小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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信念の政治家、サッチャー故・元英首相

 サッチャー元英首相が、8日、87歳で亡くなった。

 今日はずっとテレビにかじりついて、追悼番組を見ていた。いろいろな見方が出ていたが、心に残ったのは

  「信念の政治家」

  「国を二つに割った」

  だろうか。

  そのもろもろはもう既に新聞記事にも出ている。以下は、毎日新聞の記事。

 <サッチャー氏死去>米ソ首脳と信頼関係 国際社会動かす 
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130408-00000084-mai-eurp

 ***

 引用

 
・・・英国は欧州の一角に押しやられた。

 にもかかわらず労働組合は従来通りの権利を要求し国民は高福祉を満喫した。70年代になると英国経済は疲弊して「英国病」と呼ばれ、76年には国際通貨基金(IMF)の支援を受ける。国際社会での英国の地位は失墜し、国民は自信を失う。

 そうした中、登場したのがサッチャー氏だった。国際的には欧州よりも米国との関係を重視し特別な2国間関係を構築した。国内的にも、平等や労働者の権利よりも自由化、競争原理の導入を重視する米国型の政策を断行した。強い抵抗もあったが、女性初の首相であるサッチャー氏はそれを世論の支持ではね返した。結果的に英国経済は回復軌道に乗り、その後のブレア労働党政権の経済成長につながっていく。 


 (引用終わり)

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 私自身が特に「変わったよなあ、サッチャーさんのおかげで」と思うのは、1986年の金融ビッグバン(日本でも90年代に行われた)と、メディア界(=新聞界)のこと。

 ロンドンが近代的な金融センターとしてでかくなってゆくのは、このビッグバンが起爆剤だったと思う。ただ、現在の金融不祥事を見ていると、極端な方向に行ってしまったという面もある。

 メディア界の変化と言うのは、1970年代から1980年代前半まで、英社会は産業構造・市場の変化につれて労働組合によるストが続き、一時は週に3日の勤務体制を敷かざるを得ないほどになっていた。

 1980年代半ば、労組との戦いに勝ったのがサッチャー政権(ちょっと単純な書き方だけれど)。新聞界でもストが続き、一時、タイムズ紙、サンデータイムズ紙はまったく印刷されない状態が続いていた。

 労組と戦っていたのがオーストラリア出身のメディア王、ルパート・マードック。秘密裏にロンドン東部ワッピングでコンピューターを導入した新たな制作・印刷を開始。最終的には労組を負かした。労組にとっては悔しい話だが。サッチャーはマードックの衛星放送買収を影で応援し、マードックが英国のメディア主として大きな影響力を持つための支援をしたといわれている。マードックもまた、所有する複数の新聞紙面で、サッチャーの政策をサポートした、と。

 今のような、資本主義社会まっしぐらの英国を作ったのはサッチャーだ・・・という人もいる。
 
 良い意味でも悪い意味でも、サッチャーさんの遺産は今でも続いてるのである。

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 過去記事に若干補足してまとめたのが、以下です。

 サッチャー元首相亡くなる ―今も英国に影落とす「遺産」とは
 http://bylines.news.yahoo.co.jp/kobayashiginko/20130409-00024317/
 
by polimediauk | 2013-04-09 08:58 | 政治とメディア