小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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日本のマスコミ報道について -大震災・原発事故以降、受け手の見方は変わったか?(コメント その1)

 非営利組織「欧州ジャーナリズムセンター」のウェブサイト用に、大震災・原発事故以降、日本のマスコミに対する人々の見方は変わったのかについて、寄稿する機会がありました(15日付で掲載。)

 フェイスブック、ツイッター、電子メールでの急な取材依頼にコメントを下さった皆さん、本当にありがとうございました。この場を借りて感謝します。

 スペースほかの理由から、すべてのコメントを入れることができず、あまりにももったいないので、ブログなどでの公開を許可いただいた方の分を、掲載させていただきます。

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BLOGOS
編集長大谷広太さん

―マスコミ不信はいつごろ生まれたと感じていらっしゃいますか?

 私は1981年生まれですが、今振り返ると、むしろ昔の方が過激な番組制作、報道(たとえば、犯罪被害者、加害者への取材とプライバシー問題)が多かったように思います。そういった表現の自主規制はじわじわと厳しくなっているように思います。

 一方、いわゆる「ウソ・大げさ・まぎらわしい」というような表現、報道への不信感は、やはりインターネットの普及によってより増幅されたように思えます。

 テレビ業界においては、視聴者離れと、それに由来する制作費削減のスパイラルが厳しいがゆえの問題ある表現、報道が指摘されていると思いますが、そうしたことも含めて、インターネットの普及によって、一部の人しか知らなかった、既存メディアの"お約束"、取材の裏側、制作の裏側などが、どんどん拡散されるようになってしまったこと、そして、既存メディアがカバーしきれなかった情報が見えやすくなってきたのだと思います。

 こうした変化は、直感的には2000年くらいから、より表面化したように思います。

ー大震災の前後で、大きく変わったという実感はありますか? もしそうである場合、何故だと思いますか?

 どの既存メディアも、それぞれの立場で、懸命に報道をしようとしていたのではないかと思います。

 地方でおきた災害であることから、全国紙に対する地方新聞、全国ネットのテレビ・ラジオに対する、コミュニティFMの意義などが見直されるキッカケになったのではないでしょうか。

 また、ソーシャルメディアによって、メディアがカバーできないミクロで多様な一次情報や意見が、しかもリアルタイムで広がったことで、ソーシャルメディアの可能性が一斉に目に見えるようになり、相対的にその地位が高まったように思います。

 原発事故関連は、今も様々な議論がなされていますが、あまりにも専門的だったり、事故との因果関係が学術的にはっきりしない事象も多く、大手メディアだけでなく、ネット・ソーシャルメディアでも、それぞれに過大だったり、誤った情報が流れてしまったこともないとは言えないとおもいます。

 また、これをきっかけに、政府・官公庁・企業の情報公開のありかたが厳しく問われるようになったとも思います。

ーBLOGOSと既存マスコミのとの違いはどこにあったと思いますか?(以前に、震災時にヒットがたくさん出たとおっしゃっていましたよね。)

 著作権の問題であれば漫画家、ミュージシャンなど、評論家的ではなく、社会問題に直結する現場の立場からの発言が、やはり共感や説得力を生むのではないかと思います。

 たとえば、これはブロガーの記事ではありませんが、私が取材させていただいた、若手官僚のインタビューは、とても大きな反響を呼びました。

「キャリア官僚だって人間」
ー30歳元キャリア官僚の語る霞ヶ関の実態
 

 官僚と言えば、既存メディアでは何かと批判の対象になりがちですが、一方で、実際に現場で真摯に働いている方々の声を聞く機会はあまりにも少ないと思い、実施しました。読者から、「知らなかった」「そうだったのか」という声をたくさん頂戴しました。

 また、最近では、「テレビではこの部分の発言が取り上げられましたが、本来の主張はこうです」と、ブログやソーシャルメディアでしっかりと、補足、説明を行う政治家の方も増えてきたように思います。

 どうしても、既存メディアでは、わかりやすく要約することで、端的なイメージばかりで語られてしまうことが多いお話も、本人の声を通すことで、理解が進むのではないかと思っています。

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世界のジョニーさん @zyonysan

 はじめまして、意見あります、ほんとうのこと伝えないではないですかーもう被爆者ですよ。

 何よりテレビはフクイチ事故を隠蔽し続け、プルトニウムもストロンチウムも一切触れない。この方が桁違いに悪質な犯罪ではないのか!

