小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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英BBC、時の政権と距離を置くよう腐心 ―運営の仕組みと具体例を見る

 筆者が住む英国のBBC(英国放送協会)とNHKとを比較してほしいという依頼を、ときどきいただく。

 今年、そうした依頼が生じたのはNHKの新会長による年頭のさまざまな発言に起因する。

 実際にBBCとNHKを比較した場合に、例えば組織としての成り立ち、監督制度の仕組みなど、骨組みのところを見ただけだと、一言で言えば「非常に良く似ている」。

 どこか違うところがあるとすれば、(当然だが)これまでの歴史、つまりは一つ一つの報道の積み重ねが異なる。番組を受け止める視聴者や批評家、政治家、ライバルとなるほかの放送局などの反応も違う。ジャーナリズムについての考え方も違う(例えば、放送メディアでは不偏不党が報道の中心にあっても、ジャーナリズム組織とは権力を批判するものという意識が広く共有されている)。

 また、BBCは英語圏の大手放送局で、かつ世界中にたくさんの読者をかかえるニュースサイトを運営していることから、国際的に群を抜く大きな影響力を持つ(英語の国際語としての位置、大英帝国の歴史なども要因として絡んでくるだろう)。

 そこで、日英の放送局は「組織的には非常に似ている」が、「中身は違う」。人間一人ひとりの顔かたちが違うようにBBCとNHKも「違う」が、これは当然とも言えよう。

 そうは言っても、「BBCはどうやって権力との一定の距離を保ってきたのか」という疑問はわくだろう。

 そこで、新聞通信調査会発行の月刊誌「メディア展望」3月号に書かせていただいた。

 以下はそれに若干補足したものである。「非常に似ている」が「中身が違う」という部分を汲み取っていただけたら幸いである。また、骨組み(規定など)をまったく同じにしたとしても、これをどうやって応用するかで結果は劇的に違ってしまうことも推察していただきたい。

 「メディア展望」は過去記事を無料でダウンロードできるので、時事問題にご関心のある方は閲覧いただけたらと思う。

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 NHKの籾井勝人・新会長が、今年1月末の就任会見で、国内外で論争となっている事柄について政権寄りと見られかねない発言を行った。同月31日の衆院予算委員会で会長は「個人的意見を放送に反映させることはない」と答弁したが、放送法で規定された「不偏不党」を貫くべきNHKに対し、何らかの政治的圧力がかかるのではないかという懸念が出た。

 民主主義社会を支える独立した報道を行うには、メディアは時の政権とは距離を置く必要がある。日本の公共放送NHKに相当するのが英国のBBC(英国放送協会)だ。その前身は民間事業体だが、当時から政府の言いなりにはならないための努力があった。

 1922年、政府の提案を元に国内の無線機製造業者が共同で設立したのが、現在のBBCの前身となる英国放送会社(British Broadcasting Company)である。BBCは政府からラジオの販売と放送の独占権を与えられた。公共事業体のBBC(British Broadcasting Corporation)として発足したのは、27年だ。

存立の理由と組織の構成は

 BBCの存立とその業務運営を規定する基本法規は、国王の特許状(ロイヤル・チャーター)と、BBCと担当大臣との間で交わされる協定書(アグリーメント)になる。

 特許状はBBC存立の基礎となる。公的目的、独立性の保障、「BBCトラスト」(視聴者の代表として業務全般を監督する)や執行部の任務を規定している。約10年ごとに更新され、現在の特許状は16年末まで有効だ。

 英国の放送局は商業放送も含めオフコム(情報通信庁)の規制・監督下に入るが、BBCについては報道の正確さ、不偏不当性について判断するのはトラストの管轄となる。ただし、日々のニュース報道の判断は編集幹部あるいはその上の経営幹部による。

 トラストを率いる委員長職は、放送・通信業を管轄する文化・メディア・スポーツ省が新聞などに広告を出して公募する。官僚が面接をして候補者を絞り、推薦された人物が下院の文化・メディア・スポーツ委員会で質疑応答を受けた後、就任決定となる。トラスト委員(11人)も公募で、管轄の省や首相などが選定に加わる。選定には特許状に明記されたBBCの目的、意義を全うできる人物かが考慮される。

 一方の協定書は特許状明記のBBCの目的に沿って、業務内容、運営資金の値上げ率や調達方法などを規定している。国防上必要な場合あるいは緊急時には、政府による告知を放送することが義務付けられている。政府はまた特定の事柄を放送しないよう書面でBBCに指令を与えることができ、BBCは指令があったことや拒否したかどうかを公表することができる。

 BBCには編集上の独立が保障されているが、財政面では政府に首根っこを捕まえられている。テレビ受信許可料(NHKの受信料に相当)の値上げ率を政府が決めているからだ。

ジャーナリズムの独立性をどうやって示してきたか

 BBCが政権批判を堂々と行えるのは、報道の不偏不党が法律で規定されている上に、新聞、ネットも含めたメディア及び社会全体で報道組織の独立性を重要視する認識が確立しているためだ。BBC自身の過去の報道の積み重ねがこうした認識に貢献してきた。

 若干の具体例を報告したい(以下、肩書きは当時)。

 BBCが最初に報道機関として国民から高い評価を得たのは、1926年、ゼネラルストライキが発生したときだ。まだ民間企業だった頃である。当時、BBCは新聞界からのロビー圧力で、すでに通信社が報道済みのニュースの要約版のみを午後7時以降に放送することが許されていた。

