小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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国家権力と英メディアの綱引き(2) ―イラク戦争開戦前夜、米NSAによる盗聴要請メールを暴露

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(キャサリン・ガンの笑顔 グーグル検索より)

 2003年ー。米国家安全保障局(NSA)や英国の通信傍受機関、政府通信本部(GCHQ)による世界的な規模での情報収集、他国政府首脳への盗聴行為の実態が明るみに出る、10年前のことだ。

 この年の3月、イラク戦争が始まったことを覚えているだろうか。開戦前には英国内ばかりか国際社会の論調が大きく二つに分かれていたことも。大雑把に分ければ、米英が主導する、イラクへの武力攻撃の支持派か反対派だ。

 当時GCHQに勤務していたキャサリン・ガン(28歳)は中国語から英語への翻訳を専門としていた。幼少時代は台湾で教育を受け、英国に戻ってからは、名門ダラム大学で中国語、日本語を学んだ。

 03年1月31日、ガンはある電子メールに目を留めた。

 米英が、イラク戦争の開戦に向けて国際社会からの支持を広げようと躍起になっていた頃である。

 NSAの高官フランク・コザが発信したメールには、国連安保理の理事国がイラクへの武力行使について、どのような考えを持っているかを探ることに力を傾けてほしいと書かれていた。特に集中してほしいこととして、国連本部にあるアンゴラ、カメルーン、チリ、ブルガリア、ギニア、パキスタン(この6カ国は当時、安保理の非常任理事国)の事務所や代表者の通信を盗聴・傍受するよう、GCHQに依頼していた。イラク開戦を可能にする安保理決議に十分な支持が集められるかどうかが、米英側にとっては緊急の課題となっていた。こうした国々の支持を得られれば、武力行使を開始できるはずだった。

 「これはひどい。こんなことまでするなんてー」。そう思ったガンはメールを印刷し、印刷した紙をバッグに入れて帰宅した。この行為だけでも、公務員機密守秘法違反であった。週末、どうするべきか考えた。週明けの月曜日、まだ怒りは収まらなかった。「違法な戦争の開始を止めたい」という思いがあった。

 「何とかこれを外に出したい」と思ったガンは、友人を通じてジャーナリストに情報を渡した。2月になって、ロンドンの反戦デモに参加したあと、通常の生活に戻った。

 3月2日、ガンは新聞小売店で日曜紙「オブザーバー」を手に取った。1面全体を使って、NSA高官の電子メールを元にした記事が掲載されていた。

 ガンは体が震えだした。自分が情報源になった記事がここまで大きく報道されたことに、衝撃を受けていた。

 勤務先のGCHQ内では犯人が探しが始まった。当初は関与を否定したガンだったが、考え直し、自分が情報源であったことを上司に認めた。ガンは職場の上司らと職員が使う食堂で昼をともにした後、GCHQの車で地元警察に出頭し、逮捕された。

 6月、ガンはGCHQを解雇された。

 11月、ガンは公務員機密守秘法第1条(正当な認可がなく、安全保障及び諜報情報の公開を違法とする)で起訴された。同月末、予備審問の役割を果たす治安判事裁判所で名前と住所などを述べた後、ガンは弁護士を通じて、公務員機密守秘法の違反による有罪にはあたらないとする声明文を公表した。

 有罪ではないという理由は「自分の行動は、多くのイラク市民や英兵が殺害される、非合法の戦争の発生を防ぐという目的があったからです」、「良心に基づいての行動でした」。

 もし有罪となれば、2年の実刑となる可能性もあった裁判が始まったのは、翌年04年の2月25日。検察側がガンを有罪とする証拠を提出することができず、起訴案件を取り下げる結果となった。

 前日、ガンの弁護士は政府に対し、イラク戦争の合法性を示す証拠の提出を要求していた。当時、法務長官がイラク戦争を最終的に合法とした件が注目の的となっていた。長官は政府に対し、戦争が合法とする見解を出していたが、この文書の全容が公開されないままでいた。長官の文書を含めたさまざまな機密情報が裁判で公開されることを避けるために起訴取り下げとなった、と言う報道が出た(政府側は否定)。

 無実となったガンは、裁判所の外に立ち、「リークは開戦を防ぐためだった」と述べた。自分の行動を「後悔していない。同様の状況にいたら、同じ事をするだろう」。

 「メールを見て、恐ろしくなった。英国の情報機関が国連での民主主義のプロセスを脅かすような行動をとるように言われるなんてー」。

 ガン自身はイラク戦争反対派だったが、その信念を通すために情報を探していたわけではなく、政府を困らせようと思ったわけでもないという。「21世紀になっても、爆弾を落とすことで物事を解決しようとしていることに困惑した」。

 当時、英国のさまざまなテレビや新聞に取材され、晴れがましい笑顔を見せたガンの様子を、私自身も覚えている。

ー10年後の現在は?

 オブザーバー紙がガンのリークを元にして、米NSAのメールをスクープ報道したのは2003年3月だった。

 10年後の3月、オブザーバーで記事の執筆にかかわったジャーナリストがガンをインタビュー取材した。

 30代後半となったガンは「今でも自分の行動を後悔していない」というものの、「その後、何が起きたかを考えると、(NSAのメールが盗聴を要求していたという)情報について、誰も行動を起こさなかったことへの怒りや焦燥感が強くなる」。

 当時「百万人単位で反戦デモが発生していた。反戦感情の大きさを官邸やブレア首相(当時)が非常に気にしていた」。イラク戦争の開始を止める「寸前まで行ったのに、止められなかった」。

 米英を主導したイラクへの武力攻撃が開始されたのは、2003年3月19日だ。

 GCHQを解雇されてからの10年、ガンは定職につかないままで過ごしてきた。現在はトルコ人の夫、4歳の子供とともにトルコに住む。

 「一番つらかったのは、財政状態」(ガン)。「積極的にキャリアを追求しなかった自分のせいでもあるけれど」。

 現在でも、「英国政府には説明義務があると思う。NSAからの盗聴の要請に、英国側は応じたのか、どうか。あのような要請を受けることが仕事の一部になっていたのかどうか、米英の政治的な力関係はどうなっているのか」。

 例えば、メールが「独立した国家間で協力をあおぐという形ではなく、(上から)指令を与えるという形になっていた」ことをガンは指摘する。
 
 NSAとGCHQについての一連の報道が出るのは、このインタビュー記事の3ヵ月後である。

 ガンの言葉は今でも強いメッセージを放っている。
by polimediauk | 2013-11-09 21:47 | 政治とメディア