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グッチのぐちさん @gucchi2797

 知りたいのは、事実だけでいい。記者のくだらない解説がいらないことがよく分かった。ネットで十分。それじゃまずいんだろうけど。

 二月に50年以上取っていた朝日新聞をやめた。全く困らないので、妻と驚いている。たまに、朝日や読売や毎日を購入しているが、ニュースで特に読まなければならないところがない!

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宮前ゆかりさん @MiyamaeYukari

 この話題には大変興味があります。日本の報道機関、特に主要全国紙新聞(読売、朝日、毎日)に対する信用はガタ落ちです。 @ginkokobayashi 3・11の震災・原発事故後、日本のジャーナリズム(あるいはメディア報道)に対する見方が変わった・・・と思われた方、もし関心がある方

 米国でも同様のことが起きていて、ワシントンポスト紙やニューヨークタイムズ紙の「ジャーナリズム」への信用もドンドン落ちている。>宮:日本の報道機関、特に主要全国紙新聞(読売、朝日、毎日)に対する信用はガタ落ち @ginkokobayashi

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大森 玲さん、大学生 、23歳

 3.11以降、「大切なのは、メディアを使いこなすことだ」と思うようになりました。

 目で見たこと・書き言葉だけが現実のすべてではない、事実はひとつではない、ということ、報道に自分の経験や視点、調べた事実などをプラスして、現実を捉えることが大切なのだなと。

 また、ジャーナリストの、組織にいるからこその窮屈さも知りました。「ペンは剣より強し」と言いますが、日本では、“ペン”に自由は許されていない。そして、その“ペン”の自由を奪い、陰で操っている“剣”に対して、怒りを抱くようにもなりました。(“剣”とは権力であり、権力とは企業、つまりお金です。)

 「新聞や雑誌などの、“完結しているメディア”には、その裏で多くの権力が働いている」、そういう事実を知った今でも、その“完結しているメディア”を捨て去ることは難しいです。なぜならそれが、(たとえ制限がある中で行われたものだとしても)「ひとつの編集されたもの」であるからです。

 わたしは、閉鎖的なムラ社会をこじ開け、風通しをよくするための道具としてインターネット上でのメディア報道には期待感を抱いています。

 しかし、インターネット上での自由な活動ができるのは、(多くの場合)それが匿名の下に行われるからです。

 「なんの企業的組織にも属さず、何も失わない」、そういう立場にいなければ、きかない自由です。そういう世界では、あふれる情報の量は当然、膨大なものになります。

 その膨大な量の報道から、可能な限り現実に近い事実をすくい取ることができる力量や視点(それも、ありとあらゆる分野に対する)、それを受け取る側がもっているかというと、自信をもって「イエス」とは言えないです。

 ありとあらゆる分野に対して、つねに自分の経験や視点、調べた事実をプラスすることは難しく(正直に言えば、面倒くさく)、完結しているもの、パッケージングされたもの、編集されたもの、そういうものを受け取るほうがずっと楽なのです。

 だからこそ、「メディアを使いこなす」ということが大切である現実に対する意見を外へ発信するよう求められたときに、目の前にあるメディアだけから影響を受けて、自分の意見をつくりあげるのはよくない。(その裏には権力が働いているかもしれない、からです。)

 だけど、広く浅く、こういうも世界もあるのだな、と知るぶんには既存の“完結されたメディア”のもつ力を存分に利用するとよいです。

 自分からわざわざ、自分の頭にも浮かばないような国の情報を調べたりはしません。“完結しているメディア”は、それを教えてくれます。いろんな分野の記事が盛り込まれ、編集されている。それこそが“完結しているメディア”のもつ大きな力です。


 どんなメディアにも長所があり、短所があります。

 だからこそ、いろんなメディアがあってよい。

 そして、世界が多様であるならば、その視点も多様であるはずです。

 自分が消費者でしかいられない分野、そういう分野に関しては、“その道のプロ”におまかせしていたほうが、ずっと楽です。(それにきっと、そうしていれば“平和”でしょう。)

