小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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ウィキリークスへの内部告発者マニング米上等兵が「敵のほう助罪」で無罪に

 内部告発サイトウィキリークスに米国の機密情報を流したとされ、20を超える罪に問われた、米陸軍上等兵ブラッドリー・マニング氏の裁判の判決が、30日出た。

 上等兵は、訴追された中では最も重い罪となる「敵へのほう助罪」では無罪となったが、スパイ罪を含む複数の罪で有罪となった。最長で130年を超える禁固刑がかされる可能性もある。

 この件で、英米のいくつかのサイトを見てみたが、また判決が出てから3-4時間なので、どことなくきちっとしたものが出ていない感じがした。その媒体によって、どこに力点を置くかが微妙に違う。有罪を先に書くのか、無罪を先に書くのかで、その媒体の支持がどちらにあるかが微妙に出てしまう感じがした。
 
 ひとまず英ガーディアン紙の記事などから、あくまで現時点での概要をまとめてみた。表現が正確ではない点があるかもしれないことをご容赦願いたい。

 公判は、米ワシントンD.C.近郊のメリーランド州フォートミード陸軍基地で、6月から開かれてきた。

 マニング兵は、大量の外交公電を不正にダウンロードした疑いで、2010年5月逮捕され、機密情報不正入手などの罪で同年7月に訴追された。2011年には、新たに「敵支援」などの罪で追加訴追された。

 デニス・リンド裁判長が敵のほう助罪ではマニング氏を有罪にしなかったことで、多くの報道機関や報道の自由のために活動を行う組織はほっと胸をなでおろした面もあったかもしれない。というのも、多くの報道機関がリーク情報を報道した。もしこの罪で有罪となれば、公的利益のために内部告発によって出た情報を報道することができなくなってしまうからだ。

 裁判長はまた、多くの市民が亡くなった、アフガニスタンのファラ地域での米空軍による攻撃の動画を暗号化してリークしたことについても、有罪とはしなった。マニング氏自身は暗号化してない動画や関連資料をリークしたと後になって認めたものの、同氏の弁護士らがマニング氏はこの動画をリークしていないと主張したことが通った格好だ。

 20を超える罪で有罪となったが、その1つは「インターネットに出た諜報情報に敵がアクセスできるということを知った上で」、米国の諜報情報をネット上で出版する状況を「不当に、気まぐれに」引き起こした罪だ。これは報道機関にとっては、かせになる可能性があろう。

 人権保護団体は判決を非難している。米国自由人権協会(ACLU)のベン・ウイズナー氏は、「マニング兵が最も重い罪では無罪になったことについては安堵した」が、「公益から報道機関にリークを行った人をスパイ法で訴追するべきではないと思っている」。

 「情報漏えい罪では有罪になっているので、今後、貴重な情報をリークしようとする人を威嚇しようという意図があることが分かる」。

 マニング兵の家族は、ガーディアンへのメッセージで、マニング兵の弁護士デービッド・クームス氏に感謝の念を表するとともに、こう付け加えた。「本日の判決には失望しているが、ブラッドが米国の敵を助けようとは決して思っていなかったことについて、裁判長が同意してくれたことはうれしい。ブラッドは米国を愛し、軍の制服を着ることに誇りを持っていた」。
 
 マニング氏は2010年5月に逮捕された後、1157日間、拘束されてきた。最終的に刑が確定すれば、この日々は禁固日数から差し引かれる。裁判が始まる前の準備期間となった112日間も差し引かれる見込みだ。

 マニング兵は拘束期間中の一時、夜は裸で寝るように強制されるなど、過酷な日々を過ごした。

 裁判長は、今後、すぐに刑の長さを確定するための審理過程に入ると述べている。数ヶ月前にマニング兵はウィキリークスへの情報漏えいをしたと認めており、弁護側の焦点は、禁固刑をいかに短いものにするかになる。弁護側は、マニング兵が情報をリークしたときに精神的に弱い状態にあったなどと主張する見込みだ。

 ウィキリークスに対し、米政府の70万点に近い機密情報をリークしたマニング氏は、デジタル時代の大量リークのさきがけとなった。政府が機密を維持する必要性と、市民の知る権利との間でどうバランスを取るかが今後も議論になるだろう。
 
 マニング氏がアクセスできた「機密情報」は当時、米国内で300万人近くがアクセスできるようになっていた。この点を問題視する人も多い。これほど大量の人がアクセスできる情報は「機密」なのだろうかー?

―マニング兵の拘束状況

 2011年3月、フィリップ・クローリー米国務次官補(広報担当)が辞任したが、これは、マニング兵が、拘束中の海兵隊施設(バージニア州)で不当に扱われていると発言したためだ。

 当時の拘束状況を筆者のブログから拾ってみた。

 マニング兵は自殺防止のため、夜間は衣服を没収され、全裸で眠ることを強要されていた。クローリー氏は、3月上旬、米マサチューセッツ工科大学での会合で、マニング兵の取り扱いが「不合理、国防の面から言えば逆効果で馬鹿げている」と語った後、辞任をせざるを得なくなった。
 
 クローリー氏が「馬鹿げている」と表現した、マニング兵の拘束状況とはどんなものか?同兵の弁護士が公表した、マニング兵自身の説明を見てみよう。(ガーディアンの記事から)

