小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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BBCは天皇の訪サイパンをどう報じたか?


外の視点

 天皇、皇后両陛下がサイパンを訪問。BBCでもラジオやネットでその様子が報道された。

 日本の天皇がサイパンを訪問することはどんな意味があるのか?諸外国から見たら、どうだったのか?BBCの報道には、外から見た場合の視点が入っている。日本の報道は、ネットで見ただけなので見落としもあるかもしれないが、どちらかというと官製報道のような、天皇・皇后側に立ったような報道になっている。

 そこでBBCの報道を聞く・読むと、日本の外から見たら、こういう見方になるのかな、と思う。一般的に、他の日本の事象に関しても、海外の報道を見たときに、別の見方があることに気づき、その「別の見方」が果たして正当なものなのかどうかはそれぞれの判断にまかせるにしても、日本とはどういう国なのかを考えさせてくれる材料になる。

 例えば、BBCオンラインでは以下のように報道されている〔大体の訳〕。細かく日本の出来事を追っているジョナサン・ヘッドという記者が書いたものだ。http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/4628947.stm 

 日本の記事には載っていないような部分は、青字にしてみた。後には日本の記事をネット上から拾った。

「日本の天皇が第2次世界大戦の死者を慰霊

 日本のアキヒト天皇が、第2次世界大戦中、米国が所有していたサイパンでの厳しい戦いの犠牲者を慰霊した。

 天皇、皇后両陛下は、この小さな島の戦争の犠牲者の主な慰霊碑の全てを訪れ、頭を下げた。

 約4万3000人の日本の兵隊と1万2千人の民間人が、迫る米軍に死ぬ気で闘うようにという命令を受けて、命を落とした。

 1944年6月には、約5千人の米兵が殺された。

―遺憾の意の表明

 数百人にも上る日本の民間人が命を落とした崖の端に立ち、天皇、皇后両陛下はこの場所で失われた命に思いをはせた。

 戦時中の日本の残虐行為に対する近隣諸国の怒りのため、天皇が死者の慰霊のために訪問できる場所はほとんどない。

 日本に対する感情は一般的に温かいものとなっているサイパンでさえも、外交上の困難さがあった。

 犠牲者全員の慰霊をしたいという願いにも関わらず、韓国人犠牲者の慰霊場所への訪問は理由なくスケジュールからはずされ、サイパンの大きな朝鮮半島出身者のコミュニティーから抗議の声が出た。

 最終的には、両陛下は記念碑に短時間訪れ、頭を下げたが、写真を撮ることは禁じられた。

  生き残った日本の元軍人たちにとって、今回の訪問は大きな意味を持っていた。

 破壊的な敗北を忘れることを好むこの国では、軍人たちの苦しみはほとんど認識されることがない。

 しかし、個人的思いがどうだったにせよ、外国の戦場への天皇の最初の訪問に関わる厳しい外交儀礼のおかげで、天皇は、もっと説得力のある反省の思いを見せる機会を持つことができなかった。


 サイパンには約5万人が住む。アメリカ領の北マリアナ連邦の首都である。

 
〔日本の報道のいくつか〕

天皇、皇后両陛下、サイパンへ出発

 天皇、皇后両陛下は27日昼過ぎ、東京・羽田空港から政府専用機で米国自治領北マリアナ連邦のサイパン島への「鎮魂・慰霊の旅」に出発した。戦後60年の節目にあたる今年、太平洋戦争の激戦地への旅は両陛下の強い希望で実現した初の慰霊目的での外国訪問で、28日夜帰国する。
 皇太子さまや小泉純一郎首相らが出席した空港での出発行事で、天皇陛下は「61年前の今日も、島では壮絶な戦いが続けられていました。海外の地において、改めて、先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います」と述べた。
 両陛下は滞在中、日本、米国、現地住民のほか、中部太平洋地域での戦没者らの慰霊碑に供花する。また、米軍への投降を拒み、多くの日本人が身を投げた断がい「バンザイ・クリフ」と「スーサイド・クリフ」も訪れる。
 戦時中日本が統治していたサイパンでは、1944年6月に米軍が上陸し7月に占領されるまで激しい戦闘を展開。日本兵約4万3000人と在留邦人約1万2000人が亡くなった。米軍はテニアン島を含めて約5000人、チャモロ人ら現地住民約930人が死亡した。

