ロンドンのテロ10 1週間経って 雑感
何故か起きたかの解明努力
7日のテロから1週間経ち、あっという間に4人の実行犯の名前が解明された。アル・カイーダ系ではないか、というところまでは判明したようだが、「何故テロを?」という部分が十分に解明はされていない。
今回はやや雑感めいた話になるが、昼の12時に2分間の黙祷がイギリス中であった。私も黙祷したが、インターネットやテレビ、新聞などで情報は世界中に伝わるものの、やはりその場で生きていることからくる物事の衝撃というのは、なかなかメディアでは伝わりにくい。やはり、英国の外の人からすれば、犯人が誰でどんな爆弾を使ったのか、国際的テロのネットワークとはどんな関係があるのか、といった情報、あるいはテロの危険にあわないようにするにはどうするか?といった点に対する関心が高いかと思う。あるいは、実行犯がイスラム教徒だったということで、英国のイスラムコミュニティーがどうなるのか、といった点だろう。
もちろん、英国に住んでいる人もこうした情報は知りたいわけだが、それ以上に、一番強く心にあるのが、実行犯も含めた犠牲者に対する思いと、何故「普通の青年たち」、いわば自分の隣人と言ってもいい人たち、電車で隣に座ったことがあったのかもしれないぐらいの身近な人が、テロを起こしたのか、だ。今後のために「何故」を知りたい、というよりも、「何故身内がこんなことをしたのか、知りたい」という感情がある。実行犯が英国で生まれ育った人たちであったということで、「他人事ではない」という思いがある。
亡くなった方々も、もしかしたら、ロンドンの電車の中で隣同士に座ったことのある人だったかもしれない。今は、もういない。
非常に身近な話なのだ。
2分間の黙祷では、体がびりびりするような思いがし、後でメディアがよく言っていたように、確かに、「全員が一つ」になっていたと思う。
しかし、ブレア首相が黙祷しているシーンをテレビで見たとき、私は怒りが出てきた。
前回、国民が1つになったのは、数百万が反対の声をあげたイラク戦争開戦前夜だった。ブレア首相は全くこれを聞き入れることがなかった。「英国には異なる意見を表明する自由があるから、すばらしい」と言っていたのだった。「国際法に違反している」(実は、「国際法」という概念そのものに、あやふやな部分がある)など、散々批判されたにも関わらず、開戦に持ち込んだ。イラク戦争は英国に限らず、イスラム教徒だけにも限らず、世界の様々な国、人から非難された。
テロが起きると、「反テロ法を急に厳しいものにしたりは、しない」といっていたのにも関わらず、そうした動きになりつつある。
54人のテロの犠牲者は痛ましく、命は重い。しかし、たった4人の爆破テロ実行犯の行動で、そしてまだその行動の目的は分かっていないが、反テロ法を厳格化するのだったら、何百万人がデモなど民主的行動で抗議を示すよりも、テロの方が、英国の政治家を動かせる、ということを示すようなものだ。
-イスラム教の若者たちの声
BBCの夜のニュース番組「ニューズナイト」で、英国ムスリム協会のタミミ博士という人が作った、短いビデオを放映した。協会に属する若い人たちに、今回のテロをどう思うか?をインタビューして、自分なりに「何故?」を分析したものだ。
タミミ氏によると、4人が自爆テロを起こした理由には、「政治の失敗、イスラム教徒が世界中で殺されている事実、過激派の動き」などがある。
政治の失敗とは、英国の外交政策を指し、中東のパレスチナ問題などが解決されていないこと、英政府の力が十分ではないことに加え、イラク戦争をあげている。(前に、イラク戦争は今回のテロに関係ないと思う、と書いたが、今になってみると、確かに背景要因としてうなずけるように思っている。)
英国ではイラク戦争開戦に対する反対の声が非常に強く、それでもブレア首相は開戦に踏み切った。デモなどの民主的抗議が何の効果もないことへの絶望感が、若者の間で広まった、とタミミ氏は言う。
また、イラクのアブグレイブ刑務所での米兵によるイラク人捕虜への虐待、キューバの米軍グアンタナモ基地での同様の虐待、イラク戦争で現在までに10万人以上のイラク人が亡くなったこと、など、「世界中でイスラム教徒が殺されている、傷を受けていることに対する悲しみと怒り」もイスラム教徒の若者の間で共有されている、という。
