない」という外国の若者の話などが、会話に出た。あっという間の1時間半だった。
by polimediauk | 2013-01-21 21:04 | 日本関連