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 「3月2日から、私は夜間、衣服を没収されることになった。この処理は無限に続くそうだ。最初の夜、衣服を没収された後、翌朝まで寒い独房の中で眠るしかなかった」

 「翌朝、ブリッグ(米国の軍隊で罪人を一時的に拘留する場所)の検査担当官がやってくるため、ベッドから起きるように言われた。まだ衣服は戻してもらっていなかった。ベッドから起きると、すぐに独房の寒さが身にしみた。独房の前のほうに、自分の性器部分を手で隠しながら歩きだした。看守は、『休め』の姿勢をとるように言った。これは、両手を後ろに組み、両足を広げる形で立つことを意味した。検査担当官がやってくるまで、約3分間、そのままの姿勢でいた」

 「検査官とそのおつきが私の独房の前を通った。担当官は私の顔を見て、一瞬立ち止まり、その後、次の独房のほうに進んでいった」

 「自分が全裸でいるところを大勢の人に見られ、非常に決まりが悪かった」

 「担当官たちが行ってしまった後で、ベッドまで歩き、座っても良いと言われた」

 「その後衣服を返してもらうまでに10分ほどかかった」

 「私は、自殺を防止するための『スモック』とよばれる衣類を与えられるようになった。夜間にはまた全裸にならなければならないが、昼間はスモックを着られた」

 「最初、スモックを来たくなかった。非常にごわごわして着心地が悪かったからだ」

 「これまでの状況を考えると、夜間、無期限に全裸で寝ることを強要するのは懲罰であることは明らかだった」

 「私は24時間、監視されている。看守は私の独房からほんの2-3メートル離れた場所にいる。昼間は下着と衣類を身に着けられるが、この時間には私が自殺を起こす心配がないとでもいうのだろうか」

 「3月2日以降の、夜間の全裸強要には正当な理由がない。これは、裁判前の違法な処罰に値する」

 「現在、独房に入れられ、外に出るのは1時間のみ。23時間は、独房の中にいる。昼間は看守が5分ごとに、私が大丈夫かどうかを聞く。肯定的な返答をするのが義務となっている」

 「夜間、看守から私の姿が十分に見えなかったり、毛布で私が頭を覆っていたり、壁のほうに丸まって寝ていると、看守が私を起こし、大丈夫かと聞く。食事は独房の中で食べる。枕やシーツを使ってはいけないことになっている。個人的なものを独房の中に一切置いてはいけないことになっている。一度に持ち込めるのは1冊の本か、雑誌だ。本や雑誌は、私が寝る前に、取り去られる。独房の中で運動はしてはいけないことになっている。もしプッシュアップとかしていたら、やめさせられる」

「毎日、独房の外でできる運動は1時間のみだ」

―ウィキリークスへのリーク情報はどのように公開されたか?

 2010年夏以降、ウィキリークスは、英ガーディアン、米ニューヨークタイムズ、ドイツの週刊誌シュピーゲルなどといった世界の大手報道機関と共同で、米軍や米政府にかかわる機密情報を相次いで暴露した。

 7月末には駐アフガニスタン米軍にかかわる9万点余の機密情報、秋にはイラク戦争にかかわる機密情報40万点以上、そして米外交公電25万点が段階的に公開された。その規模の大きさに「メガリーク」という表現も使われるようになった。

―改めて、ウィキリークスとは

 オーストラリア出身のジャーナリストでインターネット活動家ジュリアン・アサンジ氏が立ち上げた内部告発用のウェブサイト「ウィキリークス」は、2006年、世界の権力者や大企業が隠したがる情報を公益のために外に出す仕組みとしてスタートを切った。

 ケニアの元大統領一家による汚職情報の暴露(07年)、高速増殖炉「もんじゅ」の火災事故に関わる非公開動画の公開(08年)、アイスランド・カウプシング銀行の内部資料公開(09年)などを通じて、着々とその認知度を広めてきたが、大きな注目を浴びるようになったのは、マニング兵からの情報リークを基にした、メガリークであった。

 政府や企業などの内部事情を知る人物が公益目的で行う内部告発には長い歴史があるが、その人物の素性が明るみに出た場合、雇用先からの解雇あるいは何らかの社会的制裁を受けがちだ。

 ウィキリークスではウェブサイトを通じて情報を受け取るが、暗号ソフトを通して情報が渡るため、ウィキリークス側にも告発者の素性が分からないようになっている。告発者を守りながら、外に出るべき情報を出せる。これこそネット時代の内部告発のあり方であると新鮮さを持って受け止められ、世界の最強国米国の機密情報を暴露して泡を吹かせたという意味からも、創設者アサンジ氏は一躍時代の寵児としてもてはやされた。

 英国に滞在していたが、スウェーデン出張中に、後に性的暴行を受けたと主張する二人の女性と関係を持った。昨年6月、この件でスウェーデン移送が決定。

 移送されれば、米国に送られ、スパイ罪などに問われる可能性があると見たアサンジ氏は、これを回避するためにエクアドルへの亡命を希望し、ロンドンの駐英エクアドル大使館に政治亡命を申請した。申請は同年8月に認められた。現在も、エクアドル大使館に滞在中だ。
by polimediauk | 2013-07-31 06:52 | ウィキリークス