さらに、過激派の浸透が一部の若者たちの間で見られるという。
タミミ氏は、若いイスラム教徒の男性たちに、インタビューを試みる。1人は、「ロンドンのテロで人が亡くなった。しかし、イラクではもっとたくさんの人が毎日殺されている。ロンドンとイラクの、どちらの人の命が重いのか?人類愛の見地からは、どちらも等しく重いはずだ。しかも、英兵が殺していることに、怒りを感じる」。
「過激派の行動を許してはならない。イスラム教の過激派も、白人中心主義の過激派も」ともう1人が答える。「怒りを感じても、普通はテロには走らないと思う」。
このインタビューの前には、実行犯がいた北部の都市リーズで、白人ら30人ほどが集まり、最初は静かに飲んでいたが、途中から警察との小競り合いになったこと、また通りの建物の壁などに、人種差別的な落書きが出たことが報道された。
私はオランダでのイスラム系移民の動きを少し追ってきたが、オランダと英国とを比べると、イスラム系移民への視線が随分違う。
テロが起きた直後から、政治家のトップらは実行犯はイスラム教徒かもしれないと見当をつけていたようだが、イスラム系コミュニティーがバッシングに合わないようにという配慮が常になされてきた。
オランダでは、昨年11月、イスラム教徒を批判した短編を作った映画監督テオ・ファン・ゴッホ氏がイスラム教徒過激派に殺害された。このとき、政府閣僚は「多文化主義は失敗した」「我々は移民に対して寛容すぎた」と言ったのである。また別の閣僚は、「イスラムとキリスト教徒の戦争が始まった」とも言った。
オランダの事件がいかにオランダ国民にとって衝撃だったかは想像に難くないが、それにしても、ここまで言われたら、イスラム系移民は全て否定されたようなものだ。はっきりと、「異質だ、社会の一部ではない」といわれたようなものだ。
英国では、そういうことが全くなかった。特にロンドン市長が、ロンドンは移民がいて成り立っている場所であること、様々な人種が住む国際都市であることを強調してきた。
今回のテロのイスラムコミュニティーへの影響だが、英国とオランダを比較した場合、イスラム系の人々が一歩(か2歩かあるいはそれ以上か)深く英社会の中に入っているようで、おそらくその差が出てくるのではと思ってみている。
ただ、現在のところは、多くの人にとって、「身近な隣人がテロを起こした」という部分のショックが大きく、これが何を意味するのか?は理解するのに時間がかかりそうだ。ショックが大きいとき、これをそしゃくするのに時間がかかる場合があると思うが、丁度そのような状況があるように思う。ただし、メディアの報道によって、思わぬ方向に進む可能性もあるが。
最後に、たまたまロンドンに滞在していたニューヨークの元市長ジュリアーノ氏も、ロンドン市民がそれほどあわてず事態に対応していたことなどを誉めており、メディアでも、ロンドンは「禁欲的・ストイック」に事態を処理したと書かれてあるのを読んだ。
確かに、IRAでのテロの経験があるということもあるが、それに加えて、もし日本と比べて大きな違いがあるとすれば、私は2つあると思う。
それは、英国民全員が、「必ずテロはあるだろう、リスクはあるだろう」と思っている点がまず、ある。「もし起きたら」でなく、「いつ起きるか」だった。
また、もう1つは、あまり簡単にパニックにならない。何故?といわれても、説明が難しいが、極度の私見になるが、おそらく、一人一人がてんでんばらばらにいろいろなことを考えており、お上の言うことをそのまま信じない国民性がある。テロで大変だが、それはそれ、として、自分で考えて生きていく。
「禁欲的に、パニックにならずに」行動をしている英国民に、「さすが英国人」という表現が英国以外のメディアで見られたが、テロの時の様子をもってして「英国的・禁欲的・第2次世界大戦で一丸となって耐えたのを思い出させる」とか、「他人に言われたくない」という女性に、週末、あるレストランで出会った。
「英国人的」として、ひとくくりにまとめらるのが、「いやでたまらない」ということだった。