 だけど、いまが続いていくため・これからに続けていくために現実・事実に近づくこと、知ることを怖がってはいけない。

 ジャーナリストも、そして、受け取り手であるわたしたちもサボってはいけない。そう思うようになりました。

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49歳の医者の方

 震災前から漠然と感じていたメディアに対する不信感(専門性が必要とされる記事の信頼性に対する疑い)が、震災後は明確な不信となりました。

 記者が

1)きちんと取材していない
2)取材に関する事項を勉強していない
と考えるようになりました。

 私自身は医者ですが、以前より医学関連の記事には違和感を感じていました。

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ジャーナリスト、大貫康雄さん

ーマスコミ不信(もしあるとすれば)はいつごろ生まれたと感じていらっしゃいますか?

⇒「マスコミへの不信感」は人によって様々ですが、一般的にはやはり、2年前の東京電力福島第一原発事故とその後の放射能汚染・被曝に関しマスコミが真相を伝えようとせず、政府・原子力関連産業からの情報を一方的に報道する「体制(政府・業界)広報機関」になったと判ってからです。

 更にいわゆるマスコミが既得権益擁護機関になっていた現実が具体的な事実で明らかになったこともあります。

 マスコミ=マスゴミ 一部の人たちは既に2000年代中ごろから使っている言葉ですが多くの人たちが考えるようになったのはやはり東日本大震災、特に原発事故関連の動きがインターネットメディアや外国メディアで指摘してからでしょう。

ー大震災の前後で、大きく変わったという実感はありますか?

⇒前の質問と関連しますが、大きく変わりつつある、という実感は抱いています。

 「変わりつつある」と進行形を使ったのは、業種を超えて、インテリ層、考える習性を持つ人たちの間で特に公共放送NHKの報道が「面白くなくなった」とか「民放化している」、「見る番組が少なくなった」との声が大きくなっています。

 しかし一方でNHKを通して出しか情報を得てない、いわゆるB層と言われる人たちは未だにNHKの報じることは正しい、と単純に思う人たちが相当数います。

 この人たちは今も多数派であるため、世論調査ではこうした人たちの声が反映されています。

ーもしそうである場合、何故だと思いますか?

⇒これも先の質問と関係あり 変わりつつあるのはやはりインターネットの普及が最も貢献しているでしょう。

 次いで、東日本大震災の取材に外国メディアが関心を持って取り組み、これまで日本のメディアが取り上げなかった「政府・関連業界の不都合な真実」を報道するようになったからでしょう。

 一方でマスコミとは別にネット世界では多岐多様な言論が展開されており、既存の新聞・テレビが伝えないことをどんどん伝えたりしています。

 私が理事・大賞選考委員長を務めている自由報道協会は福島の若いお母さんたちから頼りにされ、避難騒ぎなどの最中感謝のしるしとして200円・300円と寄付を寄せて来られたのもインターネットが言論を変える、変え得る、との実感をもつ材料になっています。

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ジャーナリスト 団藤保晴さん

―マスコミ不信(もしあるとすれば)はいつごろ生まれた?

 1997年の (「インターネットで読み解く! http://dandoweb.com/ )
第25回「インターネット検索とこのコラム」 (97/10/30)


  新聞メディアと読者の現状を、当時の私はこんなふうに整理した。

 「高度成長期に入るまでは、新聞がカバーしていた知のレベルは社会全体をほぼ覆っていた。技術革新の進展と裏腹の矛盾、歪みの集積は社会のあちこちに先鋭な問題意識を植え付け、新聞がふんわりと覆っていた知の膜を随所で突き破ってピークが林立するようになった。特定のことについて非常に詳しい読者が多数現れ、新聞報道は物足りない、間違っているとの批判がされている。

 新聞の側はそれに対して真正面から応えるよりも、防御することに熱心になった。読者とのギャップはますます広がっている。なぜなら、知のピークはどんどん高くなり、ピークの数も増すばかりだから」

 と書いています。これがマスコミ不信の出発点でしょう。

―大震災の前後で、国民のメディアに対する見方が大きく変わったという実感はありますか?

 福島原発事故の在京メディアの報道ぶりが「大本営発表」だとネット市民には見えてしまいました。ネット上で日々、あれだけ呆れられたのに、メディアの反省は希薄です。

 第282回「原発震災報道でマスメディア側の検証は拙劣」 (2011/10/15)

 で検証した通りです。上記のような意識が高い少数者に批判される初期の不信現象から進んで多数の市民が見切ってしまったと言えるでしょう。

 2011/3/12に大阪から書いた

 第244回「福島第一原発は既に大きく壊れている可能性」 (2011/03/12)

 ほどの実証性志向もメディア報道からは感じられませんでした。

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科学ジャーナリスト 小出重幸さん

1)マスコミ不信(もしあるとすれば)はいつごろ生まれたと感じていらっしゃいますか?

 第二次大戦の大政翼賛会報道時にもありました。常に一定程度、不信が存在するのが「自然」な姿だと思います。メディア問題の「主人公」は主権者たる読者ですので、マスコミの情報をいかに選別・料理して(自身の糧として)、活動や情報発信に役立てるか――ということが肝要だと思います。

 一方で、報道で一番大切なのはFactsですね。これに疑義があるときは、まず、メディアに直接アクセスすることが必要で、メディアもこう した読者の真摯な批判、指弾によって、本来の姿を回復する、そうした性格の存在だと思います。「一律な不信」だけでは、何も産み出さないと思います。

2)大震災の前後で、大きく変わったという実感はありますか?

  マスメディアの信頼は、大きく失墜しました。

3)もしそうである場合、何故だと思いますか?

 大震災・津波・福島原発事故――この混乱の最大の特徴は、官邸、政府、原子力業界、科学者コミュニティーが、いずれも情報の適切な発信、 PublicへのCommunicationに失敗して、信頼を大きく損なった、ということです。合わせて、マスメディアもこの情報発信が適切にできず、これが不信が拡大する背景となりました。Authorityに頼っていた情報収集と記事の発信は、そのAuthorityがコケれば、マスメディアもコケル、というあんばいで、独自の取材の大切さ、電力業界やAuthorityとの距離を日ごろからきちんと取っておくことの重要さが、あらためて明白になりました。

 一方で、Authorityを無視しては、報道はできません。特に核物質をあつかう原子力など専門的な取材対象では、ミリタリーも関わって くるだけに、ピンポイントの独自取材では「全貌」は明らかにできません。このバランスが難しいところですね。

 今回の騒動を俯瞰すると、日本の大手新聞などのマスメディアは、Authorityから発信される情報がほとんど役立たなかった――という 結果をそのまま伝える形になり、それが批判につながりましたが、一方では、広大な被災地、各地の現状、政治、経済、国際社会の動き、生活、さ らにその間も続くスポーツ、文化活動など、「社会全体」を36ページに凝縮して発行する、という総合的な力は、結局、他のどのメディア(紙、 電波、ネット……)もできなかった――ということも事実だと思います。

 WeblogやTwitter、そして自由報道協会などの活動は、特定の分野やテーマではすぐれた情報伝達ができたと思いますが、この世の 中の全体像や相場観をコンパクトに、しかも継続的に伝えたところは、結局ありませんでした。局地戦はできても、NHKニュースや、36ページ の新聞で伝える総合的な情報発信は、ジャーナリストをどれだけ大量に抱え、それが24時間体制で対応しているか、という力勝負の世界なのだと 思います。こうした側面を考慮せずに、局地戦だけで優劣を論じるのは、むなしい印象がありますね。

 「ミドルメディア・シンポジウム」の活動を1月から始めましたが、このミドルメディアとは、マスメディアが伝えきれない、きめ細かいコミュ ニケーションということで、これまで一部で使われてきた、ネットを使った小規模発信の試みとは、違った意味で使っています。特に、科学と社会 のはざまで起こるさまざまなコンフリクトが、近年増加しています。科学や技術の問題でありながら、科学者や技術者だけでは結論が出せない領域 を「トランスサイエンス」といいますが、この世界が主な対象になります。

 次回シンポジウムは、4月14日で、「低線量放射線影響と地域コミュニティの復興」がテーマです。
by polimediauk | 2013-03-18 19:08 | 日本関連