 労働争議が深刻化していた26年5月2日夜、政府と労組幹部との交渉が最終段階で決裂した。3日午前1時、ゼネスト開始予定のニュースを最初に伝えたのは当時のBBCのトップ、リース卿であった。BBCに対する報道規制は解かれたも同然となった。公共の交通機関がほぼ停止し、新聞も休刊か大幅にページ数を減少させる中、最新のニュースを報道したBBCのラジオ放送に多くの人が耳を傾けた。

 政府側はチャーチル財務相(後の首相)が統括した公式新聞「ブリティッシュ・ガゼット」を臨時発刊させた。チャーチルはリースにガゼットの内容を放送で読み上げるよう依頼したが、断られた。国家の緊急事態に政府はBBCを国の管理に置くことができたが、内閣内で見解が統一されておらず、リースが時の首相ボールドウィンと良好な関係を持っていたことも幸いした。BBCはガゼットの記事の要約を紹介する一方で、労組幹部の演説の内容も報道した。当事者の両方の主張を放送することで、国民から高い支持を得た。

 BBCは戦時でも中立を守る報道を行うのか、それとも英国側に立つべきなのか?一つの答えを出したのが、アルゼンチンとのフォーククランド戦争(1982年)の報道である。

 大衆紙が愛国主義的報道を行う中、BBCのニュース番組「ニューズナイト」の司会者は国防省の情報を「英国側(の情報)を信頼するとすればだが」と表現。「我軍」ではなく「英国軍」と呼ぶなど、距離を置く言葉を使った。大衆紙サンは政府の情報を信じない司会者がいるBBCを「裏切り者」と呼び逆風を吹かせたが、BBCは方針を変えなかった。

 サッチャー政権(1979-90年)と戦い、辞任するに至った経営陣トップもいる。対英テロ闘争を行っていた武装組織アイルランド共和国軍(IRA)によるテロを、宿泊先のホテルで経験した(1984年)サッチャー首相は、「テロリスト」がメディアに登場すること自体を嫌った。

 85年、BBCがドキュメンタリー・シリーズ「リアル・ライブズ」の中でIRA関係者のインタビューを収録。レオン・ブリッタン内相はBBC経営委員会(現BBCトラストの前身)のスチュアート・ヤング委員長に放送しないように依頼する書簡を出した。

 経営委員会はそのままの形では「放送不可」とする結論を出したが、BBCスタッフは反対の姿勢を見せた。経営陣は「放送の検閲は断固として許されない」とする声明文を発表したあと、アラスデア・ミルンBBC会長がヤング経営委員長と内相を訪問した。紆余曲折の後、当初の予定から2ヵ月後に放送が実現した。

 同時期、BBCは政府が秘密裏に開発した偵察衛星「ジルコン」にかかわる疑惑を含む「秘密社会」と題するシリーズ(6部構成)を制作した。これが大きな政治問題となり、ロンドン警視庁が制作の中心となったジャーナリスト宅やBBCの編集室を家宅捜査する事件に発展した。

 放送のめどがたたないままの86年1月、ミルン会長は新たなBBCの経営委員長で政権に近いと言われたマーマデューク・ハッセーに、解任を伝えられた。会長の去就は経営委員会が決めることになっている。解任は委員全員の総意であった。4月以降、6部のうち5部が放送された。最後の1本を民放チャンネル4が新たな編集を加えて放送したのは91年だ。

 政府側が報道したくない内容であるほど、抵抗は強くなる。放送までの粘り強い努力が制作側に求められる。

イラク戦争の開戦理由をめぐり、政府と大対決

 近年のBBCと政府の戦いで記憶に新しいのは、イラク戦争(2003年)の開戦理由を巡る、ブレア政権とBBCとの争いである。「情報を誇張して、英国を戦争に向かわせた」とするBBCの報道とこれを否定する政府側との大きな対立は、報道の情報源となった人物が自殺したことで急展開した。

 死の状況を解明するために立ち上げられたハットン調査委員会は、04年報告書を出し、BBCの報道を批判した。経営委員長と会長が引責辞任という結末となったが、後の調査で、BBCの報道が真実を突いていたことがほぼ証明されている。

 独立した報道を行った結果、経営陣の首が飛ぶこともあるし、報道が正しかったかどうかの判定には年月がかかることもある。BBCはこれまでに相当の犠牲を払いながら、政権批判を辞さない報道を続けてきた。

 数々の具体例を紹介したが、その概要はBBCのウェブサイト上に紹介されている。自分たちの優れた報道の勲章として掲載しているのである。この点もまた、興味深いのではないだろうか。

最後に

 ここまでを読み返してみると、BBCをずいぶんとほめすぎてしまった感じがする。BBCはがんばっているが、ほかの報道機関もそれぞれに質の高いジャーナリズムを実践している。BBCだけではない。BBCを神格化しないようにしよう。決して完璧ではない。

 蛇足めくが、「もし」公共放送が権力(政府、官僚、大企業など)から独立したジャーナリズムを堂々と実行するにはどうするか、という問いの答えをBBCに求めるとすれば、「公共放送=権力を監視し、堂々と批判するジャーナリズムを実行するメディア」という認識を国民の側がしっかりと認識するところから始めるべきかもしれない。「不偏不党」の部分で、がんじがらめにするべきではないだろう。
by polimediauk | 2014-04-03 20:09 | 放送業界