 【天皇陛下のあいさつ】
 天皇陛下の出発行事でのあいさつは次の通り。
   ◇
 終戦60年に当たり、サイパン島を訪問いたします。
 サイパン島は第一次世界大戦後、国際連盟の下で、日本の委任統治領になり、沖縄県民をはじめとする多くの人々が島に渡り、島民と共にさとうきび栽培や製糖業に携わるなど、豊かな暮らしを目指して発展してきました。
 しかし、先の大戦により、この平和な島の姿は大きく変わりました。昭和19年6月15日には米軍が上陸し、孤立していた日本軍との間に、20日以上にわたり戦闘が続きました。61年前の今日も、島では壮絶な戦いが続けられていました。
 食料や水もなく、負傷に対する手当てもない所で戦った人々のことを思うとき、心が痛みます。亡くなった日本人は5万5000人に及び、その中には子供を含む1万2000人の一般の人々がありました。同時にこの戦いにおいて、米軍も3500人近くの戦死者を出したこと、また、いたいけな幼児を含む900人を超える島民が戦闘の犠牲となったことも決して忘れてはならないと思います。
 私どもは10年前、終戦50年に当たり、先の大戦で特に大きな災禍を受けた東京、広島、長崎、沖縄の慰霊の施設を巡拝し、戦没者をしのび、尽きることのない悲しみと共に過ごしてきた遺族に思いを致しました。また、その前年には小笠原を訪れ、硫黄島において厳しい戦闘の果てに玉砕した人々をしのびました。
 この度、海外の地において、改めて、先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います。
 私ども皆が、今日の我が国が、このような多くの人々の犠牲の上に築かれていることを、これからも常に心して歩んでいきたいものと思います。
 終わりに、この訪問に当たり、尽力された内閣総理大臣はじめ我が国の関係者、また、この度の私どもの訪問を受け入れるべく力を尽くされた米国並びに北マリアナ諸島の関係者に深く感謝いたします。
(毎日新聞) - 6月27日14時32分更新

断がいに慰霊の祈り=韓国、沖縄の塔にも-両陛下、激戦の地サイパン

 【サイパン28日時事】戦没者慰霊のため、北マリアナ諸島のサイパン島(米自治領)を訪問した天皇、皇后両陛下は28日午前、島内の慰霊碑に供花。「バンザイクリフ」など、多くの日本兵や民間人が身を投げた断がいを訪ねられた。沖縄出身者の慰霊塔や、朝鮮半島出身の犠牲者を対象とした「太平洋韓国人追念平和塔」にもそれぞれ立ち寄り、車から降りて沿道から黙礼した。
 戦後60年を機に実現した初の海外「慰霊の旅」で、両陛下は国籍を問わず全犠牲者を追悼。平和を祈念した。
 沖縄と韓国の慰霊塔立ち寄りは発表された予定にはなかった。宮内庁幹部は「陛下の気持ちに基づき行われた。計画はあったが、いろいろな状況を考えリスクもあり、27日夜に最終決定された」と説明した。 
(時事通信) - 6月28日13時1分更新

「懸案解決の契機に」=天皇陛下のサイパン慰霊塔訪問-韓国遺族団体

 【ソウル28日時事】サイパンを訪問した天皇陛下が28日、「太平洋韓国人追念平和塔」に立ち寄り、黙礼したことについて、1981年に同塔を建て、在韓日本大使館などに塔訪問を要請してきた「海外犠牲同胞追念事業会」の李龍沢会長(76)は「小さいことだが、訪問自体に意味があり、良かった」と歓迎。「日韓両国の懸案などを解決する契機になってほしい」と期待感を示した。通信社・聯合ニュースが伝えた。 
(時事通信) - 6月28日13時1分更新

両陛下、慰霊の祈り

 【サイパン=河嶋一郎】戦没者慰霊のためサイパンご訪問中の天皇、皇后両陛下は二十八日午前、島北部の「中部太平洋戦没者の碑」や、民間人多数が自決したスーサイドクリフ、バンザイクリフに足を運び、この地の激戦で亡くなった多くの将兵、民間人らを追悼された。
 また、当初の予定になかった沖縄出身者の慰霊碑「おきなわの塔」と朝鮮半島出身者の慰霊碑「韓国平和記念塔」にも立ち寄り、拝礼された。宮内庁によると、礼を尽くしたいという両陛下のお気持ちから実現したという。
 第二次大戦中の昭和十九年六月から七月にかけて戦われたサイパン戦では、日米の軍人、民間人、地元民ら合わせて六万人以上が亡くなった。
 両陛下はこの日午前六時四十分(日本時間午前五時四十分)過ぎ、宿泊先のホテル近くの砂浜に出て、十九年七月に日本軍が最後の集団的な戦闘を行った当時の様子を帰還兵らから聞かれた。
 続いて、島北部に日本政府が建立した中部太平洋戦没者の碑に寄られた。この碑はサイパンを含む中部太平洋で戦没した人々を国籍を問わず対象としている。両陛下それぞれが供花し、静かに頭を下げられた。
 続いて、マッピ山北側で米軍に追い詰められた多くの日本兵、民間人が身を投じたスーサイドクリフやバンザイクリフのがけでも、海を望みながら黙礼された。
 正午(同午前十一時)前には、アメリカ慰霊公園を訪ね、亡くなった現地人の名が刻まれているマリアナ記念碑、軍人を追悼する第二次世界大戦慰霊碑にそれぞれ、花を供えられた。
 同日午後には、島中部の敬老センターを訪問し、帰国の途に就かれる。
(産経新聞) - 6月28日15時4分更新
by polimediauk | 2005-06-28 17:21 